>>166 na85さん 小林師範と東浩紀氏との対談を見て、感想を纏めるのに手間取っていた原因が、後半部で小林師範が「里山資本主義」を「読んでいない」と断ったうえで述べてからの場面でした。なぜなら、小林師範が述べた内容は大半の日本人が心の奥底、むしろ、人類の大半が望んでいることでもあるからです。一方で、この望みを公に言えない、あるいはまったくの懐古主義やアナクロニズムなどの間違った捉えたかをされてしまう原因が「近代の呪い」に含まれているのです。 「里山資本主義」は「鎮守の森」に見られるように、健全な土壌があってこそ一次産業が成り立つのであって一次産業が安定してこそ、二次産業、三次産業が成り立つのですが、この一次産業をグローバリズムの都合で蔑にされているからこそ紛争が絶えないのだと思います。インド洋における海賊行為にはグローバル産業による不当な海洋放棄による海洋汚染で魚が捕れずに産業が荒廃した魚村民が海賊行為を行っていることが以前、テレビ番組で取り上げられていました。また、海賊行為に走る漁村周辺は決まって広大な荒地や砂漠でもあったりします。 CLTでコンクリートから木材への建て替えと、防音、防火などの防災のために潜在自然植生を行えばそれだけコンクリートやアスファルトが取り除かれ、これら廃棄物はスラグや森林防波堤や森林堤防の土壌として、瓦礫とともに埋めるという手もあります。今後の災害に備えるためにも小林師範が述べた坂の下の土地を耕し続けることが必須となっていくでしょう。かつての江戸時代のように、金の還流を國内にとどめる様にしていかなければこれから安心して生きていく時代は望めないと思います。金の還流が國内にとどまっていた江戸時代がそれを証明しています。そして災害にも「鎮守の森」による潜在自然植生を続ければ天災からも損害も最小限に抑えることが出来るでしょう。その一方でグローバル産業が進めば森林や田畑の荒廃による地力の低下により、戦災はなくても自然災害による災害はより深刻なものとなっていくと思われます。 800年間発生していなかった竜巻が20世紀になって突如発生し、数十年に一回だったものが21世紀以降は年に数回ほどにまで発生率が上がっています。これは森林の減少や田畑の荒廃による地力の低下と見事に合致しているものであると思います。健全な森林は宝の山であると同時に、我々が守り続けていかねばならない「故郷」でもあるのです。この自然災害から守ってくれる「故郷」を守るために我々の先祖は武器を取ってまでして戦ったのだと思います。 以前から、多くの環境学者が人類の滅亡はもう逃れられないと悲観していましたがその中で唯一期待を寄せていたのが江戸時代でした。グローバリズムも共産主義革命もそもそも、近代化によって発生したものであり、これらの危険性が含まれていたからこそ、避けるべきだったとのですが、近代化によってでした国が生き残れない時代が到来したからこそ、近代化をするしか道はありませんでした。しかし、冷戦も終わり、近代化はもうすでに世界的に達成していることからもう、近代化絶対主義に捕われ続けることはむしろ有害であると認識しなければなりません。 その意味で、小林師範と東氏の対談、特に後半部は大変、喜ばしい内容で、na85さんや私が述べてきた江戸推しとna85さんが紹介した「里山資本主義」が今後の将来において重要な本題となることを証明してくれたのだと思います。この「里山資本主義」に続き宮脇昭 著 「鎮守の森」に記されている潜在自然植生による植樹、植林と松永 勝彦 著「森が消えれば海も死ぬ」が合わされば、陸海共に強固な自然災害に強い強固な一次産業が築かれ、新たなる時代の真の先進国として世界人類の期待を寄せることになるでしょう。フィリピンの台風でも見られるように自然災害から生活を守りたいのはどこも同じでしょうから。 グローバリズムも共産革命も一色にするために國や文化を滅ぼすことから、コインの表と裏であることが証明されているのです。大東亜論の第二章で取り上げる大アジア主義がグローバル化の堤防に何らかの答えを出してくれるのではと期待してしまいます。 「近代の呪い」ご購入有難うございます。読んだ後に、なにか感想でも述べてくれれば幸いです。
チャンネルに入会
フォロー
小林よしのりチャンネル
(ID:6933238)
>>166 na85さん 小林師範と東浩紀氏との対談を見て、感想を纏めるのに手間取っていた原因が、後半部で小林師範が「里山資本主義」を「読んでいない」と断ったうえで述べてからの場面でした。なぜなら、小林師範が述べた内容は大半の日本人が心の奥底、むしろ、人類の大半が望んでいることでもあるからです。一方で、この望みを公に言えない、あるいはまったくの懐古主義やアナクロニズムなどの間違った捉えたかをされてしまう原因が「近代の呪い」に含まれているのです。
「里山資本主義」は「鎮守の森」に見られるように、健全な土壌があってこそ一次産業が成り立つのであって一次産業が安定してこそ、二次産業、三次産業が成り立つのですが、この一次産業をグローバリズムの都合で蔑にされているからこそ紛争が絶えないのだと思います。インド洋における海賊行為にはグローバル産業による不当な海洋放棄による海洋汚染で魚が捕れずに産業が荒廃した魚村民が海賊行為を行っていることが以前、テレビ番組で取り上げられていました。また、海賊行為に走る漁村周辺は決まって広大な荒地や砂漠でもあったりします。
CLTでコンクリートから木材への建て替えと、防音、防火などの防災のために潜在自然植生を行えばそれだけコンクリートやアスファルトが取り除かれ、これら廃棄物はスラグや森林防波堤や森林堤防の土壌として、瓦礫とともに埋めるという手もあります。今後の災害に備えるためにも小林師範が述べた坂の下の土地を耕し続けることが必須となっていくでしょう。かつての江戸時代のように、金の還流を國内にとどめる様にしていかなければこれから安心して生きていく時代は望めないと思います。金の還流が國内にとどまっていた江戸時代がそれを証明しています。そして災害にも「鎮守の森」による潜在自然植生を続ければ天災からも損害も最小限に抑えることが出来るでしょう。その一方でグローバル産業が進めば森林や田畑の荒廃による地力の低下により、戦災はなくても自然災害による災害はより深刻なものとなっていくと思われます。
800年間発生していなかった竜巻が20世紀になって突如発生し、数十年に一回だったものが21世紀以降は年に数回ほどにまで発生率が上がっています。これは森林の減少や田畑の荒廃による地力の低下と見事に合致しているものであると思います。健全な森林は宝の山であると同時に、我々が守り続けていかねばならない「故郷」でもあるのです。この自然災害から守ってくれる「故郷」を守るために我々の先祖は武器を取ってまでして戦ったのだと思います。
以前から、多くの環境学者が人類の滅亡はもう逃れられないと悲観していましたがその中で唯一期待を寄せていたのが江戸時代でした。グローバリズムも共産主義革命もそもそも、近代化によって発生したものであり、これらの危険性が含まれていたからこそ、避けるべきだったとのですが、近代化によってでした国が生き残れない時代が到来したからこそ、近代化をするしか道はありませんでした。しかし、冷戦も終わり、近代化はもうすでに世界的に達成していることからもう、近代化絶対主義に捕われ続けることはむしろ有害であると認識しなければなりません。
その意味で、小林師範と東氏の対談、特に後半部は大変、喜ばしい内容で、na85さんや私が述べてきた江戸推しとna85さんが紹介した「里山資本主義」が今後の将来において重要な本題となることを証明してくれたのだと思います。この「里山資本主義」に続き宮脇昭 著 「鎮守の森」に記されている潜在自然植生による植樹、植林と松永 勝彦 著「森が消えれば海も死ぬ」が合わされば、陸海共に強固な自然災害に強い強固な一次産業が築かれ、新たなる時代の真の先進国として世界人類の期待を寄せることになるでしょう。フィリピンの台風でも見られるように自然災害から生活を守りたいのはどこも同じでしょうから。
グローバリズムも共産革命も一色にするために國や文化を滅ぼすことから、コインの表と裏であることが証明されているのです。大東亜論の第二章で取り上げる大アジア主義がグローバル化の堤防に何らかの答えを出してくれるのではと期待してしまいます。
「近代の呪い」ご購入有難うございます。読んだ後に、なにか感想でも述べてくれれば幸いです。