三味線弾き のコメント

高森先生の「道徳・不道徳・非道徳」に共鳴しまくり、「予備的な頭の体操」どころか頭のギアが5速に入り眠れそうにありません。

「ある程度の権力的統制」とは、端的には法律のことでしょう。法律は人々の生活や思想をこと細かに定める訳にはいかないので、それを補完する道徳が必要になります。高森先生の仰る通り、法律と道徳が補完関係になければ、社会はとても成立しそうにありません。
法律は「常識」に基づいて「非常識」な行いを規制するために定められる一方、道徳は良識や慣習などに基づいて産み出され、場合によっては標語や基準のような形で明文化されるのでしょう。おそらく、前者は固定的かつ他律的に強制されるのに対し、後者は柔軟かつ自律的に推進していくべきものでしょう。

自律的に推進される性質のものに「教育」というある種の強制力を作用させることは、一歩間違えばかなり危険な選択になるはずです。自分では物事を考えられなくなってしまうからです。
たとえば、広島の土石流災害で、役人達は何も考えずに済み、何の責任を負わずに済む「基準」という道徳にも似たルールに極めて忠実に行動し、却って被害を拡大させたフシがあります。
少し冷静に考えれば自明なのですが、被災した庶民は、役人達にルールの遵守を求めていたのではなく、役人達がルールを破ってでも自分達を守って欲しかったと期待していたはずです。当の役人達も、本当は市民を守りたかったと思っているはずです。道徳教育を誤れば、こういった人々の思いを無碍にする危険がります。

高森先生が最後に仰った「人間が不道徳に振る舞い得る可能性と、コインの裏表」とは、こういった不条理を包摂して仰っているのではないでしょうかね。つまり、道徳を守ることによる悪(不道徳)もある、道徳を犯してでも行うべき正義はある、それらを教育することは可能か? 可能ならどう教育するか? ということでしょうか。

No.29 121ヶ月前

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