武藤 のコメント

配信ありがとうございます。「7条解散」について興味があったので調べてみました。新憲法下で初めて解散があったのは昭和23年です。少数与党であり「解散」を通じて政権を強化したい時の総理大臣であった吉田茂は早期解散を望みました。解散の根拠は「憲法7条」です。しかし、野党はそれに反発し「憲法69条以外は解散は認められない」と反撃を加えていました。その影には吉田勝利を阻止したいGHQ民生局があったそうです。結局はマッカーサーの判断で野党側から内閣不信任を提出し、その可決によって政府に解散の機会を与えるという与野党妥協の「なれ合い解散」が行われました。
この時は一応は「対抗的解散」が行われていましたが、問題の「7条解散」は日本が独立を回復した昭和27年に行われました。
原彬久氏によると一応は「総選挙によって人心一新を図るべしという声が政界のみならず国民一般に強かった」らしいです。また、衆議院の任期が終わりそうであったことも関係があったでしょう。
この時の吉田は同じ党内にいる鳩山グループの「政権奪回」を警戒していました。「どちらにしろ、総選挙があるが、その時になんとか、鳩山の勢力を削れないものか?」そこで吉田は奇策を考えました。鳩山らの準備が整わぬうちに「奇襲攻撃」をかけて解散を仕掛けたのです。俗にいう「抜き打ち解散」です。これは吉田側近にも知らされておらず、当然、鳩山グループからは「非立憲的、非民主的であり、党情を無視したもの」と大批判されました。結局は、鳩山グループが議席を伸ばし、吉田の目論見は頓挫しました。
「臣茂」と戦後にも認識しており、尊皇芯が強かった吉田茂こそが、陛下の国事行為である解散を自分の政権維持の為に使った初めての人物というのは皮肉ですが、後の総理は右に倣えで吉田をマネをして裁量的解散を行いました。
憲法学的には解散判断は裁判所ではなく、政府、国会等の政治部門の判断に任され、最終的には国民の政治判断に委ねられているという考えられています。しかし、今回の解散総選挙は、国民は望んでおらず、大義も一切ない。立憲主義を破壊したい安倍政権らしい選挙だと思います。

No.26 121ヶ月前

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