大分、遅くなってしまい、すみません円…。却ってきてから、あれこれ忙しかったので(いいわけですが) 生で体験してきた東北道場の感想です。遲ればせながら…。 辯護士のゴーさんの話や、前回の名古屋の時に参加されていなかった高森先生の、ジャニーズ問題に関する意見などもうかがえて、かなり意義のある道場でした。不動産屋なんですね、某新聞社は。 千葉県の銚子電鉄は、せんべいを売っているという話を耳にしたことがありますが、それは食ってみたいですね。そちらの方が餘程価値があるし、銚子を有名にしようという意気込みも感じられます。勿論、乘客がたくさん乗って欲しいですし、場合によってはJRに統合で、そして、JRの方でも総武本線(で良かったのかな?)と一体化して、絶対に廃線などにしてはなるまじ、です…。少し話題がずれました。 新聞も広告収入によって経営が成り立っている面があるのは認めます。雑誌などもそうですし。その某新聞社も、そのことで、充実した、利権などにまみれない、立派な記事を掲載できればいいのですが。勿論、正義派ぶるのでもなしに。さすれば「桃李もの言はざれども下自づから蹊を為す」とかなるのでは? 運動家にも同様のことが言えますよね?そうしないと…あさま荘事件みたいな、連合赤軍と大差ないのでは? 「十二國記」にも法に厳しすぎて(なおかつ宮廷には賄賂があふれて)革命で殺された王なんていうのもおりましたよね?上の人の言うことをただ聞くだけのことが正義なんでしょうか? よしりん先生は「偏見も庶民の智慧」と申されておりましたし、それも真理だろうと思いますが、個人の思い込みによる偏見もあるわけで、それで「みんなが同じ事を言っている」ということで自己承認がされたことになり、結果、差別や区別があってもいい、ジャニーズなんかなくなってもいい、ということにもなる。この場合の「みんな」は大衆化された人間たちであり、必ずしも多数派が正しいとも言えない場合もあるのでは、とか思います。 いじめられっ子が孤立化したり、誰からも庇ってもらえないのって、こんなところにあるのでは、とか。 高森先生が「庶民のしたたかさ」ということを述べられていましたので…。 私はよく「こどものおもちゃ」という漫画のことを話題にしますが、その中のエピソードです。主人公の倉田紗南(くらた さな)が中学入学したばかりで、3ヶ月以上拘束される映画ロケへ行き、噂になっている加村直澄(かむら なおずみ)と共演することになるのですが、その留守中に、週刊誌に「紗南と直澄が恋愛関係にある」というスクープが掲載されてしまいます。それはまったくのでまかせでしたが、小学校からのつきあいであるクラスメートは無条件にそれを信じてしまい、紗南のことを好きだった羽山秋人(はやま あきと)もそのことがきっかけで、紗南と容貌が似ている松井風花(まつい ふうか)と交際するようになりました。 その後、ロケから帰ってきた紗南はその事実を知り、「私のいうことよりも、週刊誌のいうことの方を信じたの?」とショックを受けます。実はロケ中に、紗南は自分が秋人のことを好きだという事実を知り、二人の交際のことを聞いてショックを受けるのですが、それでも頑張ってみると覚悟を決め、復学したところでもありました。そして、二人のことを忘れようとして、仕事三昧の日々をおくるようになりましたが、結局、秋人のことを忘れられませんでした(アニメではこの部分がかなり違っています。あっちの展開もかなり面白いのですが)。 一方、この話を知った共演者の直澄も、秋人フェアな勝負をしたいという気持ちがあり、TVでそのことを秋人に分かるように告白する、という話で…それを知った秋人も(小学生時代のガキ大将時代のように)荒れてしまうわけで…。ここからもアニメと違うのですが、それは今回のテーマとは関係ないので、省きます。 またまた下らない話を記しましたが、。この場合は有名スターの私的な友人たちの話なので、一般の庶民感覚とはかなり違うのかな、とも思います。とはいえ… ワイドショーの対象とする視聴者は「中学生以下」だそうですが、ひょっとしたら、それ以下なのかも。 私もスターの噂話とかは小学館の雑誌とか、学研の何とかコースなどでも耳にしたりしていましたが、「嘘から出た真」はあまりないな、と思っていました。確かに、三浦友和さんのことを山口百恵さんは「お兄さんみたいな人」しか言っていなかったし、(CMなどから)松田聖子さんと田原俊彦さんの噂みたいなものもありましたけれども…実際に違う結果になっておりますよね、どちらも。 小学生や中学生で新聞を活用するのは、社会科で、農業の実態とかっそういうのを調べる際の切り拔きでしたし(まだコピー機は普及していなかった。ゲラ判は学校での印刷で使ったりしましたが)、何かの発表で使ったような感じで、よしりん先生が赤旗の記事で夏休みの宿題(でしたっけ?)をやったような感覚だったのかな?あまり時事問題とはかかわりもなかったし(多少はありましたが)、そもそも子供が新聞をよむのはTV欄だったような…。 何新聞がどんな思想なんて区別はしていなかったです(そのことから東京新聞で、隣の祖母の家が朝日でした)。 …つづきます。
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大分、遅くなってしまい、すみません円…。却ってきてから、あれこれ忙しかったので(いいわけですが)
生で体験してきた東北道場の感想です。遲ればせながら…。
辯護士のゴーさんの話や、前回の名古屋の時に参加されていなかった高森先生の、ジャニーズ問題に関する意見などもうかがえて、かなり意義のある道場でした。不動産屋なんですね、某新聞社は。
千葉県の銚子電鉄は、せんべいを売っているという話を耳にしたことがありますが、それは食ってみたいですね。そちらの方が餘程価値があるし、銚子を有名にしようという意気込みも感じられます。勿論、乘客がたくさん乗って欲しいですし、場合によってはJRに統合で、そして、JRの方でも総武本線(で良かったのかな?)と一体化して、絶対に廃線などにしてはなるまじ、です…。少し話題がずれました。
新聞も広告収入によって経営が成り立っている面があるのは認めます。雑誌などもそうですし。その某新聞社も、そのことで、充実した、利権などにまみれない、立派な記事を掲載できればいいのですが。勿論、正義派ぶるのでもなしに。さすれば「桃李もの言はざれども下自づから蹊を為す」とかなるのでは?
運動家にも同様のことが言えますよね?そうしないと…あさま荘事件みたいな、連合赤軍と大差ないのでは?
「十二國記」にも法に厳しすぎて(なおかつ宮廷には賄賂があふれて)革命で殺された王なんていうのもおりましたよね?上の人の言うことをただ聞くだけのことが正義なんでしょうか?
よしりん先生は「偏見も庶民の智慧」と申されておりましたし、それも真理だろうと思いますが、個人の思い込みによる偏見もあるわけで、それで「みんなが同じ事を言っている」ということで自己承認がされたことになり、結果、差別や区別があってもいい、ジャニーズなんかなくなってもいい、ということにもなる。この場合の「みんな」は大衆化された人間たちであり、必ずしも多数派が正しいとも言えない場合もあるのでは、とか思います。
いじめられっ子が孤立化したり、誰からも庇ってもらえないのって、こんなところにあるのでは、とか。
高森先生が「庶民のしたたかさ」ということを述べられていましたので…。
私はよく「こどものおもちゃ」という漫画のことを話題にしますが、その中のエピソードです。主人公の倉田紗南(くらた さな)が中学入学したばかりで、3ヶ月以上拘束される映画ロケへ行き、噂になっている加村直澄(かむら なおずみ)と共演することになるのですが、その留守中に、週刊誌に「紗南と直澄が恋愛関係にある」というスクープが掲載されてしまいます。それはまったくのでまかせでしたが、小学校からのつきあいであるクラスメートは無条件にそれを信じてしまい、紗南のことを好きだった羽山秋人(はやま あきと)もそのことがきっかけで、紗南と容貌が似ている松井風花(まつい ふうか)と交際するようになりました。
その後、ロケから帰ってきた紗南はその事実を知り、「私のいうことよりも、週刊誌のいうことの方を信じたの?」とショックを受けます。実はロケ中に、紗南は自分が秋人のことを好きだという事実を知り、二人の交際のことを聞いてショックを受けるのですが、それでも頑張ってみると覚悟を決め、復学したところでもありました。そして、二人のことを忘れようとして、仕事三昧の日々をおくるようになりましたが、結局、秋人のことを忘れられませんでした(アニメではこの部分がかなり違っています。あっちの展開もかなり面白いのですが)。
一方、この話を知った共演者の直澄も、秋人フェアな勝負をしたいという気持ちがあり、TVでそのことを秋人に分かるように告白する、という話で…それを知った秋人も(小学生時代のガキ大将時代のように)荒れてしまうわけで…。ここからもアニメと違うのですが、それは今回のテーマとは関係ないので、省きます。
またまた下らない話を記しましたが、。この場合は有名スターの私的な友人たちの話なので、一般の庶民感覚とはかなり違うのかな、とも思います。とはいえ… ワイドショーの対象とする視聴者は「中学生以下」だそうですが、ひょっとしたら、それ以下なのかも。
私もスターの噂話とかは小学館の雑誌とか、学研の何とかコースなどでも耳にしたりしていましたが、「嘘から出た真」はあまりないな、と思っていました。確かに、三浦友和さんのことを山口百恵さんは「お兄さんみたいな人」しか言っていなかったし、(CMなどから)松田聖子さんと田原俊彦さんの噂みたいなものもありましたけれども…実際に違う結果になっておりますよね、どちらも。
小学生や中学生で新聞を活用するのは、社会科で、農業の実態とかっそういうのを調べる際の切り拔きでしたし(まだコピー機は普及していなかった。ゲラ判は学校での印刷で使ったりしましたが)、何かの発表で使ったような感じで、よしりん先生が赤旗の記事で夏休みの宿題(でしたっけ?)をやったような感覚だったのかな?あまり時事問題とはかかわりもなかったし(多少はありましたが)、そもそも子供が新聞をよむのはTV欄だったような…。
何新聞がどんな思想なんて区別はしていなかったです(そのことから東京新聞で、隣の祖母の家が朝日でした)。
…つづきます。