…私もこのところ、ライジングコメントなど、疎かになっておりました。反省します…。 ●. ゴーマニズム宣言・第505回「ジャニーズ問題と日本の性文化」 確か、聖書においては、同性愛のみならず、(あまり想像はしたくはないのですが)けものの場合とか、あるいは「地面にまく」(つまり、オナニー)というのもいけないことになっているのではないか、と覚えています。 (たびたびこの場でよく取り上げる)川原泉先生の「笑う大天使(ミカエル)」の中でも、ヒロインの三人組が「何千年も前からいたのだな、ホモは「おっとろしいのお~。ホモは死刑かよ」「獣と?犬や牛馬を相手にいくら何でも…。なにがウレシクてそーゆー事を?」「まるっきし変態じゃねーか。相手の動物もいいメイワクだよな」といっていたのを思い出しました、 この動物の場合も、「機会性」のようなものなのでしょうか? 私は「小姓」とか「お稚児」で、昔の人の中には同性愛者が多いのかな、といった錯覚を起こしておりましたが…そういう話になるんですね。僧侶の場合は、女犯なんだから、選択肢がないと言えるわけですが(我慢する、という選択肢は…かなり難しいのでしょう…)。 すなわち、「産めよ増やせよ」がユダヤ教やキリスト教、そしてイスラムの基本で、これは、イスラエル民族が中東の荒野の地で信仰を育てていったことからくるのでは、と勝手に想像しています。 それに対して、日本は…四季があり、穀物も豊かで、(平地はあまりない、もしくは限られたところしかない、扇状地や盆地ばかりなのだけれども)暮らしやすい環境にある、と言えるわけで、そういうところから、男色・女色などにも寛容であったのではないか、と。ギリシャや小アジアなども暑かったけれども、中東よりは生活がしやすかったのでは、と。詳しく調べていないのでこんなところですが。 個人的な話ですが、正直、私は、同性愛・異性愛どちらでも好きな方を選べばいいのでは、という感じです。そういう漫画とかもよんできたからでしょう。個人としては異性愛の方がいいのですが。 ただ、(先のライジングでよしりん先生は男女の境界線はうつろいやすいものだと述べられていましたが)私自身は、女性心理はまるでわからず、「(振られた)嫌がらせをしている」とか誤解を受けたりしましたが。「人それぞれの考えはまるで違う」ということなのか、と理解しようとしていますが、からだの構造の違い(具体的に言えば、子供をうめるとかうめないとか)などは大きいのかな、と。そこから来る「心理面」での問題は差があるのかな、といった感じです。 ちなみに、ザビエルもキリスト教やヨーロッパ人としてはかなり異邦人の方で、バスク民族という、ヨーロッパのどの系譜にもあてはまらない部族だそうです。それゆえに、(正道である)キリスト教のカトリックの改革運動のイエズス会に参加し、国外への布教に従事するようになったわけで、彼の視点はかなり手厳しかった、原理主義的なものだったのではないか、という気がします(これも詳しく調べてはいませんが) アメリカ合衆国も、プロテスタント、聖書原理主義の国だから、よけいに「同性愛」への偏見が強かったのでしょう。魔女狩りみたいなものなのかな? 以上、わかったような、わけのわからないようなことをしるしてみましたが、歴史的土壌が異なると、生活習慣も文化も違ったものになるから、同じ物差しで判断してはいけないわけですね。次号以降の記事も楽しみです。 あと、ついでに記しますが、「時事問題をとりあげる」ことについては、ゴー宣自体がアイドルとか藝能話も題材にされたものですし、どのように話題が発展するかで判断すべきでは、というのが私の意見です。「君の名は。」や「シンゴジラ」、京アニ事件などと同じですね。世相が時代反映している場合もあるわけでしょう。そんなところです。遅ればせながら…。
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…私もこのところ、ライジングコメントなど、疎かになっておりました。反省します…。
●. ゴーマニズム宣言・第505回「ジャニーズ問題と日本の性文化」
確か、聖書においては、同性愛のみならず、(あまり想像はしたくはないのですが)けものの場合とか、あるいは「地面にまく」(つまり、オナニー)というのもいけないことになっているのではないか、と覚えています。
(たびたびこの場でよく取り上げる)川原泉先生の「笑う大天使(ミカエル)」の中でも、ヒロインの三人組が「何千年も前からいたのだな、ホモは「おっとろしいのお~。ホモは死刑かよ」「獣と?犬や牛馬を相手にいくら何でも…。なにがウレシクてそーゆー事を?」「まるっきし変態じゃねーか。相手の動物もいいメイワクだよな」といっていたのを思い出しました、
この動物の場合も、「機会性」のようなものなのでしょうか?
私は「小姓」とか「お稚児」で、昔の人の中には同性愛者が多いのかな、といった錯覚を起こしておりましたが…そういう話になるんですね。僧侶の場合は、女犯なんだから、選択肢がないと言えるわけですが(我慢する、という選択肢は…かなり難しいのでしょう…)。
すなわち、「産めよ増やせよ」がユダヤ教やキリスト教、そしてイスラムの基本で、これは、イスラエル民族が中東の荒野の地で信仰を育てていったことからくるのでは、と勝手に想像しています。
それに対して、日本は…四季があり、穀物も豊かで、(平地はあまりない、もしくは限られたところしかない、扇状地や盆地ばかりなのだけれども)暮らしやすい環境にある、と言えるわけで、そういうところから、男色・女色などにも寛容であったのではないか、と。ギリシャや小アジアなども暑かったけれども、中東よりは生活がしやすかったのでは、と。詳しく調べていないのでこんなところですが。
個人的な話ですが、正直、私は、同性愛・異性愛どちらでも好きな方を選べばいいのでは、という感じです。そういう漫画とかもよんできたからでしょう。個人としては異性愛の方がいいのですが。
ただ、(先のライジングでよしりん先生は男女の境界線はうつろいやすいものだと述べられていましたが)私自身は、女性心理はまるでわからず、「(振られた)嫌がらせをしている」とか誤解を受けたりしましたが。「人それぞれの考えはまるで違う」ということなのか、と理解しようとしていますが、からだの構造の違い(具体的に言えば、子供をうめるとかうめないとか)などは大きいのかな、と。そこから来る「心理面」での問題は差があるのかな、といった感じです。
ちなみに、ザビエルもキリスト教やヨーロッパ人としてはかなり異邦人の方で、バスク民族という、ヨーロッパのどの系譜にもあてはまらない部族だそうです。それゆえに、(正道である)キリスト教のカトリックの改革運動のイエズス会に参加し、国外への布教に従事するようになったわけで、彼の視点はかなり手厳しかった、原理主義的なものだったのではないか、という気がします(これも詳しく調べてはいませんが)
アメリカ合衆国も、プロテスタント、聖書原理主義の国だから、よけいに「同性愛」への偏見が強かったのでしょう。魔女狩りみたいなものなのかな?
以上、わかったような、わけのわからないようなことをしるしてみましたが、歴史的土壌が異なると、生活習慣も文化も違ったものになるから、同じ物差しで判断してはいけないわけですね。次号以降の記事も楽しみです。
あと、ついでに記しますが、「時事問題をとりあげる」ことについては、ゴー宣自体がアイドルとか藝能話も題材にされたものですし、どのように話題が発展するかで判断すべきでは、というのが私の意見です。「君の名は。」や「シンゴジラ」、京アニ事件などと同じですね。世相が時代反映している場合もあるわけでしょう。そんなところです。遅ればせながら…。