皆さん、おはようございます。朝から鳥がちゅんちゅん、太陽も出て来て今日も暑くなりそうな1日ですね!?(夏バテ気味) さて、これが最後の投稿になりそうです。この場ではもう、やり過ぎでしょう。 >>エシディシさん 好感を持てると仰って頂き、ありがとうございますm(_ _)m 私の気持ちを汲み取って頂けたようで、嬉しいです。 >>尻毛屋さん >>結城裕樹 その違和感って、例えるなら「通り魔が飲んでいた酒も一緒に罰する」的な違和感ではないでしょうか? 現実の世の中で酒が罰せられることはありません。何故なら、酒を飲むという決断をしたのも、実際に手を下したのも「犯人自身」だからです。しかし、アニメやマンガなどの表現になると罰しようという話が出る。 罰する側の主張として「表現には啓蒙性がある」というのもあるでしょうが、その主張も論拠に乏しいです。 さんざん言われてますが、事件発生との因果関係を示す科学的データが無い。読んだり見たりした人の全てが実際に同じような行動を起こしている訳でもありませんし。 では、行動を起こした人間と起こさなかった人間の違いは何か。私はそれが気になっていたのですが、それって「テイスティング能力」の違いなんじゃないでしょうか? 一口含んだ時、「この酒はこの場で飲んで良いものか?」「悪酔いしないだろうか?」「節度を守れるか?」 そんなふうに様々な酒を五感で味わいながら、自らの価値観や人生を研鑽し、自分だけの幸福を追求する。それを続けることで育まれるのが「テイスティング能力」でしょう。 これはアニメやマンガ、更に言えば小説や映画などの「全ての表現」に対しても、当てはまる事だと思います。 そして、それらを飲んでいて事件を起こす輩は自らの「テイスティング能力」の未熟さによって「悪酔い」したのです。 この部分を無視して規制すれば、近い将来には「戦争論を読んでいた奴が在日朝鮮人をリンチにして殺した。本人も影響を受けたと言っているし、戦争論も罰しよう」なんて理屈も正当化することに成りかねないのではないか? 私も含め、反対派の皆さんもそんな危惧を抱いているのではないでしょうか。それこそ、子どもたちの未来にマイナスに成りはしないかと。 「酒は飲んでも飲まれるな」、そんな標語を掲げて受け手の節度を自発的に向上していく。一人のオタクとしては、それが一番望ましいのではないかと考えています。 とは言え、標語を掲げるだけでは具体的防止策にはならず、賛成派の不安を払拭出来ない。 防止の部分について、オタクの側はもっと真剣に考えるべきだったじゃないかと。そうすれば、冷静な話し合いや妥協点を見つけ、国家に実行させることも出来たのではないか? そんなことを思いながら、ベターな落としどころを考えつつ、今日も社会に研鑽されに行ってきます。 皆さんも、お気をつけて!
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皆さん、おはようございます。朝から鳥がちゅんちゅん、太陽も出て来て今日も暑くなりそうな1日ですね!?(夏バテ気味)
さて、これが最後の投稿になりそうです。この場ではもう、やり過ぎでしょう。
>>エシディシさん
好感を持てると仰って頂き、ありがとうございますm(_ _)m
私の気持ちを汲み取って頂けたようで、嬉しいです。
>>尻毛屋さん
>>結城裕樹
その違和感って、例えるなら「通り魔が飲んでいた酒も一緒に罰する」的な違和感ではないでしょうか?
現実の世の中で酒が罰せられることはありません。何故なら、酒を飲むという決断をしたのも、実際に手を下したのも「犯人自身」だからです。しかし、アニメやマンガなどの表現になると罰しようという話が出る。
罰する側の主張として「表現には啓蒙性がある」というのもあるでしょうが、その主張も論拠に乏しいです。
さんざん言われてますが、事件発生との因果関係を示す科学的データが無い。読んだり見たりした人の全てが実際に同じような行動を起こしている訳でもありませんし。
では、行動を起こした人間と起こさなかった人間の違いは何か。私はそれが気になっていたのですが、それって「テイスティング能力」の違いなんじゃないでしょうか?
一口含んだ時、「この酒はこの場で飲んで良いものか?」「悪酔いしないだろうか?」「節度を守れるか?」
そんなふうに様々な酒を五感で味わいながら、自らの価値観や人生を研鑽し、自分だけの幸福を追求する。それを続けることで育まれるのが「テイスティング能力」でしょう。
これはアニメやマンガ、更に言えば小説や映画などの「全ての表現」に対しても、当てはまる事だと思います。
そして、それらを飲んでいて事件を起こす輩は自らの「テイスティング能力」の未熟さによって「悪酔い」したのです。
この部分を無視して規制すれば、近い将来には「戦争論を読んでいた奴が在日朝鮮人をリンチにして殺した。本人も影響を受けたと言っているし、戦争論も罰しよう」なんて理屈も正当化することに成りかねないのではないか?
私も含め、反対派の皆さんもそんな危惧を抱いているのではないでしょうか。それこそ、子どもたちの未来にマイナスに成りはしないかと。
「酒は飲んでも飲まれるな」、そんな標語を掲げて受け手の節度を自発的に向上していく。一人のオタクとしては、それが一番望ましいのではないかと考えています。
とは言え、標語を掲げるだけでは具体的防止策にはならず、賛成派の不安を払拭出来ない。
防止の部分について、オタクの側はもっと真剣に考えるべきだったじゃないかと。そうすれば、冷静な話し合いや妥協点を見つけ、国家に実行させることも出来たのではないか?
そんなことを思いながら、ベターな落としどころを考えつつ、今日も社会に研鑽されに行ってきます。
皆さんも、お気をつけて!