そんな感じです。インターネット出現時代よりは権威がありましたが、それゆゑにっかたっくるい、とっつきにくい何か、だったような…。 ちなみに、私は夕刊の小説が好きで、伊達政宗の小説とか、夏樹鎮子さんの「訃報は午後4時に届く」とか…。近年(でもないか…)では「チーム・バチスタ」を書いた人の「アクアマリンの神殿」とか。主人公のアツシ君とか、(一見)女王然としたクラスメートの女の子とかがお気に入りだったかな?あと、織田信長の棺の話を書いた「水軍遥かなり」、かな?戦国時代の九鬼水軍という興味深いテーマが描かれていました。 朝刊では、水上勉さんの「地の乳房」というのも。ストーリーは忘れてしまいましたが。 あと、サンデー版の家族で地球脱出の移民船に乗るための旅をするのとか、アニメーターの金山明博さんの犬に変身する話(「スーパードッグ幻GEN」)とか、「焼け跡の元気君」とか…サンデー版の漫画がなくなってから、東京新聞は非常に味気なくなったです。別役実さんの「探偵X」さんのような話も。 身の上相談のようなのもあったし、昔の新聞の方が(思想的にはかわらないのかもしれませんが)面白かったのかも。 商売をするなら、そういうところでして欲しいものです。 あとは正義派ぶらないで、自己懐疑的でも有るべきでは?自問自答も。 西部邁さんが辯護士嫌いなのも…分からなくもないですね。話をややこしくするだけだから、なのでしょうか。私の理解もたりないのでしょうが、カウンセラーが「カウンセリングは万能ではない」というのと同じなのかも?このことからも「人権ほど曖昧な概念はない」と思います。 すなわち、みんな悩みを抱えている、だからあなたの悩みは特別なものではない…一見、ヒューマニズムに思えますが、要はだから悩む必要はない、貴方だけがハンディキャップをかかえているのではない、みんな同じだ、ですまされる可能性もある、となってしまうからです。それは本当の解決にはならないでしょう、私が心の相談室の電話とかに懐疑的なのはそういう(自分の経験にも基づく)理由です。 でも、ジャニーズとかも場合は、確実に辯護士が闘争を推進しないといいけないです。意見を表現したくても表現できない人もいるし(文章ではできたとしても、口では言えない場合もある。さらに言えば文章も駄目な人も) 日本人は示談ですませてしまうケースが多いし、裁判なんかやったら、こちらのぼろも出てきて、言いがかりをつけられるからやめろ、とも言われますが(私の知っている人も不当解雇され、先方はそのことさえ認めず、そのことを訴えたいと希望しましたが、親からとめられました)。怨念は残るわけですね。今でも、その人はその勤め先が潰れてしまえば良かった、東日本大震災の時にでも、と。ただし、そこが潰れたら、困る人(子供たち)もいるのでしょう、とも(ブラックユーモアになっていませんか…すみません)。 ですから、裁判制度はやはり必要です、そして、辯護士は「人権」とかではなく、裁判そのものに不慣れな「依頼者」の代言をすること、依頼人(被告人)が裁判の結果ノイローゼにならぬことをこころがける必要もあるでしょう。 さらに…裁判をする上での手続きやストレスが問題と、あるいは(かりに)圧力があってあきらめてしまったとしてもら、外国の力を借りてでも裁判なんてことはやはりみっともない、男らしくない、と思います。江戸川乱歩の「悪魔の紋章」のような。(ある意味)「笑えるような」努力をして一族を根絶やしにするよりも、もうけたお金で先方の企業を買收するとか、別のやりかたの方がより建設的ではないか、と。 あと、ジャニーズファンの執念、否、熱意と調査能力の素晴らしさに感歎しました。明代に李自成という盗賊の親分がおり、実際に明を潰し、新国家「順」を建国するのですが、ほどなくして満洲族の「清」に敗退し、消滅しました。この話は講談になっているのですが、(同様に)調べてみるとかなり怪しい話が交じっているようで…。 ジャニーズファンのしていることも、同じなのかな、とか思いました。歴史研究とは大分異なる目的ですが、真実を見つけるという意味では共通していると。 話がこまごましたことになりましたが、とにかくキャンセル・カルチャーなどに負けずに、真実を見極め、この世でもっともかけがいのないもの、尊いものを残していって欲しいです。それは歴史研究とも同じだろうと思います。 今回、多賀城や青葉城を巡っても来ましたが、なにも残されていないところでも(標札などはありましたが)、発掘の結果、みつかった何かのあとはなにもないところでも、その土地の立地とか広さとか、風景などから感じ取ることはできるわけで、そういう何とも言えない感覚も「庶民感覚」ではないか、と。 ヨーロッパにもキリスト教国教化以前のローマ遺跡、ポンペイがあるわけで、その存在も史書に描かれていたから具体化されたわけで、欧州人もそのことを思い返して欲しいものだ、と思います。ポリティカル・コネクトとかではなしに。聖書からも、その記述による考古学があるわけですし。 最後に少しだけディズニーランドのことを辯護しておくと、あれは「夢の楽園」であって、遊園地とは現実を忘れ、非日常に浸るところでもあるので、子供じみてしまうのは仕方がない、とは思うのです。しかし、…成人式とはむしろ、現実に立ち向かうための儀式であり、かりに場所がないとしても、本来の趣旨とは違うと思います。 私の場合は市の公民館や体育館、ホールみたいなところで、少なくともん暴動はなかったですね。当たり前ですが。 以上、長文ですみませんでした。とりあえず、こんなところです。 ゴー宣ジャーナリスト、遲ればせながら、頑張って欲しいです。ではでは。
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そんな感じです。インターネット出現時代よりは権威がありましたが、それゆゑにっかたっくるい、とっつきにくい何か、だったような…。
ちなみに、私は夕刊の小説が好きで、伊達政宗の小説とか、夏樹鎮子さんの「訃報は午後4時に届く」とか…。近年(でもないか…)では「チーム・バチスタ」を書いた人の「アクアマリンの神殿」とか。主人公のアツシ君とか、(一見)女王然としたクラスメートの女の子とかがお気に入りだったかな?あと、織田信長の棺の話を書いた「水軍遥かなり」、かな?戦国時代の九鬼水軍という興味深いテーマが描かれていました。
朝刊では、水上勉さんの「地の乳房」というのも。ストーリーは忘れてしまいましたが。
あと、サンデー版の家族で地球脱出の移民船に乗るための旅をするのとか、アニメーターの金山明博さんの犬に変身する話(「スーパードッグ幻GEN」)とか、「焼け跡の元気君」とか…サンデー版の漫画がなくなってから、東京新聞は非常に味気なくなったです。別役実さんの「探偵X」さんのような話も。
身の上相談のようなのもあったし、昔の新聞の方が(思想的にはかわらないのかもしれませんが)面白かったのかも。
商売をするなら、そういうところでして欲しいものです。
あとは正義派ぶらないで、自己懐疑的でも有るべきでは?自問自答も。
西部邁さんが辯護士嫌いなのも…分からなくもないですね。話をややこしくするだけだから、なのでしょうか。私の理解もたりないのでしょうが、カウンセラーが「カウンセリングは万能ではない」というのと同じなのかも?このことからも「人権ほど曖昧な概念はない」と思います。
すなわち、みんな悩みを抱えている、だからあなたの悩みは特別なものではない…一見、ヒューマニズムに思えますが、要はだから悩む必要はない、貴方だけがハンディキャップをかかえているのではない、みんな同じだ、ですまされる可能性もある、となってしまうからです。それは本当の解決にはならないでしょう、私が心の相談室の電話とかに懐疑的なのはそういう(自分の経験にも基づく)理由です。
でも、ジャニーズとかも場合は、確実に辯護士が闘争を推進しないといいけないです。意見を表現したくても表現できない人もいるし(文章ではできたとしても、口では言えない場合もある。さらに言えば文章も駄目な人も)
日本人は示談ですませてしまうケースが多いし、裁判なんかやったら、こちらのぼろも出てきて、言いがかりをつけられるからやめろ、とも言われますが(私の知っている人も不当解雇され、先方はそのことさえ認めず、そのことを訴えたいと希望しましたが、親からとめられました)。怨念は残るわけですね。今でも、その人はその勤め先が潰れてしまえば良かった、東日本大震災の時にでも、と。ただし、そこが潰れたら、困る人(子供たち)もいるのでしょう、とも(ブラックユーモアになっていませんか…すみません)。
ですから、裁判制度はやはり必要です、そして、辯護士は「人権」とかではなく、裁判そのものに不慣れな「依頼者」の代言をすること、依頼人(被告人)が裁判の結果ノイローゼにならぬことをこころがける必要もあるでしょう。
さらに…裁判をする上での手続きやストレスが問題と、あるいは(かりに)圧力があってあきらめてしまったとしてもら、外国の力を借りてでも裁判なんてことはやはりみっともない、男らしくない、と思います。江戸川乱歩の「悪魔の紋章」のような。(ある意味)「笑えるような」努力をして一族を根絶やしにするよりも、もうけたお金で先方の企業を買收するとか、別のやりかたの方がより建設的ではないか、と。
あと、ジャニーズファンの執念、否、熱意と調査能力の素晴らしさに感歎しました。明代に李自成という盗賊の親分がおり、実際に明を潰し、新国家「順」を建国するのですが、ほどなくして満洲族の「清」に敗退し、消滅しました。この話は講談になっているのですが、(同様に)調べてみるとかなり怪しい話が交じっているようで…。
ジャニーズファンのしていることも、同じなのかな、とか思いました。歴史研究とは大分異なる目的ですが、真実を見つけるという意味では共通していると。
話がこまごましたことになりましたが、とにかくキャンセル・カルチャーなどに負けずに、真実を見極め、この世でもっともかけがいのないもの、尊いものを残していって欲しいです。それは歴史研究とも同じだろうと思います。
今回、多賀城や青葉城を巡っても来ましたが、なにも残されていないところでも(標札などはありましたが)、発掘の結果、みつかった何かのあとはなにもないところでも、その土地の立地とか広さとか、風景などから感じ取ることはできるわけで、そういう何とも言えない感覚も「庶民感覚」ではないか、と。
ヨーロッパにもキリスト教国教化以前のローマ遺跡、ポンペイがあるわけで、その存在も史書に描かれていたから具体化されたわけで、欧州人もそのことを思い返して欲しいものだ、と思います。ポリティカル・コネクトとかではなしに。聖書からも、その記述による考古学があるわけですし。
最後に少しだけディズニーランドのことを辯護しておくと、あれは「夢の楽園」であって、遊園地とは現実を忘れ、非日常に浸るところでもあるので、子供じみてしまうのは仕方がない、とは思うのです。しかし、…成人式とはむしろ、現実に立ち向かうための儀式であり、かりに場所がないとしても、本来の趣旨とは違うと思います。
私の場合は市の公民館や体育館、ホールみたいなところで、少なくともん暴動はなかったですね。当たり前ですが。
以上、長文ですみませんでした。とりあえず、こんなところです。
ゴー宣ジャーナリスト、遲ればせながら、頑張って欲しいです。ではでは。