道徳の授業の記憶は、教育テレビを見たくらいしか残っていません(汗 そんな授業よりも、家族や市井の人々と接して培った経験や、よく練られた漫画や小説や映画などのフィクションの方が、圧倒的に道徳観・倫理観の形成に寄与していると思います。 本来の道徳であれば「善いことを行う」のが本筋だと思うのですが、学校の道徳教育や昨今の組織研修では、要するに「悪いことをしない」あるいは「何もしない」が限界ではないでしょうか。こういった教育に忠実なだけで世の中が良い方に向かうはずはなく、何処かで誰かが真剣に考え、暗黙のルールも含めた様々なしがらみを、覚悟を決めて和を乱してでも突破できる者(小林先生は典型ですよね)がいなければ、社会は成立しないでしょう。 しかるに、道徳教育でルールや空気に従順な子羊ばかりを育てても無意味なことは自明で、むしろ、法律やルールの枠組みを取っ払って、時空や状況に応じて物事の善悪を真剣に考えられる狼を育てておくことが重要になるはずです。『大東亜論』の頭数の話と一緒ですかね。 問題は、法律とは異なり、場合によっては暴力や人殺しが肯定され得る道徳を、学校の先生が正規の教科として躊躇なく教えられるか、また社会がそれを許すか、という点でしょう。本質的には善を教えることと悪を教えることは同じでしょうから。 道徳教育は、学校に全権委任するのではなく、家庭や地域社会や会社組織やフィクションなども含めた全方位からの文化形成が適切に思います。それを統括しうる基準軸はたぶん皇室以外には無いでしょう。 不作為の責任が問われた薬害エイズ事件を扱った『脱正義論』をはじめ、『大東亜論』など小林先生の思考の足跡を思い返さずにはおれませんね。
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(ID:2593328)
道徳の授業の記憶は、教育テレビを見たくらいしか残っていません(汗 そんな授業よりも、家族や市井の人々と接して培った経験や、よく練られた漫画や小説や映画などのフィクションの方が、圧倒的に道徳観・倫理観の形成に寄与していると思います。
本来の道徳であれば「善いことを行う」のが本筋だと思うのですが、学校の道徳教育や昨今の組織研修では、要するに「悪いことをしない」あるいは「何もしない」が限界ではないでしょうか。こういった教育に忠実なだけで世の中が良い方に向かうはずはなく、何処かで誰かが真剣に考え、暗黙のルールも含めた様々なしがらみを、覚悟を決めて和を乱してでも突破できる者(小林先生は典型ですよね)がいなければ、社会は成立しないでしょう。
しかるに、道徳教育でルールや空気に従順な子羊ばかりを育てても無意味なことは自明で、むしろ、法律やルールの枠組みを取っ払って、時空や状況に応じて物事の善悪を真剣に考えられる狼を育てておくことが重要になるはずです。『大東亜論』の頭数の話と一緒ですかね。
問題は、法律とは異なり、場合によっては暴力や人殺しが肯定され得る道徳を、学校の先生が正規の教科として躊躇なく教えられるか、また社会がそれを許すか、という点でしょう。本質的には善を教えることと悪を教えることは同じでしょうから。
道徳教育は、学校に全権委任するのではなく、家庭や地域社会や会社組織やフィクションなども含めた全方位からの文化形成が適切に思います。それを統括しうる基準軸はたぶん皇室以外には無いでしょう。
不作為の責任が問われた薬害エイズ事件を扱った『脱正義論』をはじめ、『大東亜論』など小林先生の思考の足跡を思い返さずにはおれませんね。