NAOPPU のコメント

僕がよしりん先生を読み続けるのは、よしりん先生の作品がサブカルチャーであり、メインに対抗し続けているからかもしれません。サブカルチャーでありながら、メインには決してできない、物事の本質を突きまくっているのがゴー宣の魅力だと思います。サブカルチャーであっても、どうでもいいことだと思ったら、長年読み続けることはできないです。

僕は浜田省吾の大ファンですが、浜田省吾はライブを「カウンターカルチャー」だと言ったことがあります。80年代にテレビの音楽番組で華やかに流れていた音楽がメインだとしたら、浜田省吾は、メインからこぼれ落ちたものをすくって育て上げてきた、と言っていました。

テレビに出なくなったのは、当初は本人が意図したことではなかったそうですが、自分の音楽活動としては、ライブというメディアを通してファンが獲得されたそうです。

そしてそれから数十年が経ち、浜田省吾は70歳を超えた今でも全国のアリーナツアーをすることができるほどの、抜群の集客力のある存在であり続けています。テレビの音楽番組は廃れ、コンサートの魅力が見直されるようになって久しいこの状態は、まさにサブがメインになった事例の一つです。

僕は、正直に言うと、もしよしりん先生の後継者なる存在が現れたとしても、今僕がよしりん先生を読み続けているように、その人の作品についていくということは、おそらくないと思います。

僕は小4の時におぼっちゃま君に親しみ、大学生の時に「脱正義論」や「戦争論」で自分の思想に対して決定的な影響を受け、その後もずっとゴー宣から学んでいます。僕の人生において、ゴー宣の影響力というのは突出しています。

自分にとってそのような大きな存在はよしりん先生以外にあり得ないですし、僕よりも若い人に対して同じようなことが他の誰かによって起こるということも、全然想像できません。

ゴー宣は唯一無二の存在であり、それを後継できる人など、絶対にいないと断言してもいいくらいだと思います。

よしりん先生の後継者など望むべくもないということを、過去のよしりん先生がおわかりでなかったとしたら、ゴー宣の偉大さに対する認識不足だと思いますよ。ごーまんさが足りません!!笑

ただ、「脱正義論」で語られたように、よしりん先生の影響を受けて現場を持つプロになった一人一人が社会にどれだけの影響を与えられるか、ということだと思います。僕にできることは限られていますが、自分の家族や共同体の中では、ゴー宣で培ったものを発揮したいと願っています。

よしりん先生が最後まで突っ走りながら作り上げる作品を、僕も最後まで見届け、自分の現場でがんばります。

No.51 11ヶ月前

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