Kazutaka のコメント

宇野氏はTwitterで「自分の論点は批判されている点と別のところにある」と言い、ダ・ヴィンチでの批評を要約して「『夢』(個人的なこと)と『正義』(宮崎にとっては戦争嫌悪)の矛盾を歪んだマチズモで埋めているのが薄っぺらい」、「僕の批判点は『夢の呪い』(個人的なもの)と社会的なもの(駿的には戦争への抗い)が結びつかないとき、そこに『可哀想な女の子』の存在が生け贄として必要とされるところに注目した議論」とつぶやいていました。

僕は菜穂子は『可哀想な女の子』とは思えません。むしろ愛する人の側にいるためには命を削る覚悟すら見せる、恋愛における業と矛盾を背負った強い女性と映りました(どとーの愛ですね)。主人公の二郎は夢における業と矛盾を背負っているので、2人はある意味似た者同士です。
つまり、菜穂子が病によって未来を愛する人と生きられない可哀想な女の子だとしたら二郎もまた戦争で理想的な美しい飛行機を作れなかった可哀想な男のはずですが、宇野氏はそう思えないようです。むしろ夢と現実の間にある矛盾を歪んだマチズモで埋め合わせていると、よく分からないことを言う。
 では菜穂子の愛と現実の間にある矛盾(愛を貫こうとすると死期が迫る、愛する人に病気をうつす可能性も出る)を埋めているのはなんなんでしょうか。歪んだマチズモか!? そんなバカな!

結局、2人は未来の夢や幸せに向かって生きようとしたのではなく、ただ今を精一杯生きようとしただけでしょう。
未来で希望が絶たれることになったとしても、その時はまたそこで精一杯生きるしかない。
それだけが矛盾を埋める答えであり、「風が吹いている、だから生きねば」ということに繋がります。
よしりん先生の言う「自分が生きている時代の中で、与えられた条件の中で、最善を尽くす以外にないのだ。」ということに通じます。
歪んだマチズモなど出る幕もありません。
むしろ、「未来がない病気の女性は可哀想」と思い込んでしまう宇野氏こそ歪んだマチズモな気がします。

宇野氏の論は結局、論拠がサヨク的な思考回路(いやいやでも戦争に加担したからアウト、愛は無条件でOK、でも死んで未来がないから可哀想)から出発しているのに、本人がそれに全く気付いていない。だからよしりん先生の指摘も「的外れだ!」と的外れなことを言ってしまう。
「生け贄がないと矛盾が着地しない」とトンチンカンな考えに行き着いてしまう。
宇野氏にはもっと女性の強さに気付いてちゃんと敬意を払え!と言いたいです。

以上が僕の感じたことです。
長々と失礼しました。

No.37 137ヶ月前

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