na85 のコメント

>>221:mayuさん
 そうなんですね。mayuさんは里山育ちなのですね。自然と生き物の息吹に溢れ、人々の共同体が生きた里山でのびのび育ったら、ニセモノだらけの都市空間は息苦しく感じるでしょうね。年齢を重ねて(重ねなくても)少しでも死を意識し始めたとき、生きる喜びをまだ十分感じていないと感じたら、人は心の故郷としての里山へ還りたくなるのかもしれません。私は京都という自然と都市空間が中途半端に共存する地方都市で育ち、外にはあまり出たことがないため、里山の良いところも悪いところも観念的にしか分かりません。しかしそれでも里山こそが日本人の還る場所であり、その方向こそが未来にとって正しいということは判ります。里山や共同体が最も活きていた江戸期を推すのはそれゆえです。
 『かぐや姫の物語』は見ていて爽快感はありません。それは、今この映画を見ているお前たちは現在の生活に生きる喜びを感じられているか?と突きつけられるからだと思います。天からの迎えが来るまでに生きる喜びを見つけられたら「めっけもの」だけど、現代人の多くはその存在にすら気付かず死んでいくのかもしれないよ、と。それを感じられるための一つの方途が里山へ還ることだと教え諭してくれるような物語が『かぐや姫~』なのだと思い至りました。だからこれは自然へ還れ系のジブリ映画の系譜に完全に寄り添うものです。ただ『風立ちぬ』と同様決して子供向けではないでしょう。
 私はライジング59号の感想コメントに以下のように書きました。――宮崎アニメ(トトロ・もののけ姫・千と千尋…)およびジブリアニメ(平成狸合戦・猫の恩返し…)にはカミガミや精霊が描かれている作品が多くあります。これは、人間と生きとし生けるもの・カミ・精霊とは周囲の豊かな自然の中で共に生き心の交流もある同胞だという世界観であり、西欧キリスト教(特にプロテスタント)の人間中心主義に毒されていない前近代の世界観だと思われます。共同体の中で人も生類も精霊も同胞として生きる日本人を明治期のお雇外人ベルツは「幸せな国民」だと評し、それを引いた渡辺京二氏は『逝きし世の面影』で「(前近代の日本は)生きるに値する世界だった」と述べました。しかし、近代以降の特にあらゆる共同体崩壊の危機に瀕する戦後日本においては、前近代のカミや精霊をも成員に含めた共同体世界を描き出すだけでは、宮崎駿氏の「この世は生きるに値するんだ」と伝える目的は単なる郷愁の確認作業に終わります――。
 郷愁を感じるだけに留めていると人は生の実感を得ることもありませんし、それが伝承されなくなった後の世代では概念すら失われるかもしれません。月の住人のように冷たい人々しか育たないかもしれません。人類が生き物でいられるか、機械になるかの瀬戸際は今現在なのかもしれません。ますます残酷に人を機械のように扱う世界がすぐ傍まで来ています。天上人がキー操作一つで多くの人間の処遇を決めるような…。

 人が里山で生業を持って暮らせるようにする戦いが里山資本主義 na85

 最後にあなたの写真に歌を一首…

○颯爽と 愛馬を駆れば 故郷の 流れゆく風 君の頬撫でる

 午年だからにゃ?今気付いたにゃ なーご♪

No.222 132ヶ月前

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