さて、長くなりすぎるので、長い文章に疲れている方に簡単に述べさせていただきます。 いままでの長文で述べたかったことは 日本型環境保護を実践しよう! というものです。 今まで環境保護というと「グリーンピース」や「シーシェパード」などの怪しい団体が極左団体と組んで、ありもしない反戦平和と絡めてしまったばかりに環境保護そのものまでは怪しい行事となってしまいました。このために、ネトバカ、ネトウヨは本当の環境保護までも「反日扱い」して、原発の危険性も蔑にされてきたという過去があります。 では、なぜに、これら「環境保護団体」が怪しい存在で日本で普及しないのかというと、それは彼らは西洋型環境保護を日本でほざいているからに他ならないからなのです。 西洋型環境保護と日本型環境保護の違いは 人間を排除するか否か にあります。 西洋一神教は人間が世で一番偉い存在であり、自然と人間が隔離されているという発想が前提にあります よって、西洋では自然保護というと人間を保護地域から排除することが前提となります。また、原住民も同じで、原住民を隔離するか、西洋文明に徹底的に染めるか否かであって、それ以上追及しません。 これが西洋型環境ほどです。 故に、日本の調査捕鯨に対して執刀に暴力を含む違法妨害行為をするわけです。 アニミズムの多神教に基づく、日本型環境保護とは 人間も地球生態系の一部であり、まじかな命は人も飼い猫、飼い犬も貴いが人類そのものが偉い存在ではなく、環境保護も人間が他の生物の力を借りて参加して形成していくというものです よって、そのためには排泄物や廃棄物もすべて天からの授かりものとして再利用を繰り返し、永続的に生産し続けることを心がけます。そして、天災を生き抜いてきた象徴は動植物であれ石であれ、畏敬の念を抱き、神として祭り、その生命を天災から守ってもらう為に相応しい土地に普及させようとします。 このように、すべての存在を神々として自然に畏怖の念を抱いていることから、原住民の行為を全肯定することもなければ近代文明を丸ごと肯定することもできないわけで、自然に対する畏怖の念に基づいて文明を発展させていこうという原理が無意識の内に存在します。 以前に「グリーンピース」がタスマニアのユーカリの木の伐採を批判していましたが、ユーカリの木は元々、タスマニアの主木であったといたというわけではなく、南極ブナが主木だったのですが、アボリジニが焼き払ってしまい、焼け跡にユーカリの木が侵食していって現在に至ります。現在は宮脇昭氏の活躍によってタスマニアでも本来の南極ブナの森林に戻り始めています。 この結果から見ればわかるとおり、なにも原住民や古代の人々すべてが現在でいう「自然に優しい」存在であったわけではありませんし、その結果、各地でも古代から砂漠が広がったままで放置されている状態が続いています。人間が古代から現在に渡って広めてきた、放射能汚染を含む砂漠は自らの手で参加して再生させていくのがせめてもの天に対する我々人類のせめてもの姿勢ではないのかと思いますが如何でありましょう。 そのために日本型環境保護を皆で普及させましょう。
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さて、長くなりすぎるので、長い文章に疲れている方に簡単に述べさせていただきます。
いままでの長文で述べたかったことは
日本型環境保護を実践しよう!
というものです。
今まで環境保護というと「グリーンピース」や「シーシェパード」などの怪しい団体が極左団体と組んで、ありもしない反戦平和と絡めてしまったばかりに環境保護そのものまでは怪しい行事となってしまいました。このために、ネトバカ、ネトウヨは本当の環境保護までも「反日扱い」して、原発の危険性も蔑にされてきたという過去があります。
では、なぜに、これら「環境保護団体」が怪しい存在で日本で普及しないのかというと、それは彼らは西洋型環境保護を日本でほざいているからに他ならないからなのです。
西洋型環境保護と日本型環境保護の違いは 人間を排除するか否か にあります。
西洋一神教は人間が世で一番偉い存在であり、自然と人間が隔離されているという発想が前提にあります
よって、西洋では自然保護というと人間を保護地域から排除することが前提となります。また、原住民も同じで、原住民を隔離するか、西洋文明に徹底的に染めるか否かであって、それ以上追及しません。
これが西洋型環境ほどです。 故に、日本の調査捕鯨に対して執刀に暴力を含む違法妨害行為をするわけです。
アニミズムの多神教に基づく、日本型環境保護とは
人間も地球生態系の一部であり、まじかな命は人も飼い猫、飼い犬も貴いが人類そのものが偉い存在ではなく、環境保護も人間が他の生物の力を借りて参加して形成していくというものです
よって、そのためには排泄物や廃棄物もすべて天からの授かりものとして再利用を繰り返し、永続的に生産し続けることを心がけます。そして、天災を生き抜いてきた象徴は動植物であれ石であれ、畏敬の念を抱き、神として祭り、その生命を天災から守ってもらう為に相応しい土地に普及させようとします。
このように、すべての存在を神々として自然に畏怖の念を抱いていることから、原住民の行為を全肯定することもなければ近代文明を丸ごと肯定することもできないわけで、自然に対する畏怖の念に基づいて文明を発展させていこうという原理が無意識の内に存在します。
以前に「グリーンピース」がタスマニアのユーカリの木の伐採を批判していましたが、ユーカリの木は元々、タスマニアの主木であったといたというわけではなく、南極ブナが主木だったのですが、アボリジニが焼き払ってしまい、焼け跡にユーカリの木が侵食していって現在に至ります。現在は宮脇昭氏の活躍によってタスマニアでも本来の南極ブナの森林に戻り始めています。
この結果から見ればわかるとおり、なにも原住民や古代の人々すべてが現在でいう「自然に優しい」存在であったわけではありませんし、その結果、各地でも古代から砂漠が広がったままで放置されている状態が続いています。人間が古代から現在に渡って広めてきた、放射能汚染を含む砂漠は自らの手で参加して再生させていくのがせめてもの天に対する我々人類のせめてもの姿勢ではないのかと思いますが如何でありましょう。
そのために日本型環境保護を皆で普及させましょう。