ジャニー喜多川の件について、やたら正義感を振りかざして今頃猛烈にバッシングし始めた人々には強烈な違和感があり、しかし、どうもその違和感を上手く説明できず、モヤモヤしていたのですが、小林先生のブログや今回のライジング記事などでだんだんと考えがまとまってきました。 30年前の慰安婦論争の頃、私は中学生で、ニュースを初めて聞いた時は「なんて酷いことを!日本も日本兵もやっぱり悪者だったんだ!」と怒りを覚えたのですが、当時の新聞の投書欄では、私と同様の女性からの怒りの投書に対して、元日本兵の方々の「戦地に慰安婦はいたが、強制連行などなかった。当時は戦地に慰安婦はつきものだったのに、なぜ今になって急に批判し始めたのか」「戦友の名誉を守らなくてはならないと思って反論した」という投書が相次ぐのを見て、「一体どっちが言ってることが正しいんだろう?」と不思議に思うようになりました。実はそれが、数年後に大学生になってからゴー宣を読むようになったきっかけでした。 慰安婦論争がきっかけでゴー宣を読み始め、大東亜戦争について知り始めたタイミングで『戦争論』が発売されて、価値観が全く変わってしまうほどの衝撃を受けた世代ですので、今回のジャニーズの騒ぎでやたら激昂している人たちのことも「人権真理教の純粋まっすぐ君」と言われれば、すぐ理解できました。 過去のゴー宣では、慰安婦だった女性たちのことを、「戦地の日本兵を慰めてくれた」と尊敬して、感謝すると描かれていましたよね。そうした側面を全く見ず、とにかく「おかわいそうな被害者」に貶めるのは、慰安婦にしてもジャニーズタレントに対しても侮辱であると思います。 現代の価値観、それも欧米のキリスト教的な純潔主義の観念から一方的に過去を裁き、断罪し、功罪の功の部分を一切顧みない偏狭さ、野蛮さは、「自分は正しい」という思い上がりそのものです。 ライジングコメント欄や質問コーナーを見ていても思いますが、ジャニー喜多川をとにかく極悪非道の絶対に許してはならない、ただの変態性欲の悪人と切り捨て、ジャニーズタレントをただ単なる変態ジジイに弄ばれた被害者と貶める乱暴な見方をする人たちって、ほぼ男性ですね。特に、今回サンプルとして挙げられた人の「伊藤詩織さんをレイプした犯人の数十倍悪質」との言葉には唖然としました。いくらなんでもそんなわけあるか! この人、自分では自分のことを、いたいけな少年に同情できる善人だと思っているのかもしれませんが、伊藤さんが受けた性被害がどれだけ理不尽なものか、さらに時の権力者によって罪状自体が握りつぶされ、権利者のシンパから身の安全までも脅かされているという被害の深刻さが全く分かっておらず、いかにも男性の無神経さがむき出しになっていることに全く気づいていませんね。 こういう、極端にジャニー喜多川を嫌悪し、罵倒する人は普段ジャニーズにさして興味もなく、それどころか「ジャニタレ」などと見下している人なのでは?という気さえします。 自分がジャニー喜多川に襲われたわけでもないのに、なぜここまで憎悪をむき出しにするのかと不思議なくらいですが、もしかして、絶対に犯されざるべき、強くあるべきだと思っていた男性性が、実は犯される性であるかもしれないという恐怖と嫌悪によるものなのだろうかとも思います。 ジャニーズ問題については、今月のチェブリン・モン子さんとのLIVEでも存分に語られるとのことですので、楽しみにしています。(セカンドレイプと怒る人への反論がうまく構築できないこともあり…) また、なかなか感想が書けていませんが、大須賀さんの毎日のブログ記事も大変参考になり、興味深く、楽しく読ませていただいています。愛子さま生誕祭でも、また色々と大須賀さんの仕掛けがあるのかな?と今から楽しみです😊
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ジャニー喜多川の件について、やたら正義感を振りかざして今頃猛烈にバッシングし始めた人々には強烈な違和感があり、しかし、どうもその違和感を上手く説明できず、モヤモヤしていたのですが、小林先生のブログや今回のライジング記事などでだんだんと考えがまとまってきました。
30年前の慰安婦論争の頃、私は中学生で、ニュースを初めて聞いた時は「なんて酷いことを!日本も日本兵もやっぱり悪者だったんだ!」と怒りを覚えたのですが、当時の新聞の投書欄では、私と同様の女性からの怒りの投書に対して、元日本兵の方々の「戦地に慰安婦はいたが、強制連行などなかった。当時は戦地に慰安婦はつきものだったのに、なぜ今になって急に批判し始めたのか」「戦友の名誉を守らなくてはならないと思って反論した」という投書が相次ぐのを見て、「一体どっちが言ってることが正しいんだろう?」と不思議に思うようになりました。実はそれが、数年後に大学生になってからゴー宣を読むようになったきっかけでした。
慰安婦論争がきっかけでゴー宣を読み始め、大東亜戦争について知り始めたタイミングで『戦争論』が発売されて、価値観が全く変わってしまうほどの衝撃を受けた世代ですので、今回のジャニーズの騒ぎでやたら激昂している人たちのことも「人権真理教の純粋まっすぐ君」と言われれば、すぐ理解できました。
過去のゴー宣では、慰安婦だった女性たちのことを、「戦地の日本兵を慰めてくれた」と尊敬して、感謝すると描かれていましたよね。そうした側面を全く見ず、とにかく「おかわいそうな被害者」に貶めるのは、慰安婦にしてもジャニーズタレントに対しても侮辱であると思います。
現代の価値観、それも欧米のキリスト教的な純潔主義の観念から一方的に過去を裁き、断罪し、功罪の功の部分を一切顧みない偏狭さ、野蛮さは、「自分は正しい」という思い上がりそのものです。
ライジングコメント欄や質問コーナーを見ていても思いますが、ジャニー喜多川をとにかく極悪非道の絶対に許してはならない、ただの変態性欲の悪人と切り捨て、ジャニーズタレントをただ単なる変態ジジイに弄ばれた被害者と貶める乱暴な見方をする人たちって、ほぼ男性ですね。特に、今回サンプルとして挙げられた人の「伊藤詩織さんをレイプした犯人の数十倍悪質」との言葉には唖然としました。いくらなんでもそんなわけあるか!
この人、自分では自分のことを、いたいけな少年に同情できる善人だと思っているのかもしれませんが、伊藤さんが受けた性被害がどれだけ理不尽なものか、さらに時の権力者によって罪状自体が握りつぶされ、権利者のシンパから身の安全までも脅かされているという被害の深刻さが全く分かっておらず、いかにも男性の無神経さがむき出しになっていることに全く気づいていませんね。
こういう、極端にジャニー喜多川を嫌悪し、罵倒する人は普段ジャニーズにさして興味もなく、それどころか「ジャニタレ」などと見下している人なのでは?という気さえします。
自分がジャニー喜多川に襲われたわけでもないのに、なぜここまで憎悪をむき出しにするのかと不思議なくらいですが、もしかして、絶対に犯されざるべき、強くあるべきだと思っていた男性性が、実は犯される性であるかもしれないという恐怖と嫌悪によるものなのだろうかとも思います。
ジャニーズ問題については、今月のチェブリン・モン子さんとのLIVEでも存分に語られるとのことですので、楽しみにしています。(セカンドレイプと怒る人への反論がうまく構築できないこともあり…)
また、なかなか感想が書けていませんが、大須賀さんの毎日のブログ記事も大変参考になり、興味深く、楽しく読ませていただいています。愛子さま生誕祭でも、また色々と大須賀さんの仕掛けがあるのかな?と今から楽しみです😊