サトル のコメント

笹さんのライジング記事読む。

「縄文時代」との自分の関わりは、子供のころ新潟の昭和大橋(記憶あいまい)の欄干?に設置されていた「火焔式土器」のレプリカ?です(県営陸上競技場にもあった気がする)。
子供のころから、「なんかすごい」と自転車に股がりじっと見ていた記憶があります。

ところが、本を読み始めると(実家がある出版社の販売配達営業所でした)、どうも、縄文時代は「ほぼ原始人」みたいな扱い。年表みてもやたら長い時代。弥生時代になると、「洗練?のっぺり?」した土器に変わり、「スッキリ」しない思いになっていました。

また「文字」がない……。子供の頃「文字がない=語彙が少ない」と浅はかな考えを持ち、未開人……と思ってました。
その割に、前述したように縄文土器の「うわぁ……」が消えていくことに、「?」と思ってました。

その後「栗本慎一郎」の著書で「縄文」の文字を見るまで、記憶の中に埋もれてました(著書も記憶にない。突飛な……と思って読むのやめた気がする(^_^;))。

しかし、今、「考古学」の発展、研究が進んだせいか、「縄文時代」は文字こそないものの(これは本当に痛恨)、かなり「偉大な時代」だったのでは?と思っています。逆に見れば「文字の必要性」がなかったんですから。

「農耕技術」を「効率よく伝える」には「文字」が絶大な効果がある……と考えが及ぶに至り、なんと「浅はかな考え」だったのか!と思ってしまいます。

「江戸博物館」……行こうと思ってたら「絶妙なタイミング」で改装閉館。残念!

国立博物館には「きれいな」展示品ばかりで(それはそれで凄いんですが)、笹さんの記事を読むと、「縄文のいぶき」を感じられ、ワクワクしてきます。
(笹さんの文章も魅力的!)


次も楽しみにしています!

No.55 9ヶ月前

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