5回目ですが…。次の号は来週だったんですね。フライイングでした…。 (^_^;) こちらにも記しておきます。 FLASHの「夫婦の絆」ですが、日本神話のニニギノミコトの話を思い出しました。 煩雜になるので、詳しい話を知りたいかたは「古事記」の現代語をすすめますが、簡単に記すと、 天照大御神の孫、邇邇芸命(ににぎのみこと)は、日向国(現在の宮崎県あたり)に降り立った際、その土地の国津神(くにつかみ)の娘で、(美人の)木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)に出会い、好きになりました。国津神は(ぶさいくな)姉の石長比売(いわながひめ)を同時にニニギに妻として与えました。 すなわち、いっちゃんが「ニニギ」の立場で、木花之佐久夜が「沙耶」、石長が「蜜子」に該当するように感じたわけです。 なお、神話では、ニニギはどうしても姉の石長を愛することができず、親の国津神に返却してしまいました。国津神は悲しんで、 「貴方は長生きの象徴である姉を拒み、妹の方を選んでしまった。天孫である貴方の子孫は、花のように栄えるが、寿命は短くなるだろう」 と呪ったといいます。 その後、木花之佐久夜は一夜にして懷妊し、それを怪しんだニニギに、産屋(うぶや)に火を放って3人の子を出産し、その中の二人が、海幸彦と山幸彦で、山幸彦の孫の末っ子が神日本磐余彦、すなわち神武天皇、となっています。 男系派とか、こういう話をご存じなのでしょうか?ここでは確実に、女性である石長や、木花之佐久夜の立場の方が強いように思えるのですが…? ついでに紹介すると、山岸凉子先生の漫画にも、この関係を題材にした話があります、そちらは妹は美人だけれども、自分に自信がなく、姉の友人である男性に出会うのですが、彼は幼くしてなくなった兄と同名で、そのことにコンプレックスをもっている、とかいう話でした。 実を言えば、「らんまん」の園子ちゃんの話で、そのことを思い出しました、万太郎と寿恵子さんが、同じ名前を2番目の子につけなくて良かったな、とか。 徳川家康は、信康なきあと、長丸(のちの秀忠)を(自分と信康の幼名である)「竹千代」と改名させたという話もあるのですが…どうも秀忠を正式なあととりにするための眉唾のようです(理由;「なんでも鑑定団」に、以前、「長丸」名義の書なるものが登場したことなどから。恐らく、改名が本当だとしても、秀忠本人も主として「長丸」の方を用いていたのでしょう。江の出生ではない、夭逝した長男の名前も「長丸」でした) 話が脱線しました。山岸凉子さんの話ですが…いちおうハッピーエンドになるんじゃないのかな、あの展開だと。 興味のあるかたは捜してみてください。1986年あたりの、ASUKAに掲載された作品です。 つまらぬことをだらだらと述べました。「夫婦の絆」と「愛子天皇論」のコラボとか、実現したら、とか思っていますが…むづかしいのかな? それでは、今宵はここまでに致したうございます…。回数オーバー、反省です。
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5回目ですが…。次の号は来週だったんですね。フライイングでした…。
(^_^;)
こちらにも記しておきます。
FLASHの「夫婦の絆」ですが、日本神話のニニギノミコトの話を思い出しました。
煩雜になるので、詳しい話を知りたいかたは「古事記」の現代語をすすめますが、簡単に記すと、
天照大御神の孫、邇邇芸命(ににぎのみこと)は、日向国(現在の宮崎県あたり)に降り立った際、その土地の国津神(くにつかみ)の娘で、(美人の)木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)に出会い、好きになりました。国津神は(ぶさいくな)姉の石長比売(いわながひめ)を同時にニニギに妻として与えました。
すなわち、いっちゃんが「ニニギ」の立場で、木花之佐久夜が「沙耶」、石長が「蜜子」に該当するように感じたわけです。
なお、神話では、ニニギはどうしても姉の石長を愛することができず、親の国津神に返却してしまいました。国津神は悲しんで、
「貴方は長生きの象徴である姉を拒み、妹の方を選んでしまった。天孫である貴方の子孫は、花のように栄えるが、寿命は短くなるだろう」
と呪ったといいます。
その後、木花之佐久夜は一夜にして懷妊し、それを怪しんだニニギに、産屋(うぶや)に火を放って3人の子を出産し、その中の二人が、海幸彦と山幸彦で、山幸彦の孫の末っ子が神日本磐余彦、すなわち神武天皇、となっています。
男系派とか、こういう話をご存じなのでしょうか?ここでは確実に、女性である石長や、木花之佐久夜の立場の方が強いように思えるのですが…?
ついでに紹介すると、山岸凉子先生の漫画にも、この関係を題材にした話があります、そちらは妹は美人だけれども、自分に自信がなく、姉の友人である男性に出会うのですが、彼は幼くしてなくなった兄と同名で、そのことにコンプレックスをもっている、とかいう話でした。
実を言えば、「らんまん」の園子ちゃんの話で、そのことを思い出しました、万太郎と寿恵子さんが、同じ名前を2番目の子につけなくて良かったな、とか。
徳川家康は、信康なきあと、長丸(のちの秀忠)を(自分と信康の幼名である)「竹千代」と改名させたという話もあるのですが…どうも秀忠を正式なあととりにするための眉唾のようです(理由;「なんでも鑑定団」に、以前、「長丸」名義の書なるものが登場したことなどから。恐らく、改名が本当だとしても、秀忠本人も主として「長丸」の方を用いていたのでしょう。江の出生ではない、夭逝した長男の名前も「長丸」でした)
話が脱線しました。山岸凉子さんの話ですが…いちおうハッピーエンドになるんじゃないのかな、あの展開だと。
興味のあるかたは捜してみてください。1986年あたりの、ASUKAに掲載された作品です。
つまらぬことをだらだらと述べました。「夫婦の絆」と「愛子天皇論」のコラボとか、実現したら、とか思っていますが…むづかしいのかな?
それでは、今宵はここまでに致したうございます…。回数オーバー、反省です。