岸端編集長、小林師範、時浦師範代、今週も配信お疲れ様です。 小林師範が取り上げた「WEDGE」は私もたまたま購入していました。読み始めて、特集の題名が「チェルノブイリ」なのに、なんで取り上げた都市名が50kmも離れたスラブチッチなのかにまず読んですごい違和感を覚えました。そして、雑誌に登載されている地図を見ても明らかに福島の被災地の放射能汚染度はウクライナの放射能汚染度よりも高く、こんな状態で戻れるはずがないと真っ先に思いました。 米国が広島と長崎に原爆を投下したことによって、核爆発と放射能汚染が齎した、我が國の臣民と國土への残酷な結末は日本人ならばだれでも理解しているはずですし、その後に米国が被爆者への治療を妨害して被爆者の人体実験をしていたことはもう、米国も認めるほどの周知の事実なのですが(朝日新聞1993年2月5日によれば、米エネルギー省ネバダ事務所が発行している刊行物「公表された米核実験」の中に、広島・長崎への原爆投下が「核実験(テスト)」として記載されている)櫻井氏、WEDGEやネトウヨ、ネトバカ、その他の原発推進者は今、自分たちが米国の、原爆を投下を含む被爆者への人体実験と同じことを被災地の方々に行おうとしているという自覚があるのでしょうか?以前にもAKB48の前田敦子氏が出演した番組で広島に投下したプルトニウム原子爆弾の名称である「Little Boy」の文字が書かれた服を着ていたことで猛烈な批判がなされていましたが、この批判がなぜ起こったのか、今回の原発推進派は少しでも考えたことがあるのかと、非常に不愉快な気持ちになりました。 広島、長崎への原爆投下を正当化させる声が我が國、日本でも蔓延っていると知った時、二度と我が國への原爆投下や無差別爆撃のような残虐行為をさせないためにも自主防衛をして、完全に主権を回復させ、自虐史観ではない、歴史を学んで受け継ぎ、國のよりよい繁栄のために頑張りたいと思い、いろいろな論壇を読み探して行く内に、大学生の時に小林師範が理事待遇として活躍していた時に「つくる会」に入会しゴー宣や保守系の論壇誌を読むようになりましたが、今回の櫻井氏とWEDGEの記事を取り上げたゴー宣を読んで、櫻井氏も結局は米国の原爆投下と同じ行為を福島原発被災者へと行おうとしていることから「過ちは繰り返させません」と原爆投下を正当化させている自虐史観の人と同じなのだと解りました。 かつて、慰安婦問題で政府の処置に疑問を持って、真実を暴いた櫻井氏が今度は政府の尻馬に乗ってTPPを推進し、臣民を原発の人体実験にしようとしている時点で、櫻井氏は良心を永遠に失ったとみて間違いないでしょう。ゴー宣読者になる前に一度だけ櫻井氏の「日本の危機」を購入したことがありましたが櫻井氏自身の取材活動そのものがもう、日本の危機となってしまっている有様です。 WEDGEの記事を読んでいると、怒りが抑えられなくなりました。なぜなら、一時も早く帰郷したいと思う、被災者の愛郷心すらも利用して人体実験にしようとする魂胆が丸わかりだったからです。一度、故郷を離れた方々なら解ると思いますが、例えそこが都市の真ん中であっても生まれ育った土地に愛着が湧けば帰りたくなるものなのです。そして、故郷に帰れなくなる術がなくなればなくなるほど帰郷の願望は強くなります。そこを付け込んで、安全対策がまるでなされていないのに変えることを進め、挙句の果てに「国は責任を取らない」という主張するのですから明らかに危険地帯に還れと言っているに等しいことは丸わかりです。もし、安全が保障されれば「国は最後まで全責任を負う」というのが当たり前のはずです。結局は被災者が汚染地帯である故郷に帰郷し、もし異常が起れば「特定秘密保護法」で秘密裏に人体実験の結果として保存して、異常がなければ原発安全宣言を大々的に宣伝して原発の増設を行うという手口であることが丸見えで、政府や政府の手先となったWEDGEや桜井氏は、原爆投下をした米国へ立ち向かおうとする我が國、日本の保守ではなく、原爆投下をした米国の陣営であることが今回の記事で解りました。恐らく、WEDGEや桜井氏は広島、長崎の原爆投下について調べても、福島原発被災者を帰郷して人体実験にしようとするのと同じく、被爆者の残酷な待遇を聞いても良心はまったく痛むことなどないでしょう。 櫻井氏やWEDGEにも言いたいのですが、もし、そこまで安全を宣言するならばなぜに、あなた自身が家族などの親しい方々と福島原発に最も近く、汚染度が最も高い被災地に住んで、自給自足に近い生活を送り、自らの体で証明しようとしないのだ?と。この質問は原発推進者に皆に問い合わせてみたのですが、皆、この回答に答えられずに逃げてしまいました。原発反対を妨害する暇があるのだったら、自らが汚染地域に移り住んで、自らの体で安全宣言する方がよっぽど説得力があることは明確のはずです。その行為を誰一人やろうとしないということは、誰一人、原発事故放射能汚染地帯が安全だと信じていないという何よりの証拠です。 SAPIO12月号でも編集部が韓国の日本産水産物の全面禁輸を異常行動と取り上げていましたが、韓国は鰯などの回遊魚よりも海底に生息するヒラメやエイなどの白身魚、カニやタコを好み、これらは回遊せずに一定の沿岸海域に定着して一生を終えるので汚染水の影響を最も受けやすく、例え汚染海域の汚染度が低くても食物連鎖および生息環境の影響から海域の汚染度の数十倍から数百倍に汚染されてしまうことも少なくありません。トリチウム(三重水素)の検査が行われていない以上は韓国の日本産水産物の全面輸入禁止は正当と言わざるを得ないでしょう。 福島原発で今度、事故が起れば、東京も汚染地帯になるというのに東京では相変わらず反応が冷やかであることに悲しい限りで、かつて、ライジングで取り上げられた「日本魂」が健在であることを嫌というほど思い知らされます。WEDGEも櫻井氏も、被災者が帰郷して放射能汚染に体が侵されても何の責任も取らないでしょう。そこまで電気がほしければ自分たちで電気を発電すればいいだけの話であるのに、原発に依存していること自体、自らの自滅を助長する行為に他なりません。東海道線も最も老朽化が進み、もっとも事故が起こりやすい浜岡原発が東海地震によって崩壊したら、JR東海もリニアどころか、経営そのものがおしまいだという事実にJR東海の社長はどういう見解をお持ちなのか聞いてみたいものです。 時浦師範代のwiki直しで、とうとう、戦争論シリーズに突入しましたが、このwiki直しを読んで思ったことは、近年ネトウヨ、ネトバカや言論者などの小林師範を批判する方々の大半がwikipediaのしか読んでいないのだということです。なにしろ、ここ十年ほど、小林師範の「戦争論」についての書評や感想をネットなどを読んでみると大半が「個と公」という戦争論最大の争点に触れずに歴史認識だけにとどまっているからです。実際、数人に「戦争論」について読んでみたのか聞いてみたところ 「金がないので立ち読みした」とか「雑誌で読んでみるだけで後はネットの感想からもらった」という内容ばっかりであとがきまで読んだという人は数えるほどしかいませんでした。実際にちゃんと読んでいる人でネットに参加している人はライジングを除いて本当に少数なのではないのかと思いました。だからこそwikipediaも杜撰な内容になるのだと思います。 昔、「テレビを見る奴は馬鹿だ」と言っていましたが、「ネットは馬鹿がするもの」という時代もまじかに迫っている。というより既にもう来ている。
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岸端編集長、小林師範、時浦師範代、今週も配信お疲れ様です。
小林師範が取り上げた「WEDGE」は私もたまたま購入していました。読み始めて、特集の題名が「チェルノブイリ」なのに、なんで取り上げた都市名が50kmも離れたスラブチッチなのかにまず読んですごい違和感を覚えました。そして、雑誌に登載されている地図を見ても明らかに福島の被災地の放射能汚染度はウクライナの放射能汚染度よりも高く、こんな状態で戻れるはずがないと真っ先に思いました。
米国が広島と長崎に原爆を投下したことによって、核爆発と放射能汚染が齎した、我が國の臣民と國土への残酷な結末は日本人ならばだれでも理解しているはずですし、その後に米国が被爆者への治療を妨害して被爆者の人体実験をしていたことはもう、米国も認めるほどの周知の事実なのですが(朝日新聞1993年2月5日によれば、米エネルギー省ネバダ事務所が発行している刊行物「公表された米核実験」の中に、広島・長崎への原爆投下が「核実験(テスト)」として記載されている)櫻井氏、WEDGEやネトウヨ、ネトバカ、その他の原発推進者は今、自分たちが米国の、原爆を投下を含む被爆者への人体実験と同じことを被災地の方々に行おうとしているという自覚があるのでしょうか?以前にもAKB48の前田敦子氏が出演した番組で広島に投下したプルトニウム原子爆弾の名称である「Little Boy」の文字が書かれた服を着ていたことで猛烈な批判がなされていましたが、この批判がなぜ起こったのか、今回の原発推進派は少しでも考えたことがあるのかと、非常に不愉快な気持ちになりました。
広島、長崎への原爆投下を正当化させる声が我が國、日本でも蔓延っていると知った時、二度と我が國への原爆投下や無差別爆撃のような残虐行為をさせないためにも自主防衛をして、完全に主権を回復させ、自虐史観ではない、歴史を学んで受け継ぎ、國のよりよい繁栄のために頑張りたいと思い、いろいろな論壇を読み探して行く内に、大学生の時に小林師範が理事待遇として活躍していた時に「つくる会」に入会しゴー宣や保守系の論壇誌を読むようになりましたが、今回の櫻井氏とWEDGEの記事を取り上げたゴー宣を読んで、櫻井氏も結局は米国の原爆投下と同じ行為を福島原発被災者へと行おうとしていることから「過ちは繰り返させません」と原爆投下を正当化させている自虐史観の人と同じなのだと解りました。
かつて、慰安婦問題で政府の処置に疑問を持って、真実を暴いた櫻井氏が今度は政府の尻馬に乗ってTPPを推進し、臣民を原発の人体実験にしようとしている時点で、櫻井氏は良心を永遠に失ったとみて間違いないでしょう。ゴー宣読者になる前に一度だけ櫻井氏の「日本の危機」を購入したことがありましたが櫻井氏自身の取材活動そのものがもう、日本の危機となってしまっている有様です。
WEDGEの記事を読んでいると、怒りが抑えられなくなりました。なぜなら、一時も早く帰郷したいと思う、被災者の愛郷心すらも利用して人体実験にしようとする魂胆が丸わかりだったからです。一度、故郷を離れた方々なら解ると思いますが、例えそこが都市の真ん中であっても生まれ育った土地に愛着が湧けば帰りたくなるものなのです。そして、故郷に帰れなくなる術がなくなればなくなるほど帰郷の願望は強くなります。そこを付け込んで、安全対策がまるでなされていないのに変えることを進め、挙句の果てに「国は責任を取らない」という主張するのですから明らかに危険地帯に還れと言っているに等しいことは丸わかりです。もし、安全が保障されれば「国は最後まで全責任を負う」というのが当たり前のはずです。結局は被災者が汚染地帯である故郷に帰郷し、もし異常が起れば「特定秘密保護法」で秘密裏に人体実験の結果として保存して、異常がなければ原発安全宣言を大々的に宣伝して原発の増設を行うという手口であることが丸見えで、政府や政府の手先となったWEDGEや桜井氏は、原爆投下をした米国へ立ち向かおうとする我が國、日本の保守ではなく、原爆投下をした米国の陣営であることが今回の記事で解りました。恐らく、WEDGEや桜井氏は広島、長崎の原爆投下について調べても、福島原発被災者を帰郷して人体実験にしようとするのと同じく、被爆者の残酷な待遇を聞いても良心はまったく痛むことなどないでしょう。
櫻井氏やWEDGEにも言いたいのですが、もし、そこまで安全を宣言するならばなぜに、あなた自身が家族などの親しい方々と福島原発に最も近く、汚染度が最も高い被災地に住んで、自給自足に近い生活を送り、自らの体で証明しようとしないのだ?と。この質問は原発推進者に皆に問い合わせてみたのですが、皆、この回答に答えられずに逃げてしまいました。原発反対を妨害する暇があるのだったら、自らが汚染地域に移り住んで、自らの体で安全宣言する方がよっぽど説得力があることは明確のはずです。その行為を誰一人やろうとしないということは、誰一人、原発事故放射能汚染地帯が安全だと信じていないという何よりの証拠です。
SAPIO12月号でも編集部が韓国の日本産水産物の全面禁輸を異常行動と取り上げていましたが、韓国は鰯などの回遊魚よりも海底に生息するヒラメやエイなどの白身魚、カニやタコを好み、これらは回遊せずに一定の沿岸海域に定着して一生を終えるので汚染水の影響を最も受けやすく、例え汚染海域の汚染度が低くても食物連鎖および生息環境の影響から海域の汚染度の数十倍から数百倍に汚染されてしまうことも少なくありません。トリチウム(三重水素)の検査が行われていない以上は韓国の日本産水産物の全面輸入禁止は正当と言わざるを得ないでしょう。
福島原発で今度、事故が起れば、東京も汚染地帯になるというのに東京では相変わらず反応が冷やかであることに悲しい限りで、かつて、ライジングで取り上げられた「日本魂」が健在であることを嫌というほど思い知らされます。WEDGEも櫻井氏も、被災者が帰郷して放射能汚染に体が侵されても何の責任も取らないでしょう。そこまで電気がほしければ自分たちで電気を発電すればいいだけの話であるのに、原発に依存していること自体、自らの自滅を助長する行為に他なりません。東海道線も最も老朽化が進み、もっとも事故が起こりやすい浜岡原発が東海地震によって崩壊したら、JR東海もリニアどころか、経営そのものがおしまいだという事実にJR東海の社長はどういう見解をお持ちなのか聞いてみたいものです。
時浦師範代のwiki直しで、とうとう、戦争論シリーズに突入しましたが、このwiki直しを読んで思ったことは、近年ネトウヨ、ネトバカや言論者などの小林師範を批判する方々の大半がwikipediaのしか読んでいないのだということです。なにしろ、ここ十年ほど、小林師範の「戦争論」についての書評や感想をネットなどを読んでみると大半が「個と公」という戦争論最大の争点に触れずに歴史認識だけにとどまっているからです。実際、数人に「戦争論」について読んでみたのか聞いてみたところ
「金がないので立ち読みした」とか「雑誌で読んでみるだけで後はネットの感想からもらった」という内容ばっかりであとがきまで読んだという人は数えるほどしかいませんでした。実際にちゃんと読んでいる人でネットに参加している人はライジングを除いて本当に少数なのではないのかと思いました。だからこそwikipediaも杜撰な内容になるのだと思います。
昔、「テレビを見る奴は馬鹿だ」と言っていましたが、「ネットは馬鹿がするもの」という時代もまじかに迫っている。というより既にもう来ている。