度々、児童ポルノ法について描きこんでしまい、失礼します。カレー千兵衛さんやリボンの騎士さんの見解を読み、またさらに考えて行く内に児童ポルノ法にまた新たな見解が出てきたからなのです。 実は、児童ポルノ法が執行されていても海外の映画を含む、明らかに児童ポルノ法に接触すると思われる映像作品がいまでも日本で字幕付きで販売されているという現状があり、さらにこれら作品が出版国でも日本でも児童ポルノ法に接触して回収されるか販売中止になったという話は聞いたことがないのです。 題名を例に挙げますと 「蝶の舌」「エコール」「ロミオとジュリエット(1968年作)」「小さな唇」 などで、これら作品は回収騒ぎになった河西智美写真集以上に過激な場面があり、児童ポルノ法反対派なり、賛成派からしても明らかに法に接触する恐れの作品としてとらえるのではと思います。 ただし、これら作品は性風俗産業でもなければ正式な性風俗産業を通して作られた違法作品ではないことから違法扱いにならないのだと考えます。 実は、現行の児童ポルノ法でも適切に運用されていれば私は賛成の立場となりました。それは、児童ポルノ法は未成年者の性風俗産業への参加と、正式な出版などの手続きを得ずに性欲処理のために金銭で取引する違法性産業への介入を事前に防止する装置であり、たとえば親が自分のこの猥雑な写真を撮影して高値で個人業として売りつけるのは児童ポルノ法ですし、未成年者を性風俗産業に参加させるか、これと同じ事業に参加させることも明らかに児童ポルノ法違反となり、これら違法産業によって撮影された映像や写真であれば、自分の親類等が被害者であればやはり、単純所得の違法性には賛成となるでしょう。 ただし、これが栗山千明氏の「神話少女」などの写真集や「蝶の舌」「ロミオとジュリエット」などの映像作品のように、正式に政策、放映、出版されるなどして作られた芸術性とする作品となるとこれらは例え未成年者であっても、児童ポルノ法は適用されないとおもうのです。なぜなら、出演者をはじめ、芸能作品における芸能活動であり、性風俗産業ではないからなのです。そして、これは裏で商売をすること行為でもないからなのです。これは漫画やアニメーションでも事情は同じであると考えます。 そして、カレー千兵衛さんやリボンの騎士さんがいうように、本来、内心に止める裏の産業である性風俗産業やそれに値する趣向を隠しもせずに堂々と集めている様を見れば誰だって警戒するでしょうし、自分が裏として押し止めておく心を裏と認識せずに公に出していく行為にはたとえ少しであっても警戒するべきであり、至極真っ当なお気持ちであると考えます。世間では裏としてとどめておくべき趣味を包み隠さずに出す、あるいは隠そうという心掛けもないような公の観念がない人は早々に事前逮捕されて社会から隔離されてしかるべきであると思います。 よって、現在問題となっている児童ポルノ法は賛成か否かではなく、適切に海外の例も含めてどのように運用するべきか否かであり、この児童ポルノ法の議論を視野を狭くし、話を進めなくさせているのは紛れもなく頭のない所謂「オタク」であると思います。恐らくはこれら「オタク」は自分の世界が脅かされるということだけしか頭になく、法律という「公」の概念が全く整っていないのでしょう。その点では倉敷で児童誘拐事件を起こした犯人と同じです。 もし、児童ポルノ法も適切な運用がなされ、皆が適切に理解していれば「オタク」のような表現規制というだけにとどまるような反対意見と論争はおこらなかったでしょうし、児童を如何にして守るかという適切な議論がもっと幅広く論議されていたと思います。 よって、結論から言えば私欲に塗れて公を意識する感覚が皆無な輩を取り締まる法律と規制は必要。児童ポルノ法も未成年者の性欲を商売にした裏取引や性風俗産業への未成年者の参入の阻止という適切な運用がなされるなら単純所得の違法性も含めて賛成。 ただし、映像作品や写真集などの芸術、芸能活動に干渉する場合は反体 という結論に達しました。 児童を守るにはどうしたらいいかという案がまだだったので、長くなりますが、ここで簡素に述べさせていただきますと、私は農業研修生として里山で新たな共同体を作り、強い信頼関係の下で暮らしていくために只今、奮闘しております。ただ、作物を作るだけではなく周囲の人々との信頼関係を作り、人の話を聞き、時には無数の動植物との共生も一つの義務に関わってくることから、人の話をよく聞きながら信頼関係なくして生きていけない世界でもあります。決められた時間に出社するという義務もなければ暗黙の了解も無数にあり、その分、多くの知恵と情報を分け合い、時には心を分かち合いながらお互いに助け合う共同体を作り、そこには孤立という存在はありません。 これからは江戸期の知恵をだしながら、自分が根を下ろす土地における共同体を強くし、都心部の砂粒個人主義につかれた新参者を迎え入れるように頑張り、やがてそこに自分が世話をするであろう子供を皆で面倒を見て孤立させない里山共同体を作っていくことこそが、児童を悪質な犯罪から守る重要な鍵であると信じます。 またまた長文失礼しました。
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度々、児童ポルノ法について描きこんでしまい、失礼します。カレー千兵衛さんやリボンの騎士さんの見解を読み、またさらに考えて行く内に児童ポルノ法にまた新たな見解が出てきたからなのです。
実は、児童ポルノ法が執行されていても海外の映画を含む、明らかに児童ポルノ法に接触すると思われる映像作品がいまでも日本で字幕付きで販売されているという現状があり、さらにこれら作品が出版国でも日本でも児童ポルノ法に接触して回収されるか販売中止になったという話は聞いたことがないのです。
題名を例に挙げますと
「蝶の舌」「エコール」「ロミオとジュリエット(1968年作)」「小さな唇」
などで、これら作品は回収騒ぎになった河西智美写真集以上に過激な場面があり、児童ポルノ法反対派なり、賛成派からしても明らかに法に接触する恐れの作品としてとらえるのではと思います。
ただし、これら作品は性風俗産業でもなければ正式な性風俗産業を通して作られた違法作品ではないことから違法扱いにならないのだと考えます。
実は、現行の児童ポルノ法でも適切に運用されていれば私は賛成の立場となりました。それは、児童ポルノ法は未成年者の性風俗産業への参加と、正式な出版などの手続きを得ずに性欲処理のために金銭で取引する違法性産業への介入を事前に防止する装置であり、たとえば親が自分のこの猥雑な写真を撮影して高値で個人業として売りつけるのは児童ポルノ法ですし、未成年者を性風俗産業に参加させるか、これと同じ事業に参加させることも明らかに児童ポルノ法違反となり、これら違法産業によって撮影された映像や写真であれば、自分の親類等が被害者であればやはり、単純所得の違法性には賛成となるでしょう。
ただし、これが栗山千明氏の「神話少女」などの写真集や「蝶の舌」「ロミオとジュリエット」などの映像作品のように、正式に政策、放映、出版されるなどして作られた芸術性とする作品となるとこれらは例え未成年者であっても、児童ポルノ法は適用されないとおもうのです。なぜなら、出演者をはじめ、芸能作品における芸能活動であり、性風俗産業ではないからなのです。そして、これは裏で商売をすること行為でもないからなのです。これは漫画やアニメーションでも事情は同じであると考えます。
そして、カレー千兵衛さんやリボンの騎士さんがいうように、本来、内心に止める裏の産業である性風俗産業やそれに値する趣向を隠しもせずに堂々と集めている様を見れば誰だって警戒するでしょうし、自分が裏として押し止めておく心を裏と認識せずに公に出していく行為にはたとえ少しであっても警戒するべきであり、至極真っ当なお気持ちであると考えます。世間では裏としてとどめておくべき趣味を包み隠さずに出す、あるいは隠そうという心掛けもないような公の観念がない人は早々に事前逮捕されて社会から隔離されてしかるべきであると思います。
よって、現在問題となっている児童ポルノ法は賛成か否かではなく、適切に海外の例も含めてどのように運用するべきか否かであり、この児童ポルノ法の議論を視野を狭くし、話を進めなくさせているのは紛れもなく頭のない所謂「オタク」であると思います。恐らくはこれら「オタク」は自分の世界が脅かされるということだけしか頭になく、法律という「公」の概念が全く整っていないのでしょう。その点では倉敷で児童誘拐事件を起こした犯人と同じです。
もし、児童ポルノ法も適切な運用がなされ、皆が適切に理解していれば「オタク」のような表現規制というだけにとどまるような反対意見と論争はおこらなかったでしょうし、児童を如何にして守るかという適切な議論がもっと幅広く論議されていたと思います。
よって、結論から言えば私欲に塗れて公を意識する感覚が皆無な輩を取り締まる法律と規制は必要。児童ポルノ法も未成年者の性欲を商売にした裏取引や性風俗産業への未成年者の参入の阻止という適切な運用がなされるなら単純所得の違法性も含めて賛成。
ただし、映像作品や写真集などの芸術、芸能活動に干渉する場合は反体
という結論に達しました。
児童を守るにはどうしたらいいかという案がまだだったので、長くなりますが、ここで簡素に述べさせていただきますと、私は農業研修生として里山で新たな共同体を作り、強い信頼関係の下で暮らしていくために只今、奮闘しております。ただ、作物を作るだけではなく周囲の人々との信頼関係を作り、人の話を聞き、時には無数の動植物との共生も一つの義務に関わってくることから、人の話をよく聞きながら信頼関係なくして生きていけない世界でもあります。決められた時間に出社するという義務もなければ暗黙の了解も無数にあり、その分、多くの知恵と情報を分け合い、時には心を分かち合いながらお互いに助け合う共同体を作り、そこには孤立という存在はありません。
これからは江戸期の知恵をだしながら、自分が根を下ろす土地における共同体を強くし、都心部の砂粒個人主義につかれた新参者を迎え入れるように頑張り、やがてそこに自分が世話をするであろう子供を皆で面倒を見て孤立させない里山共同体を作っていくことこそが、児童を悪質な犯罪から守る重要な鍵であると信じます。
またまた長文失礼しました。