よしりん師範、『大東亜論』「巨傑誕生編」を読ませていただきました。以下に感銘に残ったことをつらつらと書きます。 来島恒喜のテロ決行前の言葉「男児一たび死を決すれば、胸襟落々、一塵を留めざるがごとく、快これに過ぐるなし!」は実に爽快です。そして全く悲壮感がありません。日本人は判官贔屓で悲劇が好きなため、英雄的行為も自己犠牲的に描かなければ気が済まないという傾向がありますが、武士の系譜につながる日本男児が本懐を遂げるときの実際の心情とは、こういう来島的爽快さを伴うのが正しいのかもしれません。ヤマトタケル~源義経~赤穂義士~白虎隊~西郷隆盛~特攻隊に至るまで、これまで犠牲者として描かれ過ぎてきた感があります。しかし戦国武将たちにはウェットな人物は少なく、劇中で紹介された高橋紹運のように悲壮感より勇ましさが前面に出る人物が多かったはずです。 来島恒喜が歴史上の英雄として登場できない理由は幾つかあると思います。まずGHQに危険視されて解体され「アジア侵略の尖兵」という真逆のレッテルを貼られた玄洋社において伝説となった存在であること。次に戦争とともにあらゆる暴力を否定しつつ生命尊重を叫ぶ戦後の風潮においてはテロ行為を行った直後自殺した人物は絶対に賞賛できないこと。そして国家否定の戦後空間においては国のために働いた人間を正面から称えられないこと(国の犠牲となった人物ならOK)。これらに加えて、来島の行為には悲劇性がほとんど感じられず、むしろ爽快感すら伴っていることも理由としてある様な気がします。 来島恒喜は遺書で語りました。当時の玄洋社の大勢を占めていた、相愛社と大同団結するような頭数を頼む行き方より、「一人を以て千万人に当たる人物を見出すことが必要」「死もいとわない5人~7人いればよい」という頭山満の方針こそが正しかったと。節操もなく政府側とすら見られていた紫溟会こそ実は信用に足る存在であったと。頭山は周りに間違った方針を掲げる人間がいてもあえて説得しようとはしないため孤立していましたが、来島の遺書によって誤解が解け、玄洋社は正しい方向へ軌道修正されました。またこれによって箱田六輔の死も報われました。来島は一死を以て全ての問題を引き受けたわけです。国家の大問題も玄洋社の内紛も。 来島はまた周到な準備によって一人の連累も出さず逝ったことが見事でした。条約改正問題は確かに玄洋社にとっても試練ではありましたが、この一事で頭山たちに累が及んでは玄洋社はこの後の大事業を果たせなくなるわけです。来島が金玉均との約束である朝鮮改革と条約改正問題で果たすべき役割との間で板挟みだと葛生玄晫(来島に炸裂弾を渡した人物)に語ったとき、意気に感じた葛生に朝鮮改革の遺志が結果として受け継がれたことも感動的でした。実際の決行もその後の自決も、上手くできるかという迷いなども一切なく、流れるような所作だと思いました。覚悟の定まった者は死の準備や死に際の行動に全く無駄がなく冷静であり、その一つ一つがまさに「一塵を留めざるがごとく」美しいと思えました。自分に死期が迫ってそれを自覚したとき、このように冷静でいられるかを考え続けたいと思います。 これで『挑戦的平和論』から『反TPP論』までつながりました。「血風士魂編」ではさらに時代を少し遡り、その先の大アジア主義を扱う巻ではきっと『戦争論』までつながるのでしょう。封印された真の日本史を紡ぐ一大叙事詩の始動に胸躍らせております。よしりん師範の『大東亜論』は、大東亜に散った英霊が正当に評価されるための最も有効な事業になると確信しました。 『大東亜論』は現代日本に絶望しないためにも必要 na85
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よしりん師範、『大東亜論』「巨傑誕生編」を読ませていただきました。以下に感銘に残ったことをつらつらと書きます。
来島恒喜のテロ決行前の言葉「男児一たび死を決すれば、胸襟落々、一塵を留めざるがごとく、快これに過ぐるなし!」は実に爽快です。そして全く悲壮感がありません。日本人は判官贔屓で悲劇が好きなため、英雄的行為も自己犠牲的に描かなければ気が済まないという傾向がありますが、武士の系譜につながる日本男児が本懐を遂げるときの実際の心情とは、こういう来島的爽快さを伴うのが正しいのかもしれません。ヤマトタケル~源義経~赤穂義士~白虎隊~西郷隆盛~特攻隊に至るまで、これまで犠牲者として描かれ過ぎてきた感があります。しかし戦国武将たちにはウェットな人物は少なく、劇中で紹介された高橋紹運のように悲壮感より勇ましさが前面に出る人物が多かったはずです。
来島恒喜が歴史上の英雄として登場できない理由は幾つかあると思います。まずGHQに危険視されて解体され「アジア侵略の尖兵」という真逆のレッテルを貼られた玄洋社において伝説となった存在であること。次に戦争とともにあらゆる暴力を否定しつつ生命尊重を叫ぶ戦後の風潮においてはテロ行為を行った直後自殺した人物は絶対に賞賛できないこと。そして国家否定の戦後空間においては国のために働いた人間を正面から称えられないこと(国の犠牲となった人物ならOK)。これらに加えて、来島の行為には悲劇性がほとんど感じられず、むしろ爽快感すら伴っていることも理由としてある様な気がします。
来島恒喜は遺書で語りました。当時の玄洋社の大勢を占めていた、相愛社と大同団結するような頭数を頼む行き方より、「一人を以て千万人に当たる人物を見出すことが必要」「死もいとわない5人~7人いればよい」という頭山満の方針こそが正しかったと。節操もなく政府側とすら見られていた紫溟会こそ実は信用に足る存在であったと。頭山は周りに間違った方針を掲げる人間がいてもあえて説得しようとはしないため孤立していましたが、来島の遺書によって誤解が解け、玄洋社は正しい方向へ軌道修正されました。またこれによって箱田六輔の死も報われました。来島は一死を以て全ての問題を引き受けたわけです。国家の大問題も玄洋社の内紛も。
来島はまた周到な準備によって一人の連累も出さず逝ったことが見事でした。条約改正問題は確かに玄洋社にとっても試練ではありましたが、この一事で頭山たちに累が及んでは玄洋社はこの後の大事業を果たせなくなるわけです。来島が金玉均との約束である朝鮮改革と条約改正問題で果たすべき役割との間で板挟みだと葛生玄晫(来島に炸裂弾を渡した人物)に語ったとき、意気に感じた葛生に朝鮮改革の遺志が結果として受け継がれたことも感動的でした。実際の決行もその後の自決も、上手くできるかという迷いなども一切なく、流れるような所作だと思いました。覚悟の定まった者は死の準備や死に際の行動に全く無駄がなく冷静であり、その一つ一つがまさに「一塵を留めざるがごとく」美しいと思えました。自分に死期が迫ってそれを自覚したとき、このように冷静でいられるかを考え続けたいと思います。
これで『挑戦的平和論』から『反TPP論』までつながりました。「血風士魂編」ではさらに時代を少し遡り、その先の大アジア主義を扱う巻ではきっと『戦争論』までつながるのでしょう。封印された真の日本史を紡ぐ一大叙事詩の始動に胸躍らせております。よしりん師範の『大東亜論』は、大東亜に散った英霊が正当に評価されるための最も有効な事業になると確信しました。
『大東亜論』は現代日本に絶望しないためにも必要 na85