>>153 na85さん 「近代の呪い」の感想を述べていただき、ありがとうございます。ここで「近代の呪い」を紹介したのはやはり正解だったのだとna85さんの感想を読んで思いました。槌田敦 著 「『地球生態学』で暮らそう」にも書かれていましたが、西洋における人工化批判はあくまでも人の排除が前提という、いわば、人工化批判と同じ土台に立っていて、解りやすい例とすれば、環境テロリストであるシーシェパードやグリーンピースによる日本の調査捕鯨への妨害が揚げられます。 キリスト一神教は人と自然を完全に分離し、人間万能主義を掲げているからこそ人間が自然を再生すること自体を不可能と見なし、人間は常に自然を破壊する「悪者」ありきという発想が根元にありますので植樹という発想そのものが浮かんでこないのです。日本国内においてグリーンピースなどの西洋主体の環境団体が極めて弱いのは鯨肉を食べるか否かではなく、このキリスト一神教と森羅万象に神々が宿る多神教への違いがあると見ています。 人類そのものが貴いから人命そのものを尊重せよという発想が人類そのものの繁栄のために多少の犠牲はやむを得ないという指摘は見事でした。そもそも、広い視野で見れば生きとし生ける者は人類に限らず、すべてが貴い存在であるはずであって人類だけが貴いはずではないことは生態系を少し学べばわかる事だと思いますし、東日本大震災と原発事故を見ればもう火を見るより明らかです。人類がいくら貴いといっても他の生物と同じく水と養分がなければ生きていけませんし、この水と養分はまったくの無からは絶対に作れません。さらに他の生物と同じく酸素がなければ生きていけませんし、これらは全て、自然の生態系が齎した物であって人類の知恵が作ったものではないことは明確であって、これだけ考えても人類が他の生物に比べて全然貴い物ではなく、むしろ、自然への畏怖を抱くという森羅万象を意識しなければ自然災害により予測できない損害を被ることはもう明らかであるといっていいと思います。 人工化による経済発展ですが、麻栽培の禁止や電力事業の独占および原発事業など、経済成長の裏側で多くの技術や産業の発展の可能性が蔑にされてきた経歴があります。国際市場間による抗争は材木の市場開放による里山の荒廃を招き、近年この里山の荒廃が台風や嵐による土砂崩れや地滑りを発生させています。古代から現在に至るまで人類は繁栄と衰退を繰り返してきましたが、衰退は決まって砂漠化によって衰退したのであってこれはメソポタミア文明や古代エジプト文明が証明しています。また、現在の砂漠の3分の2は人類が活動を行ったために生じた砂漠であって、自然の砂漠ではありませんし、都市を含めたら砂漠の面積は膨大な量になります。 森林がなくなった地域がどのような運命をたどるのかはイースター島が証明していますし、今後は人々は大金を払ってでも自然を手に入れようとするでしょう。自然栽培、有機栽培の食材が割高に売られているのもその証拠ですし、貸し農場の構想率が高いのもその証拠であると思います。 人類全体の命は全然貴いものではないことはもう、これまでの大量虐殺や大戦で散々人類は経験してきたはずですし、人類の生活そのものを永久に奪い去る原子力まで生みだしてしまったのですから、人類はいまこそ引き返す時が来ているのだと思います。これは資源の有無とか、生産量の有無、在庫の有無という数字上では保証しきれない災害から護るための術でもあると思います。西洋医療技術を過信して人類を投薬実験にする暇があるんだったら江戸時代の時のように民間療法、鍼灸、漢方、そして西洋医学を均等に受けながらそれぞれの病状、体質に見合った治療法を受けて幸せな人生を送ってもらう方に考えて行かなければならないと思います。抗がん剤で苦しみながら目的もなく延命させられるよりも短くとも痛みを感じずに生きたほうが人は幸せだと思います。さらに言えば、江戸時代の経済力は先進国並みで一説にはGNPが当時、世界最高水準であったことから西洋のように近代化しなくとも経済力は先進国並みになれると江戸時代が証明しているのだと思います。 地球生態に基づく里山資本主義による都市化、人工化の抑制は経済を含む、更なる文明の発展でもある。
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>>153 na85さん 「近代の呪い」の感想を述べていただき、ありがとうございます。ここで「近代の呪い」を紹介したのはやはり正解だったのだとna85さんの感想を読んで思いました。槌田敦 著 「『地球生態学』で暮らそう」にも書かれていましたが、西洋における人工化批判はあくまでも人の排除が前提という、いわば、人工化批判と同じ土台に立っていて、解りやすい例とすれば、環境テロリストであるシーシェパードやグリーンピースによる日本の調査捕鯨への妨害が揚げられます。
キリスト一神教は人と自然を完全に分離し、人間万能主義を掲げているからこそ人間が自然を再生すること自体を不可能と見なし、人間は常に自然を破壊する「悪者」ありきという発想が根元にありますので植樹という発想そのものが浮かんでこないのです。日本国内においてグリーンピースなどの西洋主体の環境団体が極めて弱いのは鯨肉を食べるか否かではなく、このキリスト一神教と森羅万象に神々が宿る多神教への違いがあると見ています。
人類そのものが貴いから人命そのものを尊重せよという発想が人類そのものの繁栄のために多少の犠牲はやむを得ないという指摘は見事でした。そもそも、広い視野で見れば生きとし生ける者は人類に限らず、すべてが貴い存在であるはずであって人類だけが貴いはずではないことは生態系を少し学べばわかる事だと思いますし、東日本大震災と原発事故を見ればもう火を見るより明らかです。人類がいくら貴いといっても他の生物と同じく水と養分がなければ生きていけませんし、この水と養分はまったくの無からは絶対に作れません。さらに他の生物と同じく酸素がなければ生きていけませんし、これらは全て、自然の生態系が齎した物であって人類の知恵が作ったものではないことは明確であって、これだけ考えても人類が他の生物に比べて全然貴い物ではなく、むしろ、自然への畏怖を抱くという森羅万象を意識しなければ自然災害により予測できない損害を被ることはもう明らかであるといっていいと思います。
人工化による経済発展ですが、麻栽培の禁止や電力事業の独占および原発事業など、経済成長の裏側で多くの技術や産業の発展の可能性が蔑にされてきた経歴があります。国際市場間による抗争は材木の市場開放による里山の荒廃を招き、近年この里山の荒廃が台風や嵐による土砂崩れや地滑りを発生させています。古代から現在に至るまで人類は繁栄と衰退を繰り返してきましたが、衰退は決まって砂漠化によって衰退したのであってこれはメソポタミア文明や古代エジプト文明が証明しています。また、現在の砂漠の3分の2は人類が活動を行ったために生じた砂漠であって、自然の砂漠ではありませんし、都市を含めたら砂漠の面積は膨大な量になります。
森林がなくなった地域がどのような運命をたどるのかはイースター島が証明していますし、今後は人々は大金を払ってでも自然を手に入れようとするでしょう。自然栽培、有機栽培の食材が割高に売られているのもその証拠ですし、貸し農場の構想率が高いのもその証拠であると思います。
人類全体の命は全然貴いものではないことはもう、これまでの大量虐殺や大戦で散々人類は経験してきたはずですし、人類の生活そのものを永久に奪い去る原子力まで生みだしてしまったのですから、人類はいまこそ引き返す時が来ているのだと思います。これは資源の有無とか、生産量の有無、在庫の有無という数字上では保証しきれない災害から護るための術でもあると思います。西洋医療技術を過信して人類を投薬実験にする暇があるんだったら江戸時代の時のように民間療法、鍼灸、漢方、そして西洋医学を均等に受けながらそれぞれの病状、体質に見合った治療法を受けて幸せな人生を送ってもらう方に考えて行かなければならないと思います。抗がん剤で苦しみながら目的もなく延命させられるよりも短くとも痛みを感じずに生きたほうが人は幸せだと思います。さらに言えば、江戸時代の経済力は先進国並みで一説にはGNPが当時、世界最高水準であったことから西洋のように近代化しなくとも経済力は先進国並みになれると江戸時代が証明しているのだと思います。
地球生態に基づく里山資本主義による都市化、人工化の抑制は経済を含む、更なる文明の発展でもある。