まづ、一言…。ちぇぶさんの8月14日の一連のブログをよんで。 自分もカウアンという人は(そおれでも)被害者なのだ、と思っておりました。だから、裁判までは個人的にすればいい、という考えでしたが…、考え直す必要ありですね。 >>230 同意します。「西遊記」の孫悟空がお釈迦様の手のひらから拔け出せないエピソードを思い返してみるとよいのでは、と思います。見ている世界は、「自分」が見ている世界で、自分の見ていない部分が「世界」にはある、という意識が要るのでは、と。 シュレディンガーの猫という假設がありますが、「要は箱をあければいいだけでしょう?猫が死んだりいきたりしているのではなく、自分が見ていない箱の内部では、事態が信仰している、ということなのでは? 自分の未知の領域、あるいは感性的に受け入れられない事実のようなものは確実に存在する、と思います。でも、そのことに「想像」を思い巡らせ、「理解」する努力は必要で、ただあからさまに「非道」なものに対しては異を唱える、でよいのではないのでしょうか? >>232 私も「意見の同意者」を求めるのは「甘え」だ、と思います。小林よしのりさんの意見が異なっていたとしても、それを自分に合わせようとしたり、意見が違うからと「非難」するのは「甘え」であろうと思います。ほかになすべきことがあるのでは?
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まづ、一言…。ちぇぶさんの8月14日の一連のブログをよんで。
自分もカウアンという人は(そおれでも)被害者なのだ、と思っておりました。だから、裁判までは個人的にすればいい、という考えでしたが…、考え直す必要ありですね。
>>230
同意します。「西遊記」の孫悟空がお釈迦様の手のひらから拔け出せないエピソードを思い返してみるとよいのでは、と思います。見ている世界は、「自分」が見ている世界で、自分の見ていない部分が「世界」にはある、という意識が要るのでは、と。
シュレディンガーの猫という假設がありますが、「要は箱をあければいいだけでしょう?猫が死んだりいきたりしているのではなく、自分が見ていない箱の内部では、事態が信仰している、ということなのでは?
自分の未知の領域、あるいは感性的に受け入れられない事実のようなものは確実に存在する、と思います。でも、そのことに「想像」を思い巡らせ、「理解」する努力は必要で、ただあからさまに「非道」なものに対しては異を唱える、でよいのではないのでしょうか?
>>232
私も「意見の同意者」を求めるのは「甘え」だ、と思います。小林よしのりさんの意見が異なっていたとしても、それを自分に合わせようとしたり、意見が違うからと「非難」するのは「甘え」であろうと思います。ほかになすべきことがあるのでは?