本当に、いつもぎりぎりですが、感想です。 ● ゴーマニズム宣言・第501回「コロナ禍の後始末」 自分にとって、不都合な現実を、何者かのせいにする…自分にとっても、覚えのあることばかりで、身につまされるような気がします。しかし、そこまで人間は弱く、個が確立していると思っていても、実際は誰かや何物かの影響を受けているのかな、とか思います。 私は周囲から「かわったやつ」扱い、あるいは「不甲斐ない人間」としか思われていないので、かなりマイペースな行動をしましたが、誰にも影響をあたえることができなかったのが、悔しく思います。 このコロナ騷動においても、「呉越同舟」だったのかな、といったところです。でも、多数派であることとか、仲間などがいないと、難局を乗り切れなかったりするのでしょう。 そんな感じです。ひとりでもさびしくない、というのは難しいな、です。 だからこそ、国際法のようなきまりのようなものがいるのでしょう。無法状態では、この先、犧牲者の群れが出てしまうのかも知れないです。 (この場に紹介するかどうか悩みましたが、やはりすることにします)。この前からTV東京の火曜深夜に、3年A組のようなドラマが放映されておりまして、(私は3年A組の方はまだ視聴していないのですが)人間の信頼感とか善意とかを試す、という内容みたいで、非常に嫌な内容なのですが、多分、危機状態動における日本人の反応とはどういうものだったのか、参考になるのでは、とか思います。 正直、死者が出るドラマは好きではないのですが、緊急自体条項のない、村社会のなんとなく、では餘計に今後、犧牲者が出るのでは、とか思います。 ● 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第295回「インボーデミック最前線~陰謀論『養鶏場株』『マブチ株』」 以前、夢野久作で、ウーロン茶で不眠症になるのが支那人の謀略だ、という話をよんだことがあるのですが(タイトルは…今の基準だと放送禁止用語ですね。非常に面白い内容だったのですが)、卵の件とか、養鷄場の話などで、そのことを思いました。あと、半七捕物帳で「津の国屋」だったかな、その陰謀を、半七が語り手に、「昔の人は気が長かったのですよ」とか述懐しているのですが、そんなのも。先日よんだ、結城昌治さんの話で、冷蔵庫で凍死させたのを、雪山へ遭難したと偽装させるという話も。二重遭難したら、どうするんだ、とか(作中でも触れられていましたが)思いました。 だから小説のネタにもなるのでしょう。常識とは、こういうものなのかも。 あと、マブチ株については、「差別」ですね。そういう小さな差別が、大きな悲劇を呼ぶのでは。(誰もが自分と同じで、自分と違うものはおかしいとする)無自覚な「善意」とは時に残酷なのかも、とか思います。 最後に、少し感じたことなど。 先日、NHKでは藤子F不二雄先生のドラマもやっておりましたが、最後に、老人が坐るベンチを彼女連れの孫が「席を譲れ」という場面があり、老人たちが席を譲り、一人が「もうわしたちの坐る席はないのさ」と諦めてかたる場面、とても嫌な気持ちがしました。確かに順番にこの世を去ってゆく宿命なのですが、だとしても、そこまで思いやりのない世界は不快だな、と。 よしりん先生は、こういう話をどう感じられるのでしょうか? あと、結城昌治さんで思い出したのですが、昔、TVの二時間ドラマで、古手川祐子主演のバスガイドがミスでバスを谷底に落としてしまう話があって、実は先にあげた本には、その話も収録されているのですが、伊藤詩織さん事件のことを思い返す内容でもあるので、あげておきます。伊藤さんはそれでもその事件を乗り越えようとしているのでしょうが、それができない人にとって、どういうことになるのか…これはフィクションだとしても、現実のこととして(陰謀論ではなしに)想像する必要があるのかも。 ということで、今日ははやめに出ないといけないので、こんなところです。 それでは次号を期待します。
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本当に、いつもぎりぎりですが、感想です。
● ゴーマニズム宣言・第501回「コロナ禍の後始末」
自分にとって、不都合な現実を、何者かのせいにする…自分にとっても、覚えのあることばかりで、身につまされるような気がします。しかし、そこまで人間は弱く、個が確立していると思っていても、実際は誰かや何物かの影響を受けているのかな、とか思います。
私は周囲から「かわったやつ」扱い、あるいは「不甲斐ない人間」としか思われていないので、かなりマイペースな行動をしましたが、誰にも影響をあたえることができなかったのが、悔しく思います。
このコロナ騷動においても、「呉越同舟」だったのかな、といったところです。でも、多数派であることとか、仲間などがいないと、難局を乗り切れなかったりするのでしょう。
そんな感じです。ひとりでもさびしくない、というのは難しいな、です。
だからこそ、国際法のようなきまりのようなものがいるのでしょう。無法状態では、この先、犧牲者の群れが出てしまうのかも知れないです。
(この場に紹介するかどうか悩みましたが、やはりすることにします)。この前からTV東京の火曜深夜に、3年A組のようなドラマが放映されておりまして、(私は3年A組の方はまだ視聴していないのですが)人間の信頼感とか善意とかを試す、という内容みたいで、非常に嫌な内容なのですが、多分、危機状態動における日本人の反応とはどういうものだったのか、参考になるのでは、とか思います。
正直、死者が出るドラマは好きではないのですが、緊急自体条項のない、村社会のなんとなく、では餘計に今後、犧牲者が出るのでは、とか思います。
● 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第295回「インボーデミック最前線~陰謀論『養鶏場株』『マブチ株』」
以前、夢野久作で、ウーロン茶で不眠症になるのが支那人の謀略だ、という話をよんだことがあるのですが(タイトルは…今の基準だと放送禁止用語ですね。非常に面白い内容だったのですが)、卵の件とか、養鷄場の話などで、そのことを思いました。あと、半七捕物帳で「津の国屋」だったかな、その陰謀を、半七が語り手に、「昔の人は気が長かったのですよ」とか述懐しているのですが、そんなのも。先日よんだ、結城昌治さんの話で、冷蔵庫で凍死させたのを、雪山へ遭難したと偽装させるという話も。二重遭難したら、どうするんだ、とか(作中でも触れられていましたが)思いました。
だから小説のネタにもなるのでしょう。常識とは、こういうものなのかも。
あと、マブチ株については、「差別」ですね。そういう小さな差別が、大きな悲劇を呼ぶのでは。(誰もが自分と同じで、自分と違うものはおかしいとする)無自覚な「善意」とは時に残酷なのかも、とか思います。
最後に、少し感じたことなど。
先日、NHKでは藤子F不二雄先生のドラマもやっておりましたが、最後に、老人が坐るベンチを彼女連れの孫が「席を譲れ」という場面があり、老人たちが席を譲り、一人が「もうわしたちの坐る席はないのさ」と諦めてかたる場面、とても嫌な気持ちがしました。確かに順番にこの世を去ってゆく宿命なのですが、だとしても、そこまで思いやりのない世界は不快だな、と。
よしりん先生は、こういう話をどう感じられるのでしょうか?
あと、結城昌治さんで思い出したのですが、昔、TVの二時間ドラマで、古手川祐子主演のバスガイドがミスでバスを谷底に落としてしまう話があって、実は先にあげた本には、その話も収録されているのですが、伊藤詩織さん事件のことを思い返す内容でもあるので、あげておきます。伊藤さんはそれでもその事件を乗り越えようとしているのでしょうが、それができない人にとって、どういうことになるのか…これはフィクションだとしても、現実のこととして(陰謀論ではなしに)想像する必要があるのかも。
ということで、今日ははやめに出ないといけないので、こんなところです。
それでは次号を期待します。