magome のコメント

岸端編集長、小林師範、泉美師範、時浦師範代、今週の早い配信は喜びを通り越して、驚愕の域に達してしまいました。こんんなに早い配信で内容、質、量ともには大丈夫なのかと心配してしまいましたが、読んだ後でいらぬ心配をしてしまったととても後悔してしまいました。申し訳ありません。頭の中では「よしりん企画は今、超多忙のはずなのに今週は神憑り的な何かが起ったのか?」と本気で思ってしまいました。

 今週のゴー宣言を読んで思い出したのが、幼少のころから聞かされてきた大人たちの同じ、日本人に向けて言っていた「ここは日本だ!」とか「日本の社会では違うのだ!」「お前は海外が長いから日本の常識は解らないのだ!」という決めつけによる言葉でした。私は幼少のころより海外に長期滞在していた人々や海外への留学経験がある人、留学生、そして海外への出張が多い人々と接してきましたがそれと同時にそのような人々と接してきた大人たちも見てきました。これらの人々が日本育ちの日本暮らしの人々と接した時には当然、世界のどこでも起りえる大小を含む、問題が生じますが、その時に同じ日本人であるにも拘らず、海外長期滞在経験者に向けて「ここは日本だ!お前は海外にいるから常識を知らんのだ!」とか「海外に長期滞在した奴は決まって常識知らずだ!」と、相手が滞在していた海外についてろくに調べもせず、日本育ちの日本人なら必ず起さない問題という証拠があるわけでもないのに、問題を全て、相手の育った環境に原因があると決めつけるのです。そして、このように決めつける人は決まって無能で経営している会社が倒産した人、勉強が付いていけずに大学を卒業できずに止めてしまった人、あるいは出世が止まってしまって左遷させられてしまった人々でした。
 如何なる環境や世代の中で育ったとしても、あるいは同じ環境や世代の中で育ったとしても人それぞれ違った立場や事情があり、性格も違えば技能や能力も違うのですから当然、発想や判断、そして遭遇する問題でも人それぞれ異なってきます。社会人であれ、学生であれ一定の組織や機関に所属する場合、教官や指導に当たる人、同僚、同期の人々は如何なる人であれ、その期間や組織の掟に従って機関や組織の人として組織や機関として纏り、指導し、または指導され、業務を遂行しているのですから、わざわざ國を例に出すこと自体、間違っていますし、國を出さずとも機関や組織の掟を出せばよいことであって、機関や組織に所属せずとも自身の常識や価値観に自信を持っていれば、國を例に出す必要はどこにもないと思います。
 「ここは日本だ!」とか「日本と海外では常識が違うのだ!」と一蹴して相手を決めつける人々は立場上、日本を公式に代表している人でもなければ、日本の全てを背負って立っている人でもありません。また、決めつけた相手の行為が海外では常識であるという裏付けや証拠をちゃんと調べたわけでもありません。なのに、國を例に使うということは、海外滞在経験者に対して自分が自信が持てないからこそ、國を錦の御旗にしているのだという結論に達しました。これは國を錦の御旗にして嫌韓、嫌中運動をしている人々と見事に合致しています。國を例に出す時は通常、海外の人々が日本について何か聞かれた時だけであって、それ以外では國を例に出すことは皆無です。これは自分の経験上、外国人が多数入り混じる國内の職場でも同じです。
 國や法律を例に出して、自分自身の経験や常識、知恵によって主張していない人々は決まって無能で常識知らずな人々で、嫌韓、嫌中、原発推進運動、安倍支援運動をしているネトウヨ、ネトバカな人々も「ここは日本だ」と國を錦の御旗にして問題の原因を海外に求める人もこの点で見事に共通しています。そして、これら人々が支援している雑誌はもはや、我が國の汚点であり、恥部であり、即座に放射能汚染ともども永遠に廃棄されるべき存在であるとしか言えません。いまだに、嫌韓、嫌中、原発推進、安倍支援運動を続けているネトバカ、ネトウヨな人々はいずれ我が國、日本を錦の御旗にして偽り続けた自身の無能な蛮行を隠しきれなくなり、取り返しのつかない人生の崩壊へと向かっていくと断言します。これは「ここは日本だ!」と自分の自信のなさ、無能さをごまかし、我が國、日本を錦の御旗にして相手を決めつけては自省もせずに企業倒産、左遷、落第、破産、家庭崩壊などによって自分自身を潰して行った無能で救いようのない人々がすでに証明しています。せめて、ネトウヨ、ネトバカが少数でも自身の行動から足を洗って常識を取戻し、真っ当な人生を歩み始めることを願うばかりです。そのきっかけとなるために我が國における「小林よしのりライジング」の存在は今後、ますます、重要となってくるでしょう。一人でも多くの人々に「小林よしのりライジング」だけでも読んでほしいと日々、想います。
 「ザ・神様」でとうとう、決着がついた我慢比べ!この勝負は実質、勝ち負けなし。何しろ、スクナビコナは荷物の重さを味わったわけだし、オオクニヌシは我慢に我慢を重ねた結果、肥沃な山を作ってくださったのですから。現在の生態系では、何もない土壌に自然に植物が生える主な原因は鳥類や鹿などの植物性、または雑食性動物類が食べた木の実の種子が消化されずに糞となって排出されて土壌に落ちるところから始まるのだそうです。この時に未消化種子とともに一緒に排出された糞が微生物の働きによって未消化種子の重要な養分となるようです。勝手な想像ですいませんが、初鹿野山という名前も鳥ではなく、鹿が未消化種子を糞とともに肥沃な土地に輩出することによって生態系が作られ始めたからなのではないのかと思ってしまいました。オオクニヌシからは未消化の種子は出なかったのでしょうか?あるいは種子があったとしても鹿糞とともに輩出された未消化種子に生存競争で負けてしまったのでしょうか?糞の行く末が気になって仕方がないので次号も楽しみにしています。しかし、いかなる食べ物を食べようとも一度とて、糞を我慢しながら重労働した経験を持つ人々にとって他人(他神)ごととは思えずに、いつもよりも感情移入してしまいました。
 寒い冬の冷たい飲み物で思い出しましたが、あるい寒い冬での並び待ち時間、長期間、強い寒風にされされていたので同行した友人にココアを頼んだところ、間違えてコカコーラを買ってきてくれました。「炭酸で目が覚めるぞ」と自分の間違いを誤魔化していましたが、冷たさのあまりに目が覚めるどころか感覚が麻痺してしまい、列が進んでも進めなくなりました。体温とか科学的な問題ではなく魂が燃えているか否かの問題なんでしょうか?
 
 心頭滅却すれば火もまた涼し、冷たい物のまた熱し?

No.20 133ヶ月前

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