先週と、今週のライジングを読んで、二週続けて楽しい一時を過ごさせていただきました。 これまで大学の研究室から社会人へと自分なりに様々な女性を男性と同じく、見てきましたが今回のライジングを読んで、いままで見てきた日本における男女不平等を的確に、かつ正確に小林師範が述べてくれたと確信しています。大学の研究室では女性の人数が圧倒的に多かったのですが、教授陣が男性中心であることから男性を立てる女性が圧倒的に占めていて、この男性を建てる女性を否定する、もしくは非協力的な人が研究室や研究課題から排除される傾向が極めて強かったのを覚えています。また、大学院生の方も男性が圧倒的に多く、女性の場合は他の大学院に進学するという手段を取るしか方法がありませんでした。また、教授陣が女生徒が集まっていると見るや女子だけを集めて自分の過去の話(自慢話)をするために実験や研究の時間を潰させて聞いてもらうという接待役をやらせ、セクハラ問題を避けるためにあえて、隠すために男子学生を一人混ぜるなど、男女不平等の解消を邪魔な存在としか思っていない人々が圧倒的多数でした。 また、女子学生の方もその道以外では大学では生き残れる手段がないと思っているのか、他の手段を取ろうという発想はあっても実現が難しいと半ばあきらめている女性が多く、男女不平等の解消を少しでも真剣に語ろうとする、あるいは現状を変えようとする人、あるいは現状の不平等にうまくなじめないとみられる人々は男女問わず例外なく、これら女子からまず、つまはじきにされていました。よって、女子の方も男女不平等の解消を自分の立場を守るためという私欲のために利用されているという有様でとてもではないですけど、欧米の言う男女平等とはほど遠い存在でした。 以前に勤めていた企業でも女子の社員の数は圧倒的に少なく、管理職となると女性はほぼ皆無であり、残っていても例外なく事務が中心の部署に回されます。なぜかと言いますと、管理職や技術職、営業職となると出張も多くなり、出張先が僻地の場所であることが多いことから宿泊施設も男女に分けられる宿泊施設がないというのが社内の方針でしたが、今後、ますます経済の停滞が予想される中で女性の活動範囲を広げようとしない行動にとても違和感があり、どこにも男女の平等は見られませんでした。また、「男女の平等」を言おうものならば、「ストの決行」と同等に扱われ、車内は保守傾向が強いという理由で一蹴されてしまうような雰囲気だったのです。このような状態であれば女性の貧困化が先進国中で最悪という意見も納得してしまいますし、派遣となるとやたらに女性が多くなるという企業の現場を見ても、今後、ますます出生率は低下するしかないと思えてなりません。 欧米と違い、現在の日本では女性の活用を含む男女平等というものは男女両方にとって障害物でしかありません。これが欧米だと男女平等は大きな目標となって表れてくるのです。そもそも、日本の長い歴史を見渡せば、皇室の歴史にも女性天皇、女系天皇がいて、歴史的にも大活躍していることから、時代や地域、職業において独自に柔軟に男女それぞれに性に固執されない柔軟な役割と平等があったと思いますし、この長い歴史に学べばいまのような男女不平等は決して容認しないでしょうし、独自に性差別を解消していけると思います。 事実、江戸時代においても人口の大半を占めていた百姓は男女の役割はほぼ同じで入り婿、婿養子は当たり前で、武家でも大奥の意志が中心的になり、江戸の町民の間では一妻多夫が発生するほど女性の力が優位になるなど、自身の心に歴史が存在していれば歴史に通じる独自の男女平等を再考しつつ、さりげなく欧米の男女平等を取り入れたこれまでにない性差別解消法を成立させることが我々にとっての課題なのではないのかと思います。 しかし、この言葉をそっくりそのまま言っても江戸時代が前近代的であり、男女平等を「ジェンダーフリー」と混合されがちであることから男女問わず、ひかれて終わりです。その一方で大半の若い男女は現状の男女不平等について嫌気がしていることはわかってもいるわけです。坂の下の土地を耕すためにも今の男尊女卑が蔓延る社会を如何にして歴史からつなげる形で解消させていくか真剣に取り組まなければ、我々は男として、あるいは女として何を護り、何を打ち払って改善していくべきか永遠に解らないと思います。故に今回のライジングで取り上げられた都議会で見られた「男尊女卑」は皇統を始めとする我が國の行く末を考える上でこの上なく重要な本題であると思います。 男女不平等における男女間の不満が残るのは歴史に通じていない紛い物の上に成り立っているから。
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先週と、今週のライジングを読んで、二週続けて楽しい一時を過ごさせていただきました。
これまで大学の研究室から社会人へと自分なりに様々な女性を男性と同じく、見てきましたが今回のライジングを読んで、いままで見てきた日本における男女不平等を的確に、かつ正確に小林師範が述べてくれたと確信しています。大学の研究室では女性の人数が圧倒的に多かったのですが、教授陣が男性中心であることから男性を立てる女性が圧倒的に占めていて、この男性を建てる女性を否定する、もしくは非協力的な人が研究室や研究課題から排除される傾向が極めて強かったのを覚えています。また、大学院生の方も男性が圧倒的に多く、女性の場合は他の大学院に進学するという手段を取るしか方法がありませんでした。また、教授陣が女生徒が集まっていると見るや女子だけを集めて自分の過去の話(自慢話)をするために実験や研究の時間を潰させて聞いてもらうという接待役をやらせ、セクハラ問題を避けるためにあえて、隠すために男子学生を一人混ぜるなど、男女不平等の解消を邪魔な存在としか思っていない人々が圧倒的多数でした。
また、女子学生の方もその道以外では大学では生き残れる手段がないと思っているのか、他の手段を取ろうという発想はあっても実現が難しいと半ばあきらめている女性が多く、男女不平等の解消を少しでも真剣に語ろうとする、あるいは現状を変えようとする人、あるいは現状の不平等にうまくなじめないとみられる人々は男女問わず例外なく、これら女子からまず、つまはじきにされていました。よって、女子の方も男女不平等の解消を自分の立場を守るためという私欲のために利用されているという有様でとてもではないですけど、欧米の言う男女平等とはほど遠い存在でした。
以前に勤めていた企業でも女子の社員の数は圧倒的に少なく、管理職となると女性はほぼ皆無であり、残っていても例外なく事務が中心の部署に回されます。なぜかと言いますと、管理職や技術職、営業職となると出張も多くなり、出張先が僻地の場所であることが多いことから宿泊施設も男女に分けられる宿泊施設がないというのが社内の方針でしたが、今後、ますます経済の停滞が予想される中で女性の活動範囲を広げようとしない行動にとても違和感があり、どこにも男女の平等は見られませんでした。また、「男女の平等」を言おうものならば、「ストの決行」と同等に扱われ、車内は保守傾向が強いという理由で一蹴されてしまうような雰囲気だったのです。このような状態であれば女性の貧困化が先進国中で最悪という意見も納得してしまいますし、派遣となるとやたらに女性が多くなるという企業の現場を見ても、今後、ますます出生率は低下するしかないと思えてなりません。
欧米と違い、現在の日本では女性の活用を含む男女平等というものは男女両方にとって障害物でしかありません。これが欧米だと男女平等は大きな目標となって表れてくるのです。そもそも、日本の長い歴史を見渡せば、皇室の歴史にも女性天皇、女系天皇がいて、歴史的にも大活躍していることから、時代や地域、職業において独自に柔軟に男女それぞれに性に固執されない柔軟な役割と平等があったと思いますし、この長い歴史に学べばいまのような男女不平等は決して容認しないでしょうし、独自に性差別を解消していけると思います。
事実、江戸時代においても人口の大半を占めていた百姓は男女の役割はほぼ同じで入り婿、婿養子は当たり前で、武家でも大奥の意志が中心的になり、江戸の町民の間では一妻多夫が発生するほど女性の力が優位になるなど、自身の心に歴史が存在していれば歴史に通じる独自の男女平等を再考しつつ、さりげなく欧米の男女平等を取り入れたこれまでにない性差別解消法を成立させることが我々にとっての課題なのではないのかと思います。
しかし、この言葉をそっくりそのまま言っても江戸時代が前近代的であり、男女平等を「ジェンダーフリー」と混合されがちであることから男女問わず、ひかれて終わりです。その一方で大半の若い男女は現状の男女不平等について嫌気がしていることはわかってもいるわけです。坂の下の土地を耕すためにも今の男尊女卑が蔓延る社会を如何にして歴史からつなげる形で解消させていくか真剣に取り組まなければ、我々は男として、あるいは女として何を護り、何を打ち払って改善していくべきか永遠に解らないと思います。故に今回のライジングで取り上げられた都議会で見られた「男尊女卑」は皇統を始めとする我が國の行く末を考える上でこの上なく重要な本題であると思います。
男女不平等における男女間の不満が残るのは歴史に通じていない紛い物の上に成り立っているから。