ジャニーズ報道についてのコメントです。 今回のマスコミの蛮行について、個人的に強調したいのは、リスクを背負いながら「個」で活躍する表現者を、自己保身の理屈でしか動かない「集」の圧力で抹殺した、という側面です。 私は娯楽業界に身を置いており、舞台上で自己を表現することに全てを賭けている演者の姿を舞台裏から毎日のように見ています。 アイドルビジネスとは全く異なる世界ではありますが、組織や大衆による表現者の抹殺という事態は、他人事には感じられませんでした。 言うまでもなく、娯楽業界は水物商売。 そのような世界で成功する表現者というのは、恐らく「自らの表現に命懸けである」のだろう、と思います。 このようなことを述べるのは、コロナ禍で何人かの芸能人が自殺し、週刊誌報道を受けて市川猿之助が自殺を図ったという事件が念頭にあります。 猿之助は取り調べに対し「歌舞伎界にいられなくなるから自殺をしようと思った」と語っています。 凡人ならば、謝罪会見の後ほとぼりがさめてから復帰すればよい、という発想になりそうなものですが、猿之助にとって表現の場に立てないというのは死に等しいという感覚だったのかもしれません。 かように、表現と自らの「生」は不可分、という領域にまで踏み込む覚悟を持った者だけが、人の心を動かすことができるのではないでしょうか。 そうした表現者は、たとえ事務所やグループに所属していたとしても、立派に「個」で活躍している、と言えます。 「個」同士が互いに屹立し、刺激し合う関係性。 しかし、今のマスコミには、「命懸けの表現」について理解できる人なんて、一人もいなかった。 ジャニー喜多川もアイドルビジネスを隆盛に導くのには命懸けだったろうし、ジャニーズがキャンセルされることで表現の場を失う者や、それらの表現を生きる活力にしていたファンの立場など何も考えていない。 何しろ彼らは、常に「会社に守られている」のだから! 場合によっては、同業他社同士でかばい合うことだったするのだから! 安全地帯にいながら、正義漢ぶって、リスクを背負っている「個」を叩き、何の責任もとらないって、かつての2ちゃんねらーやネトウヨと同じようなことしてんじゃあないのか!? 彼らは「個」のへったくれもない砂粒で、だからこそ常に狂ってるのかもしれません。 最後に、言論における覚悟について。 ミステリ作家の米澤穂信が、実際に起きた事件を題材にするに当たり、どこまで書いてよいものなのだろうかと先輩作家の笠井潔に相談したときのこと。 笠井から返ってきた言葉が、こちら。 「何を書いたっていいんだ。それで殺されても構わないのであれば」 これで米澤は吹っ切れて『王とサーカス』という傑作をものにするのですが、グッとくる言葉です。 オウムのよしりん先生暗殺未遂を想起させますが、言論人が抱くべき矜持なのだろうと思います。 ここまでの覚悟を持つ「個」が、果たして今のマスコミ業界に存在するのかどうか。
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ジャニーズ報道についてのコメントです。
今回のマスコミの蛮行について、個人的に強調したいのは、リスクを背負いながら「個」で活躍する表現者を、自己保身の理屈でしか動かない「集」の圧力で抹殺した、という側面です。
私は娯楽業界に身を置いており、舞台上で自己を表現することに全てを賭けている演者の姿を舞台裏から毎日のように見ています。
アイドルビジネスとは全く異なる世界ではありますが、組織や大衆による表現者の抹殺という事態は、他人事には感じられませんでした。
言うまでもなく、娯楽業界は水物商売。
そのような世界で成功する表現者というのは、恐らく「自らの表現に命懸けである」のだろう、と思います。
このようなことを述べるのは、コロナ禍で何人かの芸能人が自殺し、週刊誌報道を受けて市川猿之助が自殺を図ったという事件が念頭にあります。
猿之助は取り調べに対し「歌舞伎界にいられなくなるから自殺をしようと思った」と語っています。
凡人ならば、謝罪会見の後ほとぼりがさめてから復帰すればよい、という発想になりそうなものですが、猿之助にとって表現の場に立てないというのは死に等しいという感覚だったのかもしれません。
かように、表現と自らの「生」は不可分、という領域にまで踏み込む覚悟を持った者だけが、人の心を動かすことができるのではないでしょうか。
そうした表現者は、たとえ事務所やグループに所属していたとしても、立派に「個」で活躍している、と言えます。
「個」同士が互いに屹立し、刺激し合う関係性。
しかし、今のマスコミには、「命懸けの表現」について理解できる人なんて、一人もいなかった。
ジャニー喜多川もアイドルビジネスを隆盛に導くのには命懸けだったろうし、ジャニーズがキャンセルされることで表現の場を失う者や、それらの表現を生きる活力にしていたファンの立場など何も考えていない。
何しろ彼らは、常に「会社に守られている」のだから!
場合によっては、同業他社同士でかばい合うことだったするのだから!
安全地帯にいながら、正義漢ぶって、リスクを背負っている「個」を叩き、何の責任もとらないって、かつての2ちゃんねらーやネトウヨと同じようなことしてんじゃあないのか!?
彼らは「個」のへったくれもない砂粒で、だからこそ常に狂ってるのかもしれません。
最後に、言論における覚悟について。
ミステリ作家の米澤穂信が、実際に起きた事件を題材にするに当たり、どこまで書いてよいものなのだろうかと先輩作家の笠井潔に相談したときのこと。
笠井から返ってきた言葉が、こちら。
「何を書いたっていいんだ。それで殺されても構わないのであれば」
これで米澤は吹っ切れて『王とサーカス』という傑作をものにするのですが、グッとくる言葉です。
オウムのよしりん先生暗殺未遂を想起させますが、言論人が抱くべき矜持なのだろうと思います。
ここまでの覚悟を持つ「個」が、果たして今のマスコミ業界に存在するのかどうか。