今週はみなぼん編集長が超多忙・超激務の中無事配信してくださったそうですね。よしりん師範も『AKB48論』のペン入れで大変苦労されているとのことですね。時浦師範代もライジングの連載が2本に増えて大変だと思います。皆様お疲れ様です。ありがとうございます。 貴族院のことをこれほど体系立てて考えたことがなかったので、今回の「ゴー宣」も大変勉強になりました。ありがとうございました。 NHKの大河ドラマには、近年においても「八重の桜」や「龍馬伝」「篤姫」「新撰組」といった幕末を描いたものが多くありますが、佐幕派・公武合体派VS討幕派の対決では史実通りに薩長討幕派が勝ち、明治の開化以降の人々は江戸期を懐かしむでもなく、一部の士族以外はあまり抵抗なく変化を受け入れていくように描かれ、中には夜明けを寿ぐかのような場面さえありました。現在放送中の「八重」でもおそらくそうなるのでしょう。公武合体派の唱えた諸藩会議は幕末においては潰えましたが、明治の議会政治ではそれが貴族院として復活したという面もあるのではないか、私はそんなふうに考えています。水戸藩や会津藩などが典型だったわけですが、旧藩主たちには武士道を残しながら尊皇心をも持ち合わせている人が多いと思われ、従って貴族院においては薩長藩閥政府や資本家に与しない硬派な議論ができたと思うわけです。しかし天皇から賜った地位であっても、世代交代が進んで士風が廃れていけば残っていた武士道も失われ、生活に困窮すれば「陛下のために」という恋闕の心も摩耗して地位に恋々とするようになっていくのは致し方ないように思います。明治から昭和の、まだ少し江戸期の残照が残っていた時代においても人物の小粒化が進んでいったわけですから、戦後の米国による改革と洗脳が完了した大衆が選ぶ参議院議員にノブレス・オブリージュであれと期待するのは酷なのかもしれません。 だからといって一院制にしてしまえと言うのは暴論に過ぎます。維新の会の橋下徹が参議院廃止を最も強硬に訴えるわけですが、道州制と首相公選制を訴える米国かぶれの急先鋒である彼が、上院・下院の二院制を守る米国とは違って一院制を目指す意図はどこにあるのでしょうか?まず彼は決定のスピードを常に求めており、米国型の制度への改革にスピードを付けようという狙いがあるでしょう。当然彼は強硬なTPP推進派なのでISD条項で訴えられないような外資の活動しやすい米国型社会に生まれ変わりたいのでしょう。またマッカーサーの言った「政治的に未発達な日本には、二院制よりも簡明な一院制の方が良い」を信じているのかもしれません。そしてこれは飛躍しすぎかもしれませんが、米国の一部の州政府が一院制であることから、一院制の日本州あるいは道州制で独立した一院制の各州を個別に米国連邦政府に組み入れてもらおうとまで考えているのではないかと勘繰りたくなります。 さて、では参議院を真の良識の府として衆議院の暴走を抑止する役目を果たしてもらうためにはどうすればよいでしょうか。私はこのように考えています。例えば、宮中お茶会に呼ばれる人を選ぶような、いやもっと厳正な選考基準により、選挙によらず選ばれた議員からなる別の参議院(貴族院という名にアレルギーを持つ人が多いため名はそのまま)をつくるしかないように思います。「独立の気力なきものは国を思うこと深切ならず」「一身独立して一国独立する」と福沢諭吉が言ったように、生計と理非の弁別において他人に頼らなくても良い人物であることが選考の最初の条件になります。次に国のために功績のあった人物であるとともに、皇室・天皇への真の敬愛の念=恋闕に近い心を持つ人物であることが条件となります。これぐらいの制度でなければ「皇室の藩屏」として復活できないと思いますが、これでいけばよしりん師範は貴族院議員の資格は十分すぎるほどあると思います。しかし、この種の改革には「時代に逆行している」という内外からの批判をかわしつつ憲法を改正することが必要であり、また選考自体が天皇陛下の意向を感じさせるものとなるため、全国民の間に十分な、そして自然な尊皇心が復活していることが求められます。これにはやはり天照大神の復活=愛子様立太子への道である女性宮家創設が欠かせない条件となってくるような気がします。 全てはここにつながってくる気がします na85 時浦師範代の新コーナー「ウィキ直し!」は、馬鹿者たちの集合痴によって捏造されたよしりん師範の半生(の読者による追体験)を生き直しするという意味にも取れて面白いです。 夏の忍術については多くの方が書かれているとおり、暑いときに汗腺を開くことによって体に貯まった熱を水とともに逃がすわけです。特に体に熱の多そうなよしりん師範は適度に汗をかいて逃がさないと、眼球の水の代謝にも悪影響があるかもしれません。
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今週はみなぼん編集長が超多忙・超激務の中無事配信してくださったそうですね。よしりん師範も『AKB48論』のペン入れで大変苦労されているとのことですね。時浦師範代もライジングの連載が2本に増えて大変だと思います。皆様お疲れ様です。ありがとうございます。
貴族院のことをこれほど体系立てて考えたことがなかったので、今回の「ゴー宣」も大変勉強になりました。ありがとうございました。
NHKの大河ドラマには、近年においても「八重の桜」や「龍馬伝」「篤姫」「新撰組」といった幕末を描いたものが多くありますが、佐幕派・公武合体派VS討幕派の対決では史実通りに薩長討幕派が勝ち、明治の開化以降の人々は江戸期を懐かしむでもなく、一部の士族以外はあまり抵抗なく変化を受け入れていくように描かれ、中には夜明けを寿ぐかのような場面さえありました。現在放送中の「八重」でもおそらくそうなるのでしょう。公武合体派の唱えた諸藩会議は幕末においては潰えましたが、明治の議会政治ではそれが貴族院として復活したという面もあるのではないか、私はそんなふうに考えています。水戸藩や会津藩などが典型だったわけですが、旧藩主たちには武士道を残しながら尊皇心をも持ち合わせている人が多いと思われ、従って貴族院においては薩長藩閥政府や資本家に与しない硬派な議論ができたと思うわけです。しかし天皇から賜った地位であっても、世代交代が進んで士風が廃れていけば残っていた武士道も失われ、生活に困窮すれば「陛下のために」という恋闕の心も摩耗して地位に恋々とするようになっていくのは致し方ないように思います。明治から昭和の、まだ少し江戸期の残照が残っていた時代においても人物の小粒化が進んでいったわけですから、戦後の米国による改革と洗脳が完了した大衆が選ぶ参議院議員にノブレス・オブリージュであれと期待するのは酷なのかもしれません。
だからといって一院制にしてしまえと言うのは暴論に過ぎます。維新の会の橋下徹が参議院廃止を最も強硬に訴えるわけですが、道州制と首相公選制を訴える米国かぶれの急先鋒である彼が、上院・下院の二院制を守る米国とは違って一院制を目指す意図はどこにあるのでしょうか?まず彼は決定のスピードを常に求めており、米国型の制度への改革にスピードを付けようという狙いがあるでしょう。当然彼は強硬なTPP推進派なのでISD条項で訴えられないような外資の活動しやすい米国型社会に生まれ変わりたいのでしょう。またマッカーサーの言った「政治的に未発達な日本には、二院制よりも簡明な一院制の方が良い」を信じているのかもしれません。そしてこれは飛躍しすぎかもしれませんが、米国の一部の州政府が一院制であることから、一院制の日本州あるいは道州制で独立した一院制の各州を個別に米国連邦政府に組み入れてもらおうとまで考えているのではないかと勘繰りたくなります。
さて、では参議院を真の良識の府として衆議院の暴走を抑止する役目を果たしてもらうためにはどうすればよいでしょうか。私はこのように考えています。例えば、宮中お茶会に呼ばれる人を選ぶような、いやもっと厳正な選考基準により、選挙によらず選ばれた議員からなる別の参議院(貴族院という名にアレルギーを持つ人が多いため名はそのまま)をつくるしかないように思います。「独立の気力なきものは国を思うこと深切ならず」「一身独立して一国独立する」と福沢諭吉が言ったように、生計と理非の弁別において他人に頼らなくても良い人物であることが選考の最初の条件になります。次に国のために功績のあった人物であるとともに、皇室・天皇への真の敬愛の念=恋闕に近い心を持つ人物であることが条件となります。これぐらいの制度でなければ「皇室の藩屏」として復活できないと思いますが、これでいけばよしりん師範は貴族院議員の資格は十分すぎるほどあると思います。しかし、この種の改革には「時代に逆行している」という内外からの批判をかわしつつ憲法を改正することが必要であり、また選考自体が天皇陛下の意向を感じさせるものとなるため、全国民の間に十分な、そして自然な尊皇心が復活していることが求められます。これにはやはり天照大神の復活=愛子様立太子への道である女性宮家創設が欠かせない条件となってくるような気がします。
全てはここにつながってくる気がします na85
時浦師範代の新コーナー「ウィキ直し!」は、馬鹿者たちの集合痴によって捏造されたよしりん師範の半生(の読者による追体験)を生き直しするという意味にも取れて面白いです。
夏の忍術については多くの方が書かれているとおり、暑いときに汗腺を開くことによって体に貯まった熱を水とともに逃がすわけです。特に体に熱の多そうなよしりん師範は適度に汗をかいて逃がさないと、眼球の水の代謝にも悪影響があるかもしれません。