「大奥」についても、もうすこし「想像する」ことを記しておきます(言はずもがなのことかも、ですが)。以前のとまとめて、私はあとで、まとめて見ようと思っているのですが…。 いちおう、以前やった映画をちょこっとだけTV放映の時に見ました(吉宗が大奥改革をする話)。あと、「大奥」というと、フジテレビで何回かにわたってシリーズ放映したドラマもありましたよね?そっちの方を最初、思い浮かべてしまって…。 家斉を史実通りに「男性」にしたのは、女性だと、53人子供を産むという設定ができないから、なのでしょう。ハプスブルクのマリア・テレジアでも…無理ですよね。実をいえば、これは息子の家慶でも同じようなことになります(家慶も子だくさんだった…)。 あと、家斉の評判が悪いのは、父親の一橋家の治済が原因なのですが…このドラマでは(原作漫画も含めて)やっているかどうか知らないのですが、10代将軍家治には実子、家基(いえもと)がおり、鷹狩りの帰り假何かに食中毒を起こして急死してしまい、その結果、治済の長男が「家斉」として養子になっています。 そのような話を「医療篇」としてやっているのは面白い発想だな、と思います。ちなみに、当時の海外の医療も実はさほどのものでもなく、血液を抜く治療法なんてのもあったそうで、シーボルトもそれをしたらしいです。 つまり、汚れた血を抜きとることで、体力が恢復する…わけないんですが、体内にはいった、細菌とかウイルスとか「病気の原因」を除去する、と考えると、案外理にかなったようにも見えた…のでしょう。疑似科学と科学の境界線は大差ないのかも知れない、と「コロナの件」も含めて思います。 家定は女性らしいですね…。家茂はどうなるのだろう?天璋院や和宮は? …んなこと言ってないで、見なきゃいけないのかな? もうすこし記しておくと、家斉は、(またハプスブルク家にたとえますが)オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の同様、長年「将軍」をつとめ、太政大臣にもなったということで、それなりの「人気」もあり、町人などにも親しまれたのでしょう(不敬なことを申せば、昭和天皇とも共通しているのかも)。(無能無策であったとしても)安定した政権で、国内経済や文化が栄えたのでは、と。 ただし、初期は「寛政の改革」やその遺老などの政治も(良い意味でも、悪い意味でも)あったのですが、大半は水野忠成(みずの ただあきら)という賄賂政治家も現れたりして、その結果、「悪政」が行われたと、後世の評判が悪くなっているのも事実で、 あと、この頃になると海外の軍船が蝦夷地や長崎などに頻繁に出没し、ペリー来航につながる事態の前夜でもあったことも。(ナポレオン戦争の影響による)フェートン号事件もこの時ですよね。この事件がなかったら、雄藩、鍋島家肥前藩はなかったわけで、それだけ日本が「平和ぼけ」していたとも。 以上、無駄話でした。「大奥」視聴の手引きにでもなればいいのですが…。(^_^;)
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(ID:22136524)
「大奥」についても、もうすこし「想像する」ことを記しておきます(言はずもがなのことかも、ですが)。以前のとまとめて、私はあとで、まとめて見ようと思っているのですが…。
いちおう、以前やった映画をちょこっとだけTV放映の時に見ました(吉宗が大奥改革をする話)。あと、「大奥」というと、フジテレビで何回かにわたってシリーズ放映したドラマもありましたよね?そっちの方を最初、思い浮かべてしまって…。
家斉を史実通りに「男性」にしたのは、女性だと、53人子供を産むという設定ができないから、なのでしょう。ハプスブルクのマリア・テレジアでも…無理ですよね。実をいえば、これは息子の家慶でも同じようなことになります(家慶も子だくさんだった…)。
あと、家斉の評判が悪いのは、父親の一橋家の治済が原因なのですが…このドラマでは(原作漫画も含めて)やっているかどうか知らないのですが、10代将軍家治には実子、家基(いえもと)がおり、鷹狩りの帰り假何かに食中毒を起こして急死してしまい、その結果、治済の長男が「家斉」として養子になっています。
そのような話を「医療篇」としてやっているのは面白い発想だな、と思います。ちなみに、当時の海外の医療も実はさほどのものでもなく、血液を抜く治療法なんてのもあったそうで、シーボルトもそれをしたらしいです。
つまり、汚れた血を抜きとることで、体力が恢復する…わけないんですが、体内にはいった、細菌とかウイルスとか「病気の原因」を除去する、と考えると、案外理にかなったようにも見えた…のでしょう。疑似科学と科学の境界線は大差ないのかも知れない、と「コロナの件」も含めて思います。
家定は女性らしいですね…。家茂はどうなるのだろう?天璋院や和宮は?
…んなこと言ってないで、見なきゃいけないのかな?
もうすこし記しておくと、家斉は、(またハプスブルク家にたとえますが)オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の同様、長年「将軍」をつとめ、太政大臣にもなったということで、それなりの「人気」もあり、町人などにも親しまれたのでしょう(不敬なことを申せば、昭和天皇とも共通しているのかも)。(無能無策であったとしても)安定した政権で、国内経済や文化が栄えたのでは、と。
ただし、初期は「寛政の改革」やその遺老などの政治も(良い意味でも、悪い意味でも)あったのですが、大半は水野忠成(みずの ただあきら)という賄賂政治家も現れたりして、その結果、「悪政」が行われたと、後世の評判が悪くなっているのも事実で、
あと、この頃になると海外の軍船が蝦夷地や長崎などに頻繁に出没し、ペリー来航につながる事態の前夜でもあったことも。(ナポレオン戦争の影響による)フェートン号事件もこの時ですよね。この事件がなかったら、雄藩、鍋島家肥前藩はなかったわけで、それだけ日本が「平和ぼけ」していたとも。
以上、無駄話でした。「大奥」視聴の手引きにでもなればいいのですが…。(^_^;)