よしりん師範、木闌師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、今週も執筆・編集・配信、ありがとうございました。 なるほど!エクソシストってそういうことだったのか!そして日本ではそれが狐憑きの除霊だったのか!今回そう素朴に感動したことをまず告白いたします。洋の東西を問わず共同体の中で異常な行動を取る人を見かけたら、まず内輪で何とかしようとし、それが甚だしい場合には人知を超えた何モノかの仕業であると認定し、その専門家が登場してお祓いをするのでしょう。その内輪でできることですが、それは年長者の注意・叱責であったり、共同体の昔ながらの掟に従ったペナルティであったりするわけです。もちろん共同体の最小単位である家族内でそれを発見した場合、叱り付けて止めさせるわけです。 しかし、それらが全く効かない場合は当然あるはずですが、その一つが脳神経同士の異常なシナプス形成により、性衝動と残虐行為が直結した場合であり、それが悪魔憑きや狐憑きとされてきたものの一部だろうとする、今回のよしりん師範の天才的直観には本当に舌を巻きました。このような快楽殺人に結びつくサイコパスには言って聞かせることができないため、確かに悪魔祓いの領分で間違いないと思います。 こういう場合は、神懸かり的な雰囲気の中で精神的恐怖と肉体的苦痛を同時に与えるようなお祓い行為を施し、強制的な神経回路の繋ぎ直しを行うしかないと思われます。つまり悪魔祓いです。近代ではこれは野蛮だと言われるでしょう。現代医療においては治療・矯正プログラムが施されるわけですが、替わりが務まっているかどうかに疑問は残ります。神経細胞の繋ぎ直しという荒業を行うには、前近代的な人権制限を伴う方法がやはり効果的であるように、私には思われます。 さてもう一つの問題です。「命は大切」「命は大切」と言い続ければ殺人やいじめが無くなるという言い分は、「平和が大切」「平和が大切」と言い続ければ平和が守られるという欺瞞の相似形であると思われます。この意味では佐世保という場所もなかなか象徴的です。その近傍の長崎市は2発目の原爆を落とされた都市であり、毎年夏になると市長が「核廃絶」と「平和」を訴え続ける土地柄ですが、その訴えは広島の死没者慰霊碑と同様、日本が悪いから落とされたというニュアンスしか許されないわけです。 そして佐世保には、同朋に原爆を落とした同じ相手が占領軍として自分たちに睨みを利かせ続ける米軍佐世保基地が存在しています。そこから出撃する米軍第七艦隊は「平和」から最も遠い行為を世界中でやらかしてもいます。また佐世保には海上自衛隊の基地もありますが、今次の集団的自衛権行使の限定的(笑)容認により、米軍に引きずられて積極的に「平和」を壊しに行くことが決定されました。 つまり佐世保は現代日本の欺瞞と矛盾の象徴のような土地柄だと言えます。このような土地では特に共同体機能が低下している可能性があり、子供たちの脳に一定の確率で発生する神経回路の異常なつながりによる異常行動を発見しにくくなると思われます。またそこに暮らす大人たちの言葉に矛盾やごまかしが多くなっても不思議はなく、小さな芽の段階で異常を矯正することも難しくなるはずです。異常者発生の主原因は先天異常ですが、後天的な促進要素は矛盾と欺瞞を濃縮したような佐世保の土地柄にもあるように思われるわけです。 「命が大切」と言うだけ言って具体的対策(神経回路の強制的繋ぎ直し)を取らないことと、「平和が大切」と言うだけ言って具体的対策(平和を守る前提条件である自主防衛)を目指さないことは相似形となっています。その矛盾の象徴のような都市で異常殺人が続いたことも象徴的だったと言えるのではないでしょうか。 さて、「ザ・神様」ですが、ニニギにとっては、大量の結納品とともにイワナガヒメまで送り届けられたことは「何の罰ゲーム?」という感覚だったことでしょうね。 しかしここで考えてみましょう。もしニニギがイワナガヒメまで娶ってしまったら、皇族やそれに連なる多くの氏族が今現在も不老長寿(中には不死もいるでしょう)を誇り、有限でない生を貪って無駄で浅ましい生き方をしていたかもしれません。つまりメメント・モリなコノハナサクヤが選ばれて正解だったと言えるわけです。 ただそれでだけで済まさないところが古事記の凄いところで、例えブスさんを選ばされた場合でも、どんな特典がついてくるかも判らんから悲観するなという教訓をもつけたのではないか、というのはさすがに穿ちすぎでしょうか? 死を思わねば命は輝かない na85
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よしりん師範、木闌師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、今週も執筆・編集・配信、ありがとうございました。
なるほど!エクソシストってそういうことだったのか!そして日本ではそれが狐憑きの除霊だったのか!今回そう素朴に感動したことをまず告白いたします。洋の東西を問わず共同体の中で異常な行動を取る人を見かけたら、まず内輪で何とかしようとし、それが甚だしい場合には人知を超えた何モノかの仕業であると認定し、その専門家が登場してお祓いをするのでしょう。その内輪でできることですが、それは年長者の注意・叱責であったり、共同体の昔ながらの掟に従ったペナルティであったりするわけです。もちろん共同体の最小単位である家族内でそれを発見した場合、叱り付けて止めさせるわけです。
しかし、それらが全く効かない場合は当然あるはずですが、その一つが脳神経同士の異常なシナプス形成により、性衝動と残虐行為が直結した場合であり、それが悪魔憑きや狐憑きとされてきたものの一部だろうとする、今回のよしりん師範の天才的直観には本当に舌を巻きました。このような快楽殺人に結びつくサイコパスには言って聞かせることができないため、確かに悪魔祓いの領分で間違いないと思います。
こういう場合は、神懸かり的な雰囲気の中で精神的恐怖と肉体的苦痛を同時に与えるようなお祓い行為を施し、強制的な神経回路の繋ぎ直しを行うしかないと思われます。つまり悪魔祓いです。近代ではこれは野蛮だと言われるでしょう。現代医療においては治療・矯正プログラムが施されるわけですが、替わりが務まっているかどうかに疑問は残ります。神経細胞の繋ぎ直しという荒業を行うには、前近代的な人権制限を伴う方法がやはり効果的であるように、私には思われます。
さてもう一つの問題です。「命は大切」「命は大切」と言い続ければ殺人やいじめが無くなるという言い分は、「平和が大切」「平和が大切」と言い続ければ平和が守られるという欺瞞の相似形であると思われます。この意味では佐世保という場所もなかなか象徴的です。その近傍の長崎市は2発目の原爆を落とされた都市であり、毎年夏になると市長が「核廃絶」と「平和」を訴え続ける土地柄ですが、その訴えは広島の死没者慰霊碑と同様、日本が悪いから落とされたというニュアンスしか許されないわけです。
そして佐世保には、同朋に原爆を落とした同じ相手が占領軍として自分たちに睨みを利かせ続ける米軍佐世保基地が存在しています。そこから出撃する米軍第七艦隊は「平和」から最も遠い行為を世界中でやらかしてもいます。また佐世保には海上自衛隊の基地もありますが、今次の集団的自衛権行使の限定的(笑)容認により、米軍に引きずられて積極的に「平和」を壊しに行くことが決定されました。
つまり佐世保は現代日本の欺瞞と矛盾の象徴のような土地柄だと言えます。このような土地では特に共同体機能が低下している可能性があり、子供たちの脳に一定の確率で発生する神経回路の異常なつながりによる異常行動を発見しにくくなると思われます。またそこに暮らす大人たちの言葉に矛盾やごまかしが多くなっても不思議はなく、小さな芽の段階で異常を矯正することも難しくなるはずです。異常者発生の主原因は先天異常ですが、後天的な促進要素は矛盾と欺瞞を濃縮したような佐世保の土地柄にもあるように思われるわけです。
「命が大切」と言うだけ言って具体的対策(神経回路の強制的繋ぎ直し)を取らないことと、「平和が大切」と言うだけ言って具体的対策(平和を守る前提条件である自主防衛)を目指さないことは相似形となっています。その矛盾の象徴のような都市で異常殺人が続いたことも象徴的だったと言えるのではないでしょうか。
さて、「ザ・神様」ですが、ニニギにとっては、大量の結納品とともにイワナガヒメまで送り届けられたことは「何の罰ゲーム?」という感覚だったことでしょうね。
しかしここで考えてみましょう。もしニニギがイワナガヒメまで娶ってしまったら、皇族やそれに連なる多くの氏族が今現在も不老長寿(中には不死もいるでしょう)を誇り、有限でない生を貪って無駄で浅ましい生き方をしていたかもしれません。つまりメメント・モリなコノハナサクヤが選ばれて正解だったと言えるわけです。
ただそれでだけで済まさないところが古事記の凄いところで、例えブスさんを選ばされた場合でも、どんな特典がついてくるかも判らんから悲観するなという教訓をもつけたのではないか、というのはさすがに穿ちすぎでしょうか?
死を思わねば命は輝かない na85