今日のブログで、倫理と法律について書かれてありましたが、どう理解して良いのか分かりませんでした。ただ、倫理と法律を同じ領域内だとするのはどうかと思います。 私は、倫理(道徳)は自分自身に当てはめるもの(いわゆる価値観)であり、法律は相手に対して当てはめるものだと認識しています。個人同士の倫理の違いを収めるために法が存在するのだと思います。 道路交通法が良い例で、飲酒運転、あおり運転など、自身の勝手な倫理で動く人が居て、それによって甚大な被害を遭う人が出てくるから厳罰化されているのです。これを裏返せば「被害に遭う人が居なければ(可視化されなければ)罪を問う必要はない」ということであり、これの最も顕著な例が薬害にコロナ禍・ワクチン禍、そしてキャンセルカルチャー、そして裏金問題だといえます。 では外国の悪法はどうかというと、これは法を制定する側の倫理が壊れているだけです。そもそも為政者が完璧ということは決して無く、たとえその当時において妥当な法だとしても、将来において通用するとは限りません。道路交通法然り、建築基準法にしてもその都度改正が行われています。 色々長くなりましたが、昨今法律が無視されている状況が続いているのは、「自分さえ良ければ構わない。他人や立場の違うものがどうなろうが知ったことではない」という、自己偏愛と無関心が日本全国に浸透しているからだと思います。
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小林よしのりチャンネル
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今日のブログで、倫理と法律について書かれてありましたが、どう理解して良いのか分かりませんでした。ただ、倫理と法律を同じ領域内だとするのはどうかと思います。
私は、倫理(道徳)は自分自身に当てはめるもの(いわゆる価値観)であり、法律は相手に対して当てはめるものだと認識しています。個人同士の倫理の違いを収めるために法が存在するのだと思います。
道路交通法が良い例で、飲酒運転、あおり運転など、自身の勝手な倫理で動く人が居て、それによって甚大な被害を遭う人が出てくるから厳罰化されているのです。これを裏返せば「被害に遭う人が居なければ(可視化されなければ)罪を問う必要はない」ということであり、これの最も顕著な例が薬害にコロナ禍・ワクチン禍、そしてキャンセルカルチャー、そして裏金問題だといえます。
では外国の悪法はどうかというと、これは法を制定する側の倫理が壊れているだけです。そもそも為政者が完璧ということは決して無く、たとえその当時において妥当な法だとしても、将来において通用するとは限りません。道路交通法然り、建築基準法にしてもその都度改正が行われています。
色々長くなりましたが、昨今法律が無視されている状況が続いているのは、「自分さえ良ければ構わない。他人や立場の違うものがどうなろうが知ったことではない」という、自己偏愛と無関心が日本全国に浸透しているからだと思います。