今週も配信、御疲れ様です。そして、一周年、50回配信達成おめでとうございます。 ダヴィンチの宇野氏の記事を読んで、笑ってしまいました。まず、「風立ちぬ」では零戦は物語の最後の最後まで登場しません。作品に登場する中心的な機体は7試艦上戦闘機と96式艦上戦闘機の試作機である9試単座戦闘機です。本来、作品の感想を述べる時は主に登場した機体とその機体が航空業界を中心とする周囲に与えた影響について述べるのですが、どうも、宇野氏は作品を見ていないのだなという感想が過りました。 実は宇野氏の記事を読んで、思い出したのが、アニメや漫画などの作品を見もせずに評論家や大人の偏見な感想をそのまま述べて冷笑だけする人々なのです。私の周囲でも「風の谷のナウシカ」などの一部のジブリ作品は流行っていたのですが、一方でこれら作品を見もせずに評論家や大人の感想だけで判断して冷笑する人が大勢いました。私は「紅の豚」や「耳をすませば」の2作品が好きでしたが、この作品もまた、見もせずに大人の偏見を中心とする見もせずに冷笑する人々の攻撃対象となり、これら作品も 「豚が主人公で不細工なのだからいい作品ではない」 とか 「少女漫画が原作なのだし、少なくとも男が見る作品ではない、駄作である」 と罵詈雑言の攻撃対象となりました。これら輩に作品についての感想を聞いてみると、何処かで聞いたような感想内容を言っては高く評価した人は勿論、見た人も冷笑し、時には攻撃対象にされて吊るし上げを食らい、口すら聞いてもらえなくなります。さらに、作品を見たのかとこちらが問い質すと 「見たけど忘れた」 とか 「大ヒットしたという報道もないのだから見るまでもない!」 と、とても評価する人ととしては信じられない答えが返ってくるのです。これはジブリ作品に留まらず、小林師範の著作である「おぼっちゃまくん」や特撮の「ゴジラ」でも同じ現象が見られました。 これはネットでも似たような現象が度々見られ、2chやそれに類似した、ネトウヨ、ネトバカが跋扈する掲示板でも酷評されている作品に高評価を与えると吊るし上げを食らい、相手にしてもらえなくなり、さらには同じくちゃんと見たのか問いただすとwikipediaや評論家の内容を丸ごと引用するだけで、ちゃんと内容を見たと思われる感想は皆無に等しいのです。酷いのになると 「ネタバレになるから、答えられないに決まっている」 と自分の表現力のなさに開き直っている悪質な人もいるのです。恐らく、宇野氏は記事を読む限り、作品を見ていないのだと思います。そして記事の感想も他人から聞いた感想や内容の感想を述べているのであって作品そのものの感想を述べていないのだと思いました。 軍事技術についてですが、航空業界に限らず、近代産業の大半は軍事技術の転用です。それに航空史を調べればわかりますが、当時の旅客機は軍用機の輸送機や飛行艇、爆撃機の転用であって、旅客機の開発は戦後になってから始まりました。また、軍事技術の開発を宇野氏は批判していますが、軍事技術や産業から民間に転用された技術は数限りなく、たとえば、即席めんに付属している粉末状の汁や具材、そして即席珈琲(インスタントコーヒー)は米陸軍が携行食料のために開発した真空凍結乾燥技術によって製造されています。そして「サトウのごはん」で有名な即席飯も元々は戦国時代に戦のために用いられた糒を大東亜戦争中に携行食料として改良された技術が使用されています。缶詰もナポレオンが遠征用の携行食料として開発を明示、ニコラ・アペールが発明した瓶詰の技術によって発明されたのは加工食品業界では有名な話です。 このほかにもコンピューターは勿論のこと、GPS、インターネットは戦場における計算、味方部隊の位置確認、通信の技術によって発展、開発されたものですし、コンビニエンスストアの物流システムも自衛隊OBが軍事物流システムを民間に転用させたものです。 さらには学生服であるセーラー服と詰襟は陸海軍から、そしてランドセル(オランダ軍の背嚢袋)、ネクタイ(フランス軍クロアチア傭兵)、ジャケット(シングルは陸軍、ダブルは海軍)、ブレザー(海軍の練習船ブレザー号)、Tシャツ(米海軍)チノパン(米軍)トレンチコート(塹壕用作業服)と、我々の日常生活には軍事技術なくして開発、普及していなかったであろう、物品を掲げたらきりがなくありますが、宇野氏はこれら全部、全く使用せず、あるいは無縁の状態で現代の日本の社会を生きているとでもいうのでしょうか? 「風立ちぬ」について、宇野氏は「マチズモ」と評価していましたが、恐らく、技術開発に携わっている現場の人々についても全く知らないのではないのかと思いました。私は以前に技術開発の現場に携わっていましたが、目標が決まれば、ありとあらゆる仮説を立てて新技術を開発、導入し、試験を繰り返しますが、仮説と試験結果の摺合せを一心不乱になって限られた期間と予算内で全力を注ぎます。 作品内では二郎が新技術を導入し、同じ部署の技術者たちが興奮する場面がありますが、そこまで漕ぎ着けるには上司ばかりではなく、部下や違う部署との擦り合わせを繰り返すために中々到達しません。二郎の才能と実力はもとより、二郎の上司にあたる人々も二郎をどれほど理解し、期待していたことか。特に二郎の上司にあたる部長は数年前に定年退職した私が勤めていた部署の部長と被っていました。以上のべたように、子供のころからの自分の夢とその夢の実現のために掴んだ現場で「反戦平和」などという当時、航空業界ではだれも持ち合わせていなかったであろう「思想(もはや『思想』と呼べる代物であるのかどうか)」など入る余地などあるはずもありません。 恋人が病に倒れた時に、涙を流しながらも一心不乱に航空機の開発に携わる二郎が開発者としての宿命と義務をその行動にそのまま表していると思いました。そして、「風立ちぬ」に堀越二郎を登場させるときに、二郎役に庵野秀明氏をなぜ選んだのか作品を見てやっとわかりました。庵野秀明氏こそが業による実績を残した人そのもであり、堀越二郎そのものを演出することが出来たからなのだと思います。もし、これが他の声優だったならば堀越二郎を演じ切ることはできても史実における堀越二郎を「風立ちぬ」の作品に表すことが出来なかったのではないのかと思いました。 結論からして、宇野氏は「風立ちぬ」を見ていません。物語を述べることが出来たとしてもそれは見た人から聞いた又聞きなのでしょう。そして、偏見の目でしか作品を見ることができない、評論家などの大人から認めてもらいたいからこそ、ダヴィンチにあのような記事を書いたのだと思います。そして、これはダヴィンチに限らず、保守論壇でも年老いた保守言論人に取り入り、幅を利かせている言論人がいます。その典型例が皇統男系固執者の宮家詐欺師である竹田氏です。 感想、評価するならばまず、他人に頼らずに正直な心で自分の目で見てからにしろ。 小林師範には申し訳ないのですが、論壇界はもはや、余りの閉鎖性と老朽化で、もはや修復不可能なのではないのかと思います。論壇界は滅びるに任せて、別の方法で臣民の意志を変えて、心を育てていく方法を取るしかないのではないのかと常々考えます。 「ザ・神様」でとうとう、スサノオとオオナムチがご対面。ここで親父の恐怖を思い出した方が少なくないのではと思いますが、皆さん、どうでしょうか?でも、オオナムチはどうやってここで男神としての対応を見せるのでしょうか?今回ほど、いいところで終わってしまった回はありませんね。再来週も楽しみです。
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今週も配信、御疲れ様です。そして、一周年、50回配信達成おめでとうございます。
ダヴィンチの宇野氏の記事を読んで、笑ってしまいました。まず、「風立ちぬ」では零戦は物語の最後の最後まで登場しません。作品に登場する中心的な機体は7試艦上戦闘機と96式艦上戦闘機の試作機である9試単座戦闘機です。本来、作品の感想を述べる時は主に登場した機体とその機体が航空業界を中心とする周囲に与えた影響について述べるのですが、どうも、宇野氏は作品を見ていないのだなという感想が過りました。
実は宇野氏の記事を読んで、思い出したのが、アニメや漫画などの作品を見もせずに評論家や大人の偏見な感想をそのまま述べて冷笑だけする人々なのです。私の周囲でも「風の谷のナウシカ」などの一部のジブリ作品は流行っていたのですが、一方でこれら作品を見もせずに評論家や大人の感想だけで判断して冷笑する人が大勢いました。私は「紅の豚」や「耳をすませば」の2作品が好きでしたが、この作品もまた、見もせずに大人の偏見を中心とする見もせずに冷笑する人々の攻撃対象となり、これら作品も
「豚が主人公で不細工なのだからいい作品ではない」
とか
「少女漫画が原作なのだし、少なくとも男が見る作品ではない、駄作である」
と罵詈雑言の攻撃対象となりました。これら輩に作品についての感想を聞いてみると、何処かで聞いたような感想内容を言っては高く評価した人は勿論、見た人も冷笑し、時には攻撃対象にされて吊るし上げを食らい、口すら聞いてもらえなくなります。さらに、作品を見たのかとこちらが問い質すと
「見たけど忘れた」
とか
「大ヒットしたという報道もないのだから見るまでもない!」
と、とても評価する人ととしては信じられない答えが返ってくるのです。これはジブリ作品に留まらず、小林師範の著作である「おぼっちゃまくん」や特撮の「ゴジラ」でも同じ現象が見られました。
これはネットでも似たような現象が度々見られ、2chやそれに類似した、ネトウヨ、ネトバカが跋扈する掲示板でも酷評されている作品に高評価を与えると吊るし上げを食らい、相手にしてもらえなくなり、さらには同じくちゃんと見たのか問いただすとwikipediaや評論家の内容を丸ごと引用するだけで、ちゃんと内容を見たと思われる感想は皆無に等しいのです。酷いのになると
「ネタバレになるから、答えられないに決まっている」
と自分の表現力のなさに開き直っている悪質な人もいるのです。恐らく、宇野氏は記事を読む限り、作品を見ていないのだと思います。そして記事の感想も他人から聞いた感想や内容の感想を述べているのであって作品そのものの感想を述べていないのだと思いました。
軍事技術についてですが、航空業界に限らず、近代産業の大半は軍事技術の転用です。それに航空史を調べればわかりますが、当時の旅客機は軍用機の輸送機や飛行艇、爆撃機の転用であって、旅客機の開発は戦後になってから始まりました。また、軍事技術の開発を宇野氏は批判していますが、軍事技術や産業から民間に転用された技術は数限りなく、たとえば、即席めんに付属している粉末状の汁や具材、そして即席珈琲(インスタントコーヒー)は米陸軍が携行食料のために開発した真空凍結乾燥技術によって製造されています。そして「サトウのごはん」で有名な即席飯も元々は戦国時代に戦のために用いられた糒を大東亜戦争中に携行食料として改良された技術が使用されています。缶詰もナポレオンが遠征用の携行食料として開発を明示、ニコラ・アペールが発明した瓶詰の技術によって発明されたのは加工食品業界では有名な話です。
このほかにもコンピューターは勿論のこと、GPS、インターネットは戦場における計算、味方部隊の位置確認、通信の技術によって発展、開発されたものですし、コンビニエンスストアの物流システムも自衛隊OBが軍事物流システムを民間に転用させたものです。
さらには学生服であるセーラー服と詰襟は陸海軍から、そしてランドセル(オランダ軍の背嚢袋)、ネクタイ(フランス軍クロアチア傭兵)、ジャケット(シングルは陸軍、ダブルは海軍)、ブレザー(海軍の練習船ブレザー号)、Tシャツ(米海軍)チノパン(米軍)トレンチコート(塹壕用作業服)と、我々の日常生活には軍事技術なくして開発、普及していなかったであろう、物品を掲げたらきりがなくありますが、宇野氏はこれら全部、全く使用せず、あるいは無縁の状態で現代の日本の社会を生きているとでもいうのでしょうか?
「風立ちぬ」について、宇野氏は「マチズモ」と評価していましたが、恐らく、技術開発に携わっている現場の人々についても全く知らないのではないのかと思いました。私は以前に技術開発の現場に携わっていましたが、目標が決まれば、ありとあらゆる仮説を立てて新技術を開発、導入し、試験を繰り返しますが、仮説と試験結果の摺合せを一心不乱になって限られた期間と予算内で全力を注ぎます。
作品内では二郎が新技術を導入し、同じ部署の技術者たちが興奮する場面がありますが、そこまで漕ぎ着けるには上司ばかりではなく、部下や違う部署との擦り合わせを繰り返すために中々到達しません。二郎の才能と実力はもとより、二郎の上司にあたる人々も二郎をどれほど理解し、期待していたことか。特に二郎の上司にあたる部長は数年前に定年退職した私が勤めていた部署の部長と被っていました。以上のべたように、子供のころからの自分の夢とその夢の実現のために掴んだ現場で「反戦平和」などという当時、航空業界ではだれも持ち合わせていなかったであろう「思想(もはや『思想』と呼べる代物であるのかどうか)」など入る余地などあるはずもありません。
恋人が病に倒れた時に、涙を流しながらも一心不乱に航空機の開発に携わる二郎が開発者としての宿命と義務をその行動にそのまま表していると思いました。そして、「風立ちぬ」に堀越二郎を登場させるときに、二郎役に庵野秀明氏をなぜ選んだのか作品を見てやっとわかりました。庵野秀明氏こそが業による実績を残した人そのもであり、堀越二郎そのものを演出することが出来たからなのだと思います。もし、これが他の声優だったならば堀越二郎を演じ切ることはできても史実における堀越二郎を「風立ちぬ」の作品に表すことが出来なかったのではないのかと思いました。
結論からして、宇野氏は「風立ちぬ」を見ていません。物語を述べることが出来たとしてもそれは見た人から聞いた又聞きなのでしょう。そして、偏見の目でしか作品を見ることができない、評論家などの大人から認めてもらいたいからこそ、ダヴィンチにあのような記事を書いたのだと思います。そして、これはダヴィンチに限らず、保守論壇でも年老いた保守言論人に取り入り、幅を利かせている言論人がいます。その典型例が皇統男系固執者の宮家詐欺師である竹田氏です。
感想、評価するならばまず、他人に頼らずに正直な心で自分の目で見てからにしろ。
小林師範には申し訳ないのですが、論壇界はもはや、余りの閉鎖性と老朽化で、もはや修復不可能なのではないのかと思います。論壇界は滅びるに任せて、別の方法で臣民の意志を変えて、心を育てていく方法を取るしかないのではないのかと常々考えます。
「ザ・神様」でとうとう、スサノオとオオナムチがご対面。ここで親父の恐怖を思い出した方が少なくないのではと思いますが、皆さん、どうでしょうか?でも、オオナムチはどうやってここで男神としての対応を見せるのでしょうか?今回ほど、いいところで終わってしまった回はありませんね。再来週も楽しみです。