よしりん師範、木蘭師範、みなぼん編集長、スタッフの皆様、執筆・編集・配信、ありがとうございます。一雨ごとに寒さが厳しくなる折柄、どうぞ皆様ご自愛ください。 今回私は、よしりん先生に対して大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。現在は総選挙前の差し迫った政治状況であり、大作発表前という押し迫ったスケジュールでもあるのに、ライジングのゴー宣の中でコメント欄にも言及しなくてはならない状況を作ってしまったことについてです。言うまでもなく私は前号コメント欄の混乱におけるA級テロ犯です。鷲音さんではありませんが、全身の穴という穴から血を吹きだして憤死せねばなならない身分です。 まず小林よしのりライジングは、よしりん先生の紙媒体の作品で世の空気を変えるため、さらなる潜在読者を獲得するための一つのツールであり、そのためコメント欄では、その参加者(既存の読者の一部)が先生の創作活動、および読者獲得の邪魔をしないことが求められます。それが公の最上位であるはずなのに、今回コメント欄の不始末の収束のために先生にゴー宣の1章を使わせてしまったことは、それとは180度逆の事態であり、これは切腹物であると感じております。 よしりん先生、申し訳ありませんでした。 そして、前号において不快な思いをされた参加者の皆様、および試し読みで購読を検討しておられる皆様、申し訳ありませんでした。 さて、私は今までライジングのコメント欄にバランスをもたらそうと努力していたつもりでした。コメント欄に度々入り込む荒らしを排除するには、コメント欄が疑似共同体として作用していることが有効であると考えていました。しかしネット世界においては、そのような努力は無駄であり、むしろ悪影響すらあることが分かりました。 なぜなら、荒らしの劣化した感情による「表出」に対しては、どんな知性の「表現」も、つまり論理による説得も一切通用せず、ついには同じく劣化した感情の表出で対抗する事態に至り、互いの劣化感情の表出としての罵倒語の応酬になるからです。罵倒語はどれだけ公的な論理で粉飾したとしても、所詮中身は私的な感情であり、吐いた言葉はその表出でしかないわけです。これは街頭におけるヘイトスピーチと反ヘイト活動の関係においても同じだと判ります。 コメント欄の在り方については不満が残らないわけではありませんが、より上位の公のためには、自分をというより私情を抑えることにします。ルールを設定することに意味はありませんし、レスを付けるかどうか、付けるとしたら誰にレスを付けるのか、あるいは付けないのかは各自の常識に照らして判断するのが良いかと思います。しばらくは劣化感情の物量作戦とレス待ちが続くと思いますが、自分だけ気持ち良くなろうとしているような私情の表出に対しては絶対レスを付けず、スルーを貫くなどでしょうか。 結局、よしりん先生による世の空気を変える作品の創造を邪魔しないことが第一義となる na85
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よしりん師範、木蘭師範、みなぼん編集長、スタッフの皆様、執筆・編集・配信、ありがとうございます。一雨ごとに寒さが厳しくなる折柄、どうぞ皆様ご自愛ください。
今回私は、よしりん先生に対して大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。現在は総選挙前の差し迫った政治状況であり、大作発表前という押し迫ったスケジュールでもあるのに、ライジングのゴー宣の中でコメント欄にも言及しなくてはならない状況を作ってしまったことについてです。言うまでもなく私は前号コメント欄の混乱におけるA級テロ犯です。鷲音さんではありませんが、全身の穴という穴から血を吹きだして憤死せねばなならない身分です。
まず小林よしのりライジングは、よしりん先生の紙媒体の作品で世の空気を変えるため、さらなる潜在読者を獲得するための一つのツールであり、そのためコメント欄では、その参加者(既存の読者の一部)が先生の創作活動、および読者獲得の邪魔をしないことが求められます。それが公の最上位であるはずなのに、今回コメント欄の不始末の収束のために先生にゴー宣の1章を使わせてしまったことは、それとは180度逆の事態であり、これは切腹物であると感じております。
よしりん先生、申し訳ありませんでした。
そして、前号において不快な思いをされた参加者の皆様、および試し読みで購読を検討しておられる皆様、申し訳ありませんでした。
さて、私は今までライジングのコメント欄にバランスをもたらそうと努力していたつもりでした。コメント欄に度々入り込む荒らしを排除するには、コメント欄が疑似共同体として作用していることが有効であると考えていました。しかしネット世界においては、そのような努力は無駄であり、むしろ悪影響すらあることが分かりました。
なぜなら、荒らしの劣化した感情による「表出」に対しては、どんな知性の「表現」も、つまり論理による説得も一切通用せず、ついには同じく劣化した感情の表出で対抗する事態に至り、互いの劣化感情の表出としての罵倒語の応酬になるからです。罵倒語はどれだけ公的な論理で粉飾したとしても、所詮中身は私的な感情であり、吐いた言葉はその表出でしかないわけです。これは街頭におけるヘイトスピーチと反ヘイト活動の関係においても同じだと判ります。
コメント欄の在り方については不満が残らないわけではありませんが、より上位の公のためには、自分をというより私情を抑えることにします。ルールを設定することに意味はありませんし、レスを付けるかどうか、付けるとしたら誰にレスを付けるのか、あるいは付けないのかは各自の常識に照らして判断するのが良いかと思います。しばらくは劣化感情の物量作戦とレス待ちが続くと思いますが、自分だけ気持ち良くなろうとしているような私情の表出に対しては絶対レスを付けず、スルーを貫くなどでしょうか。
結局、よしりん先生による世の空気を変える作品の創造を邪魔しないことが第一義となる na85