よしりん師範、木蘭師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、本年もよろしくお願いいたします。 まず、映画「ハンナ・アーレント」について書くことをお許しください。「ユダヤ人を絶滅させなければならない」という妄想にかられてそれを実行に移したヒトラーは徹頭徹尾「私」の存在でした。そのヒトラーが組織したナチスという私的集団において優秀な官僚であったアイヒマンは、考えることを止めてポジションに相応しい働き=ユダヤ人をガス室に送る事務手続きを続けました。これはオウムという私的集団における麻原と幹部の関係に似ています。 しかしナチスやオウムが特殊なのではなく、組織が罪を犯す場合、そこに属す凡庸な個人が善悪の判断を放棄することで大きな被害が起こり得ます。例えば利益最優先、株主への配当最優先の私企業の場合、たとえトップに悪のカリスマがいなくても社内の人間は「凡庸な悪」になる可能性があるわけです。毒物と知りつつ売り続ける企業や公害を出し続ける企業が典型ですが、経済界が結託して空気をつくりだし、TPP参加・改革路線推進・原発再稼働・経済成長路線推進といった要求をマスコミとホシュ政治家に働きかける現状も、やがて庶民に被害が及ぶことが判ってやるわけですから同様だと思われます。凡庸な悪となりうる者の集合体が経済界であり、その走狗が産経新聞などホシュメディアであり、自称ホシュ言論人はそこでムラを形成して棲息し、ポジショントークを繰り返しているわけです。 大戦中ナチスの手を逃れたユダヤ人アーレントは、米国に渡って哲学者・大学教授の職を得ました。戦後逃亡していたアイヒマンが逮捕されると、アーレントは裁判の傍聴を希望してニューヨーカー誌の特派員となりました。米国やイスラエルのユダヤ人社会からはアイヒマンを悪魔のような人物として描くことを期待されましたが、アーレントは見たままの凡庸な官僚として描き出しました。またユダヤ人指導者がナチスに協力したせいで犠牲者が増えたことにも記事で触れました。ユダヤ人社会から総スカンを食らったとしても、ユダヤ人学者としてのポジショントークには堕さない決意をしたわけです。このアーレントの姿勢は、「ゴー宣」を続けるに当たってどの陣営にも属さず「王様は裸だ」と言い続けてきたよしりん師範にぴったりと重なりました。「自ら省みて直くんば千万人と言えども吾往かん」という言葉は頭山満とよしりん師範のためにある言葉だと思います。だから私にとってよしりん師範は最早日本で唯一信頼できる言論人なのです。 さて、天皇陛下は臣民全ての幸福を祈る究極の「公」の存在です。日本の国体は「天皇を中心に置いた支配無き自己統治」だと『天皇論』シリーズで教えていただきました。左翼が言うように私+私+私…=公とならないことは明らかであるため、やや飛躍しすぎかもしれませんが、日本における様々な共同体に属す個人は、常に公の存在としてある天皇陛下の祈りを大なり小なり意識することで公のための活動ができるのかもしれません。天皇という公の存在が消えれば日本人は自己統治ができなくなり、四分五裂する私的集団内で空気に支配されるだけの烏合の衆になるでしょう。 自称ホシュ言論人の天皇なきナショナリズムは左翼の反天皇制も同然であり、皇統断絶に向かう男系絶対を主張しているという点からも全く信用ならない代物です。結局ポジショントークしかしない口舌の徒は、翼の左右を問わず、本業が学問かジャーナリズムか政治かも問わず、プロフェッショナルではないため、「凡庸な悪」の世間を形成するしかなかったのでしょう。そして左右の言論人がグローバリズムを礼賛し続けたせいかどうかは知りませんが、あらゆる業界において本物しか生き残れない時代が到来し結局自らの首も絞めることになりました。 プチっと潰れてしまったスクナビコナのことは気になりますが、今回はもう長くなりすぎました。でも「目線を下げろ」「現場を見ろ」というプロのための重要な教えは頂きました。 「プロになれ」「プロの時代だ」という先生の予言はこうして当たりました na85
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よしりん師範、木蘭師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、本年もよろしくお願いいたします。
まず、映画「ハンナ・アーレント」について書くことをお許しください。「ユダヤ人を絶滅させなければならない」という妄想にかられてそれを実行に移したヒトラーは徹頭徹尾「私」の存在でした。そのヒトラーが組織したナチスという私的集団において優秀な官僚であったアイヒマンは、考えることを止めてポジションに相応しい働き=ユダヤ人をガス室に送る事務手続きを続けました。これはオウムという私的集団における麻原と幹部の関係に似ています。
しかしナチスやオウムが特殊なのではなく、組織が罪を犯す場合、そこに属す凡庸な個人が善悪の判断を放棄することで大きな被害が起こり得ます。例えば利益最優先、株主への配当最優先の私企業の場合、たとえトップに悪のカリスマがいなくても社内の人間は「凡庸な悪」になる可能性があるわけです。毒物と知りつつ売り続ける企業や公害を出し続ける企業が典型ですが、経済界が結託して空気をつくりだし、TPP参加・改革路線推進・原発再稼働・経済成長路線推進といった要求をマスコミとホシュ政治家に働きかける現状も、やがて庶民に被害が及ぶことが判ってやるわけですから同様だと思われます。凡庸な悪となりうる者の集合体が経済界であり、その走狗が産経新聞などホシュメディアであり、自称ホシュ言論人はそこでムラを形成して棲息し、ポジショントークを繰り返しているわけです。
大戦中ナチスの手を逃れたユダヤ人アーレントは、米国に渡って哲学者・大学教授の職を得ました。戦後逃亡していたアイヒマンが逮捕されると、アーレントは裁判の傍聴を希望してニューヨーカー誌の特派員となりました。米国やイスラエルのユダヤ人社会からはアイヒマンを悪魔のような人物として描くことを期待されましたが、アーレントは見たままの凡庸な官僚として描き出しました。またユダヤ人指導者がナチスに協力したせいで犠牲者が増えたことにも記事で触れました。ユダヤ人社会から総スカンを食らったとしても、ユダヤ人学者としてのポジショントークには堕さない決意をしたわけです。このアーレントの姿勢は、「ゴー宣」を続けるに当たってどの陣営にも属さず「王様は裸だ」と言い続けてきたよしりん師範にぴったりと重なりました。「自ら省みて直くんば千万人と言えども吾往かん」という言葉は頭山満とよしりん師範のためにある言葉だと思います。だから私にとってよしりん師範は最早日本で唯一信頼できる言論人なのです。
さて、天皇陛下は臣民全ての幸福を祈る究極の「公」の存在です。日本の国体は「天皇を中心に置いた支配無き自己統治」だと『天皇論』シリーズで教えていただきました。左翼が言うように私+私+私…=公とならないことは明らかであるため、やや飛躍しすぎかもしれませんが、日本における様々な共同体に属す個人は、常に公の存在としてある天皇陛下の祈りを大なり小なり意識することで公のための活動ができるのかもしれません。天皇という公の存在が消えれば日本人は自己統治ができなくなり、四分五裂する私的集団内で空気に支配されるだけの烏合の衆になるでしょう。
自称ホシュ言論人の天皇なきナショナリズムは左翼の反天皇制も同然であり、皇統断絶に向かう男系絶対を主張しているという点からも全く信用ならない代物です。結局ポジショントークしかしない口舌の徒は、翼の左右を問わず、本業が学問かジャーナリズムか政治かも問わず、プロフェッショナルではないため、「凡庸な悪」の世間を形成するしかなかったのでしょう。そして左右の言論人がグローバリズムを礼賛し続けたせいかどうかは知りませんが、あらゆる業界において本物しか生き残れない時代が到来し結局自らの首も絞めることになりました。
プチっと潰れてしまったスクナビコナのことは気になりますが、今回はもう長くなりすぎました。でも「目線を下げろ」「現場を見ろ」というプロのための重要な教えは頂きました。
「プロになれ」「プロの時代だ」という先生の予言はこうして当たりました na85