昨日のつづきです。感想を後廻しにしてしまい、すみませんでした…。 ● 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第304回「エセ保守老害列伝~日本保守党2」 たかが「ウィキペディア」ごときの削除問題で、なにをうだうだ「ももた」という人はわめいているのか、と思いました。 (先にも記しましたが)ゴー宣道場でも、確か玉川徹がよしりん先生との対談を逃げたという書き込みをしたところ、削除されたとかいう事件がなかったのでしょうか? 出典がはっきりしており、それを明記すれば記事を立ち上げられるのがウィキペディアの記事ということになっていますが、何でもインターネットの個人ブログの記事には信用性がないということで、いくらよしりん先生やトッキーさんが玉川批判で正確な内容のことをブログで記したとしても、出典扱いされないのだそうです。 書籍で、何ページのどこに記されているか、ということが肝腎なことみたいです。だとすると、世の中、インターネットが主流になっていると言われていても、まだまだ書籍や雑誌、新聞の内容が重視されているということですね。 それらのメディアに、どれだけの客観性があるのか、という問題もあるのですが。たとえていうなら、ミステリーにおける「書いている人が犯人」みたいなおちだってあるし、株のパクリ詐欺における「善意の第三者を装う」という場合だって(オレオレ詐欺もそんな感じなのでしょうか)。 あと、聞いた話によると、短篇小説とか、漫画とかで「名作だから是非とも世に紹介したい、百科事典として完璧なものにしたい」とか判断して、記事をあげても、「TVドラマになっていない」とか「世に知られていない」「評論がない」とかいう理由で、「特筆性がない」という判定をされることがあり(漫画などとりわけそうらしい。長篇漫画でないと残りづらい)、百田さんのおっしゃられているのは、こちらなんでしょう 確かに、そういう判定を、いったいどこの誰が、どんな権限があっておこなっているのか、という不満は生まれるのでしょう。ウィキペディアには監修者が不明確な点もあり、それがこの事典の「不正確な」内容にもつながっています。リンクがされていないのに、文字が赤くなっているところも何が目的なのか、と(閲覧する際に)思います。 作品の内容を調べようと思ったら、その作者のところへとばされてしまうことも。 名目上でもいいから、「監修者」を決定すればこのようなことにはならぬわけですが。言っても無理なことですが。 そんな性格の事典に、何を言っても無駄、あきらるべし、というのが私の意見です。記事が残るのは「運」でしょう、多分。それと、多少の考証とそのための努力。手間もかかります。 百田氏が「日本保守党」という党を結成する意志にゆるぎはないのでしょうが、記事が不適当と判断されたら、どうすれば適当と認定されるのか、その努力をこそすべし、です。コロナみたいに何でも陰謀でかたづけてしまったら、単純と言わざるを得ないです。 せいぜいうちわでユーチューブで騷いでいなさい、それだけでしょう。 長くなったので、これでやめます。しかし…支援者に、井澤元彦さんまでいるんですか…。 最後に「しゃべくり」のおぼっちゃまくん人形、欲しいけれども…ものって、いつのまにか貴重品扱いされるものなんですね。 かりに「すずめの戸締まり」に登場する「椅子」がオークションにかけられたら、どうなるのでしょうか?頭が痛くなります…。 それと、今回の自分のネタをいちおう解説しておくと「アン・ルイス」さんの「甘い予感」という歌です。「リビング11」とう番組があり、夏休みにアン・ルイスさんが一週間ほどゲストに出て、毎日歌っていたので何となく覚えてしまった、というものです。 事務所がどうとか、性問題とかいう話ではなく、藝能とはそういう、耳に流れてくる歌を何となく覚えるものではないのか、と。何をむきになって、大騒ぎをしているのだろうか。 いのちを奪われたわけでもなく、またかたわになったとか、大損をしたとか、そういう話になるのでしょうか? では、次号を期待します。
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昨日のつづきです。感想を後廻しにしてしまい、すみませんでした…。
● 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第304回「エセ保守老害列伝~日本保守党2」
たかが「ウィキペディア」ごときの削除問題で、なにをうだうだ「ももた」という人はわめいているのか、と思いました。
(先にも記しましたが)ゴー宣道場でも、確か玉川徹がよしりん先生との対談を逃げたという書き込みをしたところ、削除されたとかいう事件がなかったのでしょうか?
出典がはっきりしており、それを明記すれば記事を立ち上げられるのがウィキペディアの記事ということになっていますが、何でもインターネットの個人ブログの記事には信用性がないということで、いくらよしりん先生やトッキーさんが玉川批判で正確な内容のことをブログで記したとしても、出典扱いされないのだそうです。
書籍で、何ページのどこに記されているか、ということが肝腎なことみたいです。だとすると、世の中、インターネットが主流になっていると言われていても、まだまだ書籍や雑誌、新聞の内容が重視されているということですね。
それらのメディアに、どれだけの客観性があるのか、という問題もあるのですが。たとえていうなら、ミステリーにおける「書いている人が犯人」みたいなおちだってあるし、株のパクリ詐欺における「善意の第三者を装う」という場合だって(オレオレ詐欺もそんな感じなのでしょうか)。
あと、聞いた話によると、短篇小説とか、漫画とかで「名作だから是非とも世に紹介したい、百科事典として完璧なものにしたい」とか判断して、記事をあげても、「TVドラマになっていない」とか「世に知られていない」「評論がない」とかいう理由で、「特筆性がない」という判定をされることがあり(漫画などとりわけそうらしい。長篇漫画でないと残りづらい)、百田さんのおっしゃられているのは、こちらなんでしょう
確かに、そういう判定を、いったいどこの誰が、どんな権限があっておこなっているのか、という不満は生まれるのでしょう。ウィキペディアには監修者が不明確な点もあり、それがこの事典の「不正確な」内容にもつながっています。リンクがされていないのに、文字が赤くなっているところも何が目的なのか、と(閲覧する際に)思います。
作品の内容を調べようと思ったら、その作者のところへとばされてしまうことも。
名目上でもいいから、「監修者」を決定すればこのようなことにはならぬわけですが。言っても無理なことですが。
そんな性格の事典に、何を言っても無駄、あきらるべし、というのが私の意見です。記事が残るのは「運」でしょう、多分。それと、多少の考証とそのための努力。手間もかかります。
百田氏が「日本保守党」という党を結成する意志にゆるぎはないのでしょうが、記事が不適当と判断されたら、どうすれば適当と認定されるのか、その努力をこそすべし、です。コロナみたいに何でも陰謀でかたづけてしまったら、単純と言わざるを得ないです。
せいぜいうちわでユーチューブで騷いでいなさい、それだけでしょう。
長くなったので、これでやめます。しかし…支援者に、井澤元彦さんまでいるんですか…。
最後に「しゃべくり」のおぼっちゃまくん人形、欲しいけれども…ものって、いつのまにか貴重品扱いされるものなんですね。
かりに「すずめの戸締まり」に登場する「椅子」がオークションにかけられたら、どうなるのでしょうか?頭が痛くなります…。
それと、今回の自分のネタをいちおう解説しておくと「アン・ルイス」さんの「甘い予感」という歌です。「リビング11」とう番組があり、夏休みにアン・ルイスさんが一週間ほどゲストに出て、毎日歌っていたので何となく覚えてしまった、というものです。
事務所がどうとか、性問題とかいう話ではなく、藝能とはそういう、耳に流れてくる歌を何となく覚えるものではないのか、と。何をむきになって、大騒ぎをしているのだろうか。
いのちを奪われたわけでもなく、またかたわになったとか、大損をしたとか、そういう話になるのでしょうか?
では、次号を期待します。