>>74:magomeさん 『「地球生態学」で暮らそう』の総覧的な解説ありがとうございます。私は読んでからかなり時間が経っていますので「おーそんなことも書いてあったなぁ」と、あの総合的な現代日本と世界への処方箋を思い出しています。 渡辺京二氏の『近代の呪い』は仕事の合間にゆるゆる読んでおり、今第4章に入ったところです。 近代とは、中間団体=共同体を破壊して国家と個人が直接つながり、つまり直接国家が個人を管理し、人権・自由・平等を保障する代わりに戦争にも駆り出すぜ、というシステムですね。しかし、前近代でも共同体の成員となっていれば時代に合った人権は保障され、一時的に共同体を抜ける自由をも保証され、平等に関しては現代の機会の平等よりも平等感がむしろ高かったとしており、これは全くその通りだと思います。産業革命後の資本家と労働者の間の不平等感、貧困層が被った不自由と人権無視たるや!また、前近代や初期近代の個人がそれぞれいくつかの共同体に参加して民衆社会を形成し、各々が各共同体の人間関係の中で良き身の処し方を覚えるから、近現代人より賢く、さらには幸せであったろうと思います。ただ厳しい国際社会・国際関係を知らないから偏頗心(ナショナリズム)が湧かず、いち早く近代化・産業化した国家の侵略を招かないためには、現存する共同体の多くを破壊してでも民衆社会の個人を国民化する必要があったわけです。 国民国家形成をいち早く成し遂げたフランスはフランス革命で共同体のほとんどを撃滅させました。産業化の成功で世界覇権国となったイギリスも共同体から個人を引き剥がして国民化したわけです。フランス革命の理念を引き継いだ移民国家アメリカも当然共同体の成り立ちにくい世界です。米英仏独露に一時に狙われた幕末日本の為政者階級の受けた圧迫感は相当なものだったでしょう。藩や幕府といった大きな中間団体=共同体を残しながら公武合体し、民は徐々に国民化・公民化するという経路は不可能だったか?という歴史のイフは、今となっては詮無い話です。日本でも近代化に伴う共同体破壊による弊害は日露戦争後の日比谷公園焼き討ちなどに現れてました。明治国家が個人を戸籍制度と民法で管理して徴兵によって国軍を創設しましたが、また廃藩置県でオラが殿様がいなくなってオラが国を意識しにくくなったはずですが、それでも小さな村落共同体などを撃滅させず生きていたから、故郷のために戦うという愛郷心は祖国愛・愛国心に昇華して日清日露・大東亜を戦えたわけです。 渡辺氏が『逝きし世の面影』で幕末明治に日本を訪れた欧米人が当時の世界で最も幸せな人々の存在に驚嘆したことを紹介しています。江戸期の庶民は生きた共同体の中でその当時の世界で最高レベルの人権・平等・自由を謳歌していたと思われます。少なくとも産業革命後の苛烈で酷薄な新階級社会に生きた欧米人の目からはそう見えたはずです。それから150年後の現代、グローバリズムによって世界の均質化が進んで国家という最後にして最大の共同体も崩壊に向かい、ますます地球規模で資本家と労働者の階級差別が進行しつつあります。そんな現代の世界状況において各国の為政者が真に自国民のことを考えるのであれば、対外的には貿易を制限してグローバル企業による世界支配体制を阻み、国際交流は文化的なものと環境問題など地球規模の取り組みが必要なものや危機に陥った国家の人道支援に限り、対内的にはケインズ主義による再分配である程度の平等を実現して不満を抑え、不安定化を防ぐべきでしょう。このような取り決めができたとき世界は一気に平和に向かいます。そのためには日本が力を持つ必要があります。小泉純一郎氏が言いました。「指導者がやろうと言えばできる」と。まずは決断し、宣言すればよいのです。その意味で突破者が必要なのです。ちなみに脱原発は軍事的優位の第一歩です。 急いで『近代の呪い』を読み切らねば na85
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>>74:magomeさん
『「地球生態学」で暮らそう』の総覧的な解説ありがとうございます。私は読んでからかなり時間が経っていますので「おーそんなことも書いてあったなぁ」と、あの総合的な現代日本と世界への処方箋を思い出しています。
渡辺京二氏の『近代の呪い』は仕事の合間にゆるゆる読んでおり、今第4章に入ったところです。
近代とは、中間団体=共同体を破壊して国家と個人が直接つながり、つまり直接国家が個人を管理し、人権・自由・平等を保障する代わりに戦争にも駆り出すぜ、というシステムですね。しかし、前近代でも共同体の成員となっていれば時代に合った人権は保障され、一時的に共同体を抜ける自由をも保証され、平等に関しては現代の機会の平等よりも平等感がむしろ高かったとしており、これは全くその通りだと思います。産業革命後の資本家と労働者の間の不平等感、貧困層が被った不自由と人権無視たるや!また、前近代や初期近代の個人がそれぞれいくつかの共同体に参加して民衆社会を形成し、各々が各共同体の人間関係の中で良き身の処し方を覚えるから、近現代人より賢く、さらには幸せであったろうと思います。ただ厳しい国際社会・国際関係を知らないから偏頗心(ナショナリズム)が湧かず、いち早く近代化・産業化した国家の侵略を招かないためには、現存する共同体の多くを破壊してでも民衆社会の個人を国民化する必要があったわけです。
国民国家形成をいち早く成し遂げたフランスはフランス革命で共同体のほとんどを撃滅させました。産業化の成功で世界覇権国となったイギリスも共同体から個人を引き剥がして国民化したわけです。フランス革命の理念を引き継いだ移民国家アメリカも当然共同体の成り立ちにくい世界です。米英仏独露に一時に狙われた幕末日本の為政者階級の受けた圧迫感は相当なものだったでしょう。藩や幕府といった大きな中間団体=共同体を残しながら公武合体し、民は徐々に国民化・公民化するという経路は不可能だったか?という歴史のイフは、今となっては詮無い話です。日本でも近代化に伴う共同体破壊による弊害は日露戦争後の日比谷公園焼き討ちなどに現れてました。明治国家が個人を戸籍制度と民法で管理して徴兵によって国軍を創設しましたが、また廃藩置県でオラが殿様がいなくなってオラが国を意識しにくくなったはずですが、それでも小さな村落共同体などを撃滅させず生きていたから、故郷のために戦うという愛郷心は祖国愛・愛国心に昇華して日清日露・大東亜を戦えたわけです。
渡辺氏が『逝きし世の面影』で幕末明治に日本を訪れた欧米人が当時の世界で最も幸せな人々の存在に驚嘆したことを紹介しています。江戸期の庶民は生きた共同体の中でその当時の世界で最高レベルの人権・平等・自由を謳歌していたと思われます。少なくとも産業革命後の苛烈で酷薄な新階級社会に生きた欧米人の目からはそう見えたはずです。それから150年後の現代、グローバリズムによって世界の均質化が進んで国家という最後にして最大の共同体も崩壊に向かい、ますます地球規模で資本家と労働者の階級差別が進行しつつあります。そんな現代の世界状況において各国の為政者が真に自国民のことを考えるのであれば、対外的には貿易を制限してグローバル企業による世界支配体制を阻み、国際交流は文化的なものと環境問題など地球規模の取り組みが必要なものや危機に陥った国家の人道支援に限り、対内的にはケインズ主義による再分配である程度の平等を実現して不満を抑え、不安定化を防ぐべきでしょう。このような取り決めができたとき世界は一気に平和に向かいます。そのためには日本が力を持つ必要があります。小泉純一郎氏が言いました。「指導者がやろうと言えばできる」と。まずは決断し、宣言すればよいのです。その意味で突破者が必要なのです。ちなみに脱原発は軍事的優位の第一歩です。
急いで『近代の呪い』を読み切らねば na85