ここに書くべき事かどうか分からないのですが、ジャニー喜多川氏のいわゆる性加害問題に関する報道等に触れて感じた——いや、思い出した個人的な「男色的感覚(?)」について意見を述べたいと思います。 淀川長治氏をご存じでしょうか? 既に亡くなられてしまった方ですが、「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフでお馴染みの、日曜洋画劇場で解説を務めていたあの白髪のおじいちゃんです。 私は子どもの頃から彼の解説が好きでした。映画好きの少年がそのまま大人になったような彼の無邪気な語り口にどれだけ胸をワクワクさせたでしょうか。清潔感があり賢そうな雰囲気、舌ったらずな喋り、そしてあの特徴的な形と動きの三角眉毛。そんな彼の姿に幼かった私はどれだけほくそ笑んだか分かりません。 私は特別熱狂的な映画少年ではありませんでしたが、映画はもちろん小説や漫画や芸術という分野に関して平均的以上の興味を持った少年だったとは言えると思います(あくまで興味を持っていたに過ぎず、イコール才能があったという事ではありません)。 そんな私からしたら、映画に精通した淀川長治というおじいちゃんは尊敬・憧れの対象であったという事は言うまでもありません。高校生くらいの時に彼がゲイだという事実を知る事になりましたが、別にだからといって特に見方が変わる事もありませんでした。ソレはソレ、コレはコレです。 脇道に逸れるかもしれませんが、思い返してみると私は平均的な男性以上に同姓である男性に好かれる機会が多かったように思います。小学生の頃、「いい匂いがするね」と私の髪の毛の匂いを嗅いできたアイツ。中学校の卒業式後、やたら私の家に来ようと頑張っていた美しい顔をしたアイツ。建築現場でアルバイトをしていた頃、私の事をとてもかわいがってくれたガチムチの50代くらいのアイツ。行きつけの牛丼屋、私が行くと頬を赤らめモジモジと落ち着かなくなる少し年上だろう店員のアイツ。他にも色々なアイツが現われましたが、彼らはみんな私の事を、自覚してか無意識か分かりませんが性的な対象として接していたように思いますし、私もソレを感じていたと思います。 私は今回彼らの事を思い出しましたが、当時も決して嫌な感覚は抱いておらず、今も何処か可愛らしさや愛おしさみたいな感覚を抱いているというのが本音かもしれません。 私は男性と性的な接触を持ったことはなく、むしろ女性の大きなオッパイや引き締まったウエストやプリンプリンのお尻が大好きなクッソエロいオスに違いないのですが、もし状況が状況だったら彼ら男性ともう少し濃厚な接触があったであろう可能性は否定できません。 さて、淀川長治氏の話しに戻りますが、私は過去に出会ったアイツらとは違い、淀川氏の事は大好きで凄く尊敬してもいました。もし、若くて今よりもピュアだった私が、仮に淀川氏から熱烈なラブコールを受けたとしたらどう反応したでしょうか? 敬愛する相手から暴力的ではない優しいカンジだと思える性的な接触を受けたとしたら私はどう反応したでしょうか? おそらくですが、きっと私は応じていたのではないかと考えます。女性に感じる恋愛感情とは異なるものかもしれませんが、敬愛と恍惚感と高揚感と罪悪感、あとは何だかよく分からない不思議な感覚を含んだ性的な感情を抱いたかもしれません。 そろそろ話しをまとめたいと思いますが、ジャニー喜多川氏に言い寄られた少年たちのなかには、きっと私のような感覚を抱いた者も少なくなかったのではないでしょうか? ただただ老いた権力者に身体を欲しいままにされたという感覚ではなく、私が淀川氏に言い寄られていたらと仮定したときに抱いたであろう感覚と近しいものを抱いた少年も少なくなかったのではないでしょうか? もしそうだとしたら、そんな彼らは今回ジャニー喜多川氏が鬼畜かバケモノのように扱われている事態をどのように見ているでしょうか? ただの被害者のように扱われてしまっている事について憤慨しているのではないでしょうか? ジャニー喜多川氏は昭和、平成の時代に絶大なアイドル文化を築いた才人です。それは多くの人が認めるところだと思いますが、そんなジャニー喜多川氏の才能を間近で見た少年たちはなおさらそういった尊敬の念を抱いた事でしょう。そんな少年たちの存在を一切考慮せずに全てをキャンセルしてしまおうとする今の現状に私は強い違和感を抱かずにはいられません。 敬愛の念から男性と性的接触を持ってしまう事もあるのではないでしょうか? そして、それはどちらが悪とかいう話しではないのではなないでしょうか? 以上、個人的な男色的感覚からジャニーズ喜多川氏の性加害問題について触れてみました。
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ここに書くべき事かどうか分からないのですが、ジャニー喜多川氏のいわゆる性加害問題に関する報道等に触れて感じた——いや、思い出した個人的な「男色的感覚(?)」について意見を述べたいと思います。
淀川長治氏をご存じでしょうか? 既に亡くなられてしまった方ですが、「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフでお馴染みの、日曜洋画劇場で解説を務めていたあの白髪のおじいちゃんです。
私は子どもの頃から彼の解説が好きでした。映画好きの少年がそのまま大人になったような彼の無邪気な語り口にどれだけ胸をワクワクさせたでしょうか。清潔感があり賢そうな雰囲気、舌ったらずな喋り、そしてあの特徴的な形と動きの三角眉毛。そんな彼の姿に幼かった私はどれだけほくそ笑んだか分かりません。
私は特別熱狂的な映画少年ではありませんでしたが、映画はもちろん小説や漫画や芸術という分野に関して平均的以上の興味を持った少年だったとは言えると思います(あくまで興味を持っていたに過ぎず、イコール才能があったという事ではありません)。
そんな私からしたら、映画に精通した淀川長治というおじいちゃんは尊敬・憧れの対象であったという事は言うまでもありません。高校生くらいの時に彼がゲイだという事実を知る事になりましたが、別にだからといって特に見方が変わる事もありませんでした。ソレはソレ、コレはコレです。
脇道に逸れるかもしれませんが、思い返してみると私は平均的な男性以上に同姓である男性に好かれる機会が多かったように思います。小学生の頃、「いい匂いがするね」と私の髪の毛の匂いを嗅いできたアイツ。中学校の卒業式後、やたら私の家に来ようと頑張っていた美しい顔をしたアイツ。建築現場でアルバイトをしていた頃、私の事をとてもかわいがってくれたガチムチの50代くらいのアイツ。行きつけの牛丼屋、私が行くと頬を赤らめモジモジと落ち着かなくなる少し年上だろう店員のアイツ。他にも色々なアイツが現われましたが、彼らはみんな私の事を、自覚してか無意識か分かりませんが性的な対象として接していたように思いますし、私もソレを感じていたと思います。
私は今回彼らの事を思い出しましたが、当時も決して嫌な感覚は抱いておらず、今も何処か可愛らしさや愛おしさみたいな感覚を抱いているというのが本音かもしれません。
私は男性と性的な接触を持ったことはなく、むしろ女性の大きなオッパイや引き締まったウエストやプリンプリンのお尻が大好きなクッソエロいオスに違いないのですが、もし状況が状況だったら彼ら男性ともう少し濃厚な接触があったであろう可能性は否定できません。
さて、淀川長治氏の話しに戻りますが、私は過去に出会ったアイツらとは違い、淀川氏の事は大好きで凄く尊敬してもいました。もし、若くて今よりもピュアだった私が、仮に淀川氏から熱烈なラブコールを受けたとしたらどう反応したでしょうか? 敬愛する相手から暴力的ではない優しいカンジだと思える性的な接触を受けたとしたら私はどう反応したでしょうか? おそらくですが、きっと私は応じていたのではないかと考えます。女性に感じる恋愛感情とは異なるものかもしれませんが、敬愛と恍惚感と高揚感と罪悪感、あとは何だかよく分からない不思議な感覚を含んだ性的な感情を抱いたかもしれません。
そろそろ話しをまとめたいと思いますが、ジャニー喜多川氏に言い寄られた少年たちのなかには、きっと私のような感覚を抱いた者も少なくなかったのではないでしょうか? ただただ老いた権力者に身体を欲しいままにされたという感覚ではなく、私が淀川氏に言い寄られていたらと仮定したときに抱いたであろう感覚と近しいものを抱いた少年も少なくなかったのではないでしょうか? もしそうだとしたら、そんな彼らは今回ジャニー喜多川氏が鬼畜かバケモノのように扱われている事態をどのように見ているでしょうか? ただの被害者のように扱われてしまっている事について憤慨しているのではないでしょうか?
ジャニー喜多川氏は昭和、平成の時代に絶大なアイドル文化を築いた才人です。それは多くの人が認めるところだと思いますが、そんなジャニー喜多川氏の才能を間近で見た少年たちはなおさらそういった尊敬の念を抱いた事でしょう。そんな少年たちの存在を一切考慮せずに全てをキャンセルしてしまおうとする今の現状に私は強い違和感を抱かずにはいられません。
敬愛の念から男性と性的接触を持ってしまう事もあるのではないでしょうか? そして、それはどちらが悪とかいう話しではないのではなないでしょうか?
以上、個人的な男色的感覚からジャニーズ喜多川氏の性加害問題について触れてみました。