サトル のコメント

ライジング感想 その1

今号は、前号からの確信と(反応からの)安心感からか、小林先生がいつにもまして、その言説に力が入っており、読者としても、実に慶ばしいです(ゴーマンですねm(_ _)m)

「出題者が求めてる答えをだす」……これは自慢じゃないですが、小学生の頃から……国語の「この作者はなにを……」の設問には「ホイホイ」答えてました。
余談ですが、良く作者自身が「いや、そんなつもりじゃないんだが」……とか、「へぇ~、そうなんだ……と感心した」とかの「笑い話?」もたまにあるようで。

(戻して)
「いけすかないガキ」だったなオレ……と自分でも思ってます。クソガキですね。

さて本題。

自分でゴーマンな記述をしていながら、いざ感想を書こうとすると、いろんな考えが浮かんできて、上手く纏められず……。

実に自分はポンコツなんだ……と思い知らされます。

「学歴秀才」に関して、戸田山和久氏の著者「教養の書 (筑摩書房)」の一文を思い出しました。(既に人頼りm(_ _)m)

この本の中で、著者が中高一貫進学校に入学した時に、当時の音楽の先生に言われたことを、ほぼ冒頭にて書いています。

「……彼は開口一番「君たちは、自分が頭が良いと思っているだろう。だけど君らは◯◯ワである」と宣った。「チクワ」に非ず。……(中略)……いまから思えば、高々お受験勉強の訓練(トレーニング)をくぐり抜けた、猿回しのお猿さんでしかないわれわれの幼稚なプライドを破壊して……」

ここから主題である「教養とは?」について、ごちゃごちゃボヤキながら、彼は彼なりに定義します。(少し長いですが、引用します。この定義に当てはまる人物が浮かび上がります。「御本人」は、なんか不愉快……かも知れませんが)

【定義】
われわれにとっての教養とは、「社会の担い手であることを自覚し、公共圏における議論を通じて、未来へ向けて社会を改善し存続させようとする存在」であるために必要な素養・能力(市民的器量)であり、また、己に「規矩」を課すことによってそうした素養・能力を持つ人格へと自己形成するための過程も意味する。

ここでの素養・能力には、以下のものが含まれる。

大きな座標系に位置づけられ、互いに関連づけられた豊かな知識。さりとて既存の知識を絶対視はしない健全な懐疑。

より大きな価値基準に照らして自己を相対化し、必要があれば自分の意見を変えることを厭わない闊達さ。
公共圏と私生活圏のバランスをとる柔軟性。

答えの見つからない状態に対する耐性。
見通しのきかない中でも、少しでもよい方向に社会を変化させることができると信じ、その方向に向かって①②を用いて努力し続けるしたたかな楽天性とコミットメント。

残念ながら、すべての人がこういう人になれるとも、なりたがるとも思えない。でも、少数でもいいからこういう人々は人類のために必要だ。教養教育はそういう人々の自己形成を手助けするためにある、と私は信じている。
(前掲書p125より引用)

戸田山センセイ!ここに居らっしゃいますよ~!また「そんな場がありますよ~!」と、思った次第です。

……これ……「感想なのか?(^_^;)」

因みに戸田山和久氏は「100分de名著」の「華氏451」に解説者で登場。番組冒頭、「ボクは本当は本の「華氏451」よりトリフォー監督の「華氏451」(「華氏451」は未来の焚書を書いたSFの傑作)の方が好きなんだよね~」と発言。司会の女性と伊集院光を、軽く困惑させる「オモロイおっさん」です。
風貌は「ライオン 井上達夫氏」をさらに、小汚なく(失礼!)、おっさん化した人物です。

う~ん……。やっぱりワタシはポンコツだ。なげぇし。

No.47 10ヶ月前

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