na85 のコメント

 ジブリの「かぐや姫の物語」を見てきました。見た方はおられますか?これは「風立ちぬ」の片割れです。「この世は生きるに値する世界なんだ」と子供たちに教えたいと宮崎駿氏が言いましたが、ほぼ同時期に創られたこの高畑監督のジブリ映画もそれが主題となっています。
 「風立ちぬ」は、空に憧れ風になることを望んだ青年が、少し早く空へ上った恋人を追いたいのに「生きて」と言われて戻るという可愛そうな物語でした。菜穂子の最後の言葉は「来て」だったかもしれませんが、それでも「(10年という)限られた時間を悔いなく生きろ」がテーマでした。
 「かぐや姫の物語」は、大地で生きることを望んだ故に降ろされた天上人が、地上で生の喜びを少しずつ知りながら成長し、やがて悲しみを知り始めたとき「戻りたい」と強く望んだため、まだ地上に居たいのに天上に戻されるという可愛そうな話です。これは2つで一つなのだと思いました。特に現代人に必要なのは「かぐや姫~」でしょう。
【ネタバレ注意】後にかぐや姫となる少女は、幼少の頃過ごした山村では自然の中で村の子供たちと駆け回り、生き物の息吹を感じながら暮らしていましたが、再び翁が姫の元居た竹から財宝を見つけると、これが天の意思だと思って都に邸宅を構え、一家で都に上ります。都に上ってからの姫はべったりと化粧されて御簾の奥で手習いばかりする毎日で、生きる喜びをを感じられません。庭の一角に昔住んでいた山の風景に近い小さな箱庭を造って心を慰めますが、そこは風も吹かない偽物です。姫の美しさを「聞いて」多くの求婚者が現われますが、その中でも熱烈な5人に難題を吹っかけると一人ひとり馬脚を現し、5人目は財宝探索の途中死んでしまいます。ついに最もエライ御門(みかど)によって強引に妻に請われたとき「帰りたい」と信号を発したため次の十五夜に月へ還ることになりました。都での生活は全てがニセモノだったわけです。夢か現か判らない状態で昔住んでいた山村に戻り、自然の空気の中でかつての姫が懐いていた捨丸にいちゃんに会い、まだ地上に居たい、まだ生の喜びを得ていない、と確信しますが、時すでに遅く迎えが来るわけです。
 これは、数字やデータ、画像に溢れたネット空間などのニセモノばかりを相手にしている現代人にこそ必要な物語です。「もう何もかも嫌だ」と強く願い、それからやがて死が迎えに来ると、そのときになって「まだ生きたい」と願っても遅い、だから「悔いなく良く生きろ」というテーマに還るわけです。現代の世界に生きる価値があるかどうかは不明ですが、PCモニターの前に居たのではそれを確認することすら不可能になります。ネット空間は風も吹かないニセモノなのです。

 データや数字を積み上げるより里山の風を感じたい na85

No.212 133ヶ月前

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