よしりん師範、笹師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、100号目も変わらぬパワーで執筆・編集・配信、ありがとうございました。 笹師範の100号記念映画評『飛べ!ダコタ』について「『おらっちなんら』にハマり中!!!」、大変興味深く読ませていただきました。当時を知る方からの生の声を誰よりも多く聞き、おそらく誰よりも戦史に詳しく、大東亜戦争は米国に追い込まれたため起こるべくして起きた、やらざるを得ない戦争であったことを十分承知であるはず笹師範が、「戦争を始めたのはおらっちなんら」という一見すると反戦平和的なセリフを大評価していることが見事だと思いました。 満州事変・支那事変から大東亜戦争に至るまでの間、翼賛マスコミが煽るまま戦争を支持したのは自分たちではなかったか?軍部だけのせいにして騙された風を装っていていいのか?もう一度同じような事態が起これば、同じ道筋を辿って戦争に突入するんじゃないか?そしてまた「騙された」と言うんじゃないか?と、明(村長)はあのセリフにこのような気持ちを込めて言ったのだと思うわけです。 そして、現在再び戦争の危機が近づいています。先の大戦は、米英支ソによって仕組まれ追い込まれて起こったという情状酌量の余地も、アジア独立解放という掲げるべき正義もあったわけですが、今度は単に隣国が怖いからとの理由で、世界覇権国に守ってもらうために、必要性も正義も無い戦争に引きずられて地球の裏側まで行こうとしています。『飛べ!ダコタ』は、こんな時代状況の中に生きる現代の我々こそ見るべき映画だと思います。「また騙された」と後で言わないためにも。 さて、現代に生きる我々の判断を狂わせ、再び戦争に突入させようとする勢力が2方向から迫っています。右側では盛んに隣国の脅威を煽りつつ米国への依存を「やむを得ない正義」だと誤認させ、左側では主に戦勝国へのご注進によって最早それがグローバルスタンダードなんだから謝罪するのも「やむを得ない正義」だと錯覚させています。 こうして危機感とフラストレーションを同時に高められた大衆は、為政者の威勢のいい物言いに喝采を送り、物言えぬ空気を自ら醸成して全体主義を加速させていきます。「中国が怖いから米国について行け」と言う本当は情けないはずの為政者までが頼もしく思えてくるのも、このような空気の効果でしかありません。そして、世界中で起こる対日謝罪要求というフラストレーションの原因をつくったのが、「慰安婦=性奴隷」という認識まで込みでブッシュに謝罪した第一次政権時代の安倍であるという事実もあまり知られていません。 謝罪したり、何らかの代償を払ったりすれば罪・咎・穢れがキレイに水に流され帳消しになるという考え方は、神道と共同体の国の民・日本人だけの感覚です。「自然に手を加えすぎればしっぺ返しを食らう」という真理に近い思想なら近年欧米人にも受け入れられているようですが、列島の中でのみ通じるジャパニーズ・スタンダードの中でも、特に幼児性の強い「謝罪」というものに対する感覚が、ルールの取り合いでしのぎを削る国際社会で通用するはずがありません。国際世論の中心をなす欧米キリスト教国が慰安婦を「戦時性奴隷」ともう決めてしまっているのですから。安倍のせいで…。 この甚だしい国益喪失をもたらした安倍の謝罪については一切を不問に付すくせに、朝日新聞のかなり勇気の要ったであろう訂正についてのみ、いつまでもネチネチと「謝罪せよ」「謝罪が足りない」と責め立てる商売第一の自称保守メディアと、それに快哉を送る自称ホシュやネトウヨ、それらをコアな支持層として活用する安倍一党、もう日本がどうしようもないところまで来ているのかもしれません。 そんな未来の無いとも思える日本の言論状況の中でも希望を失わず、現実に押し潰されそうになる人々の絶望感すら和らげ、発信され続けてきた「小林よしのりライジング」。それが今週めでたく100号に到達しました。本当におめでとうございます!そして有難うございます! 創刊号からの愛読者として、これからもコアな支持者でいたいと思います na85
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よしりん師範、笹師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、100号目も変わらぬパワーで執筆・編集・配信、ありがとうございました。
笹師範の100号記念映画評『飛べ!ダコタ』について「『おらっちなんら』にハマり中!!!」、大変興味深く読ませていただきました。当時を知る方からの生の声を誰よりも多く聞き、おそらく誰よりも戦史に詳しく、大東亜戦争は米国に追い込まれたため起こるべくして起きた、やらざるを得ない戦争であったことを十分承知であるはず笹師範が、「戦争を始めたのはおらっちなんら」という一見すると反戦平和的なセリフを大評価していることが見事だと思いました。
満州事変・支那事変から大東亜戦争に至るまでの間、翼賛マスコミが煽るまま戦争を支持したのは自分たちではなかったか?軍部だけのせいにして騙された風を装っていていいのか?もう一度同じような事態が起これば、同じ道筋を辿って戦争に突入するんじゃないか?そしてまた「騙された」と言うんじゃないか?と、明(村長)はあのセリフにこのような気持ちを込めて言ったのだと思うわけです。
そして、現在再び戦争の危機が近づいています。先の大戦は、米英支ソによって仕組まれ追い込まれて起こったという情状酌量の余地も、アジア独立解放という掲げるべき正義もあったわけですが、今度は単に隣国が怖いからとの理由で、世界覇権国に守ってもらうために、必要性も正義も無い戦争に引きずられて地球の裏側まで行こうとしています。『飛べ!ダコタ』は、こんな時代状況の中に生きる現代の我々こそ見るべき映画だと思います。「また騙された」と後で言わないためにも。
さて、現代に生きる我々の判断を狂わせ、再び戦争に突入させようとする勢力が2方向から迫っています。右側では盛んに隣国の脅威を煽りつつ米国への依存を「やむを得ない正義」だと誤認させ、左側では主に戦勝国へのご注進によって最早それがグローバルスタンダードなんだから謝罪するのも「やむを得ない正義」だと錯覚させています。
こうして危機感とフラストレーションを同時に高められた大衆は、為政者の威勢のいい物言いに喝采を送り、物言えぬ空気を自ら醸成して全体主義を加速させていきます。「中国が怖いから米国について行け」と言う本当は情けないはずの為政者までが頼もしく思えてくるのも、このような空気の効果でしかありません。そして、世界中で起こる対日謝罪要求というフラストレーションの原因をつくったのが、「慰安婦=性奴隷」という認識まで込みでブッシュに謝罪した第一次政権時代の安倍であるという事実もあまり知られていません。
謝罪したり、何らかの代償を払ったりすれば罪・咎・穢れがキレイに水に流され帳消しになるという考え方は、神道と共同体の国の民・日本人だけの感覚です。「自然に手を加えすぎればしっぺ返しを食らう」という真理に近い思想なら近年欧米人にも受け入れられているようですが、列島の中でのみ通じるジャパニーズ・スタンダードの中でも、特に幼児性の強い「謝罪」というものに対する感覚が、ルールの取り合いでしのぎを削る国際社会で通用するはずがありません。国際世論の中心をなす欧米キリスト教国が慰安婦を「戦時性奴隷」ともう決めてしまっているのですから。安倍のせいで…。
この甚だしい国益喪失をもたらした安倍の謝罪については一切を不問に付すくせに、朝日新聞のかなり勇気の要ったであろう訂正についてのみ、いつまでもネチネチと「謝罪せよ」「謝罪が足りない」と責め立てる商売第一の自称保守メディアと、それに快哉を送る自称ホシュやネトウヨ、それらをコアな支持層として活用する安倍一党、もう日本がどうしようもないところまで来ているのかもしれません。
そんな未来の無いとも思える日本の言論状況の中でも希望を失わず、現実に押し潰されそうになる人々の絶望感すら和らげ、発信され続けてきた「小林よしのりライジング」。それが今週めでたく100号に到達しました。本当におめでとうございます!そして有難うございます!
創刊号からの愛読者として、これからもコアな支持者でいたいと思います na85