<続き> 西郷は謀略によって、西郷の朝鮮派遣を潰した大久保らに嫌悪感を抱いたのは事実だと思いますが、これ幸いに権力闘争の道具に使おうとした連中にも同様の感情を抱いたのではないでしょうか。「国内にごたごたを起こして国力を弱めるのは、もってのほかの暴挙」というのが西郷の持論でしたから。鹿児島で動乱が起きたときに「しもた」と叫んだのは有名ですしね。しかし、一旦事が起こった以上は第2の維新を目指して闘ったのです。 西郷隆盛が西南戦争で亡くなったことを後年に勝海舟が「西郷は子分の為に骨を秋風に晒してしまった。三千の子弟の血管を湧かした以上は、自分独り華族様などをやって済ましこむことが出来なかったのだ・・・それを小刀細工の勤王論などで攻撃するのは野暮の骨頂だ。西郷は決して野心などはない。しかし、あれだけの人物を弟子の為に情死させたのは惜しいものだ・・・」と言っています。 もし、西郷が生きていたらは永遠のテーマではないでしょうか。
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小林よしのりチャンネル
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西郷は謀略によって、西郷の朝鮮派遣を潰した大久保らに嫌悪感を抱いたのは事実だと思いますが、これ幸いに権力闘争の道具に使おうとした連中にも同様の感情を抱いたのではないでしょうか。「国内にごたごたを起こして国力を弱めるのは、もってのほかの暴挙」というのが西郷の持論でしたから。鹿児島で動乱が起きたときに「しもた」と叫んだのは有名ですしね。しかし、一旦事が起こった以上は第2の維新を目指して闘ったのです。
西郷隆盛が西南戦争で亡くなったことを後年に勝海舟が「西郷は子分の為に骨を秋風に晒してしまった。三千の子弟の血管を湧かした以上は、自分独り華族様などをやって済ましこむことが出来なかったのだ・・・それを小刀細工の勤王論などで攻撃するのは野暮の骨頂だ。西郷は決して野心などはない。しかし、あれだけの人物を弟子の為に情死させたのは惜しいものだ・・・」と言っています。
もし、西郷が生きていたらは永遠のテーマではないでしょうか。