AERAの特集で「女性・女系天皇を阻む壁は何か」をやっているので早速、買って読んでみました。 やはり、里中満智子氏の発言が一番酷いと感じました。 私なりに里中氏の発言を論破してみようと思います。 長文ですが、ご容赦ください。 ーーーーーーーーーーーーーー 『皇族数の減少や安定継承の先行きについて、危機意識を持って準備することは大切です。』 うん、確かにそれは重要ですよね。 『ただ、長い皇室の歴史を見ると継承の危機はこれまでに何度もありました。507年ころに即位したとされる継体天皇は、天皇の血筋からかなり離れた傍系の男子でした。それも中枢から遠い地から迎え入れ、即位させたといわれます。一方、少なくとも今は、次の世代の継承資格者である悠仁さまがいらっしゃいます。過去の危機と比べてそれほど深刻な事態ではないと考えています。慌てて変えてもいいことはありません。落ち着いて見守ることが必要でしょう。』 何を言っているのか。 1500年前の皇室の危機と今の皇室の危機を単純比較して、しかも今の危機をそれほど深刻な事態ではないと考えているとは、失礼ながら里中氏の目は節穴かと、言わざるを得ない。 男系男子優先で繋ぐ、この縛りがあるからこそ、現在ですら皇位継承資格の方が秋篠宮皇嗣殿下、悠仁さま、常陸宮さまのお三方のみに限定されているのですよ。このままでいけば、将来皇位継承の資格がある方は悠仁さまおひとりになってしまうのです。これを深刻な事態と言わずとして何というのですか、里中さん。 『皇位継承は男系男子優先で続いてきました。史実と思われる範囲に限ってもその歴史は1700年にのぼります。過去には8人10代の男系女子の天皇がいましたが、その多くは消去法で選ばれたり、幼い男子が成長するまでのつなぎだったり。天皇の子に男子がいなくても、先代や先々代の天皇ゆかりの男子を見つけて皇位につけてきました。なぜそこまで男系にこだわったのか理由は定かではありませんが、そうして紡がれてきた歴史がある以上、男系男子優先の原則は変えるべきではありません。』 「男系男子優先の原則」この認識からして間違いです。元明天皇から元正天皇への継承は母、元明天皇から、娘、元正天皇への継承であるからいわば女系の継承です。 それにしても、女性の天皇を「消去法」「つなぎ」で論じるとは、女性天皇を描いた「天上の虹」の作者の言葉とは到底思えません。 『過去に例もある通り、後継者がいない場合に、男系女子の皇族に皇位継承資格があるのは当然だろうと思います。しかし、後継者である悠仁さまがいる中で、女性天皇・女系天皇について好き勝手議論するのは失礼ではないかと思っています。』 先にも述べた通り、このままでは皇位継承資格があるのは悠仁さまおひとりになってしまいます。これは、悠仁さまが将来ご結婚されて男のお子さまをたくさんもうければ良いという話ではないのです。大変不敬なことと思われるが皇位継承者の配偶者は男子を産まなければならないというプレッシャーのもと悠仁さまに嫁いでくる女性が果たしていらっしゃるのかという点、仮にいらっしゃったとして、めでたく結婚されても、男子が産まれるか、ひいてはお子さま自体産まれるかどうかわからない点、この2点を鑑みてもかなり難易度が高いように思います。特に後者の、お子さまがお生まれにならない場合、「皇統は完全に詰んで」しまうのですよ。 不敬を覚悟で皇統問題を議論するのと、「男系男子優先の原則」とやらを頑なに守り皇統を絶やすのでは、どちらが善でどちらが悪なのですか?お答えください、里中さん。 『今の時代の、それもヨーロッパ的な価値観においては女系まで容認すべきと言う声が強いでしょう。ただ、現代の常識だけで積み重ねられた歴史を変えるのは疑問です。まして、感情論が議論をリードするようなことはあってはなりません。女性天皇・女系天皇を求める声の背景には、秋篠宮家への下品なバッシングも少なからずあるように思えます。』 女系を容認するという価値観はヨーロッパ的ということでは決してありません。(里中さんが得意分野とする!)古代の日本社会においては、男系・女系が合わさった「双系」という文化によって一族を繁栄させてきたという研究もあるくらいです。 しかし、飛鳥・奈良時代以降、中国と交流することによって、中華文明の一族継承方法である男系継承が漸進的に日本社会に浸潤してしまい、江戸時代の朱子学の影響や仏教の「女性のケガレ」の思想で女性蔑視が民衆の潜在意識になり、明治時代に皇室典範を制定するにあたり女性蔑視が「脳髄にまで浸透」した結果、「皇統は男系男子優先」とせざるを得なかったのが実情なのです。 過去の歴史を鑑みて現代に合わないものは変えようと思うのは極めて常識的な判断だと思うのですが、そういうのは里中さんにとっては「下品」なのでしょうか? 歴史も知らず感情的に、秋篠宮家バッシングと一緒くたにする態度は今すぐ改めていただきたい! 『確かに次世代の継承資格者が悠仁さまおひとりしかいないのは不安です。皇室活動の担い手が不足しているのも事実です。皇族数の減少の背景には、戦後の人為的な皇族数削減があります。1947年に皇籍離脱した、旧宮家の方々のなかには、皇族としての品位を保ち、自らを律して暮らしている方もおられると聞き及びます。皇籍離脱から75年がたっているとはいえ、長い歴史から見ればたったの75年です。ご本人の意思次第ですが、そうした方に戻っていただくのは自然なことでしょう。』 「皇族としての品位」とおっしゃいますが、皇籍離脱した方は皇族ではありません。例外なく一般国民として暮らしておられます。言葉が不正確です。75年でも、いったん皇籍を離れたら皇族に「復帰」することはあり得ません。「君臣の別」という言葉をご存知ないのでしょうか? 『力でその地位を確立したヨーロッパの王室とは違い、日本の皇室は権威と権力を切り離して歴史をつないできました。天皇が実質的な権力を握っていたのは天武天皇の御代や明治憲法期など、ごく短い期間だけです。現代においても、天皇は日本という国を外に向かって表すときの文化的な象徴と言えます。一時の民意で選ばれる、時に上品とは言えない政治家とは別に、権威を持った存在として国民統合の象徴となり、国のホストを務めることもできる皇室が続いてきたのはとても幸運なことだと思います。』 「天皇が実質的な権力を握っていたのは、天武天皇の御代や明治憲法期など、ごく短い期間」 天智天皇や桓武天皇、院政期や承久の乱、後醍醐天皇の建武の新政や南北朝の争乱は、彼女の専門外ということでしょうか。少なくとも高校生(あるいは歴史好きな小・中学生)でもわかる天皇の通史をざっとでも調べていないことはわかりました。 結局は、里中氏は歴史に通暁していると言いながら、皇位継承は男系男子優先を変えてはいけないという全く支離滅裂の発言をして憚らない。 はっきり言って8人10代の女性天皇に対する冒涜です。 よくもまあ6人8代の女性天皇が活躍した飛鳥・奈良時代を平然と描いていたものだと思うと寒気を感じます。 恥を知りなさい。 …と言いたいですが、里中氏のデビュー当時は世間は完全な男社会で、女性が社会進出することを苦々しく思う人がいっぱいいた事、ましてや女性の漫画家ならさらに冷たい目で世間から見られていた事だろうと思うと、きつい事も言えないのです。 里中満智子氏にはせめて女性天皇を「消去法」「つなぎ」と評したことについてだけでも、恥を知るべきだ、と言うにとどめておきます。
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AERAの特集で「女性・女系天皇を阻む壁は何か」をやっているので早速、買って読んでみました。
やはり、里中満智子氏の発言が一番酷いと感じました。
私なりに里中氏の発言を論破してみようと思います。
長文ですが、ご容赦ください。
ーーーーーーーーーーーーーー
『皇族数の減少や安定継承の先行きについて、危機意識を持って準備することは大切です。』
うん、確かにそれは重要ですよね。
『ただ、長い皇室の歴史を見ると継承の危機はこれまでに何度もありました。507年ころに即位したとされる継体天皇は、天皇の血筋からかなり離れた傍系の男子でした。それも中枢から遠い地から迎え入れ、即位させたといわれます。一方、少なくとも今は、次の世代の継承資格者である悠仁さまがいらっしゃいます。過去の危機と比べてそれほど深刻な事態ではないと考えています。慌てて変えてもいいことはありません。落ち着いて見守ることが必要でしょう。』
何を言っているのか。
1500年前の皇室の危機と今の皇室の危機を単純比較して、しかも今の危機をそれほど深刻な事態ではないと考えているとは、失礼ながら里中氏の目は節穴かと、言わざるを得ない。
男系男子優先で繋ぐ、この縛りがあるからこそ、現在ですら皇位継承資格の方が秋篠宮皇嗣殿下、悠仁さま、常陸宮さまのお三方のみに限定されているのですよ。このままでいけば、将来皇位継承の資格がある方は悠仁さまおひとりになってしまうのです。これを深刻な事態と言わずとして何というのですか、里中さん。
『皇位継承は男系男子優先で続いてきました。史実と思われる範囲に限ってもその歴史は1700年にのぼります。過去には8人10代の男系女子の天皇がいましたが、その多くは消去法で選ばれたり、幼い男子が成長するまでのつなぎだったり。天皇の子に男子がいなくても、先代や先々代の天皇ゆかりの男子を見つけて皇位につけてきました。なぜそこまで男系にこだわったのか理由は定かではありませんが、そうして紡がれてきた歴史がある以上、男系男子優先の原則は変えるべきではありません。』
「男系男子優先の原則」この認識からして間違いです。元明天皇から元正天皇への継承は母、元明天皇から、娘、元正天皇への継承であるからいわば女系の継承です。
それにしても、女性の天皇を「消去法」「つなぎ」で論じるとは、女性天皇を描いた「天上の虹」の作者の言葉とは到底思えません。
『過去に例もある通り、後継者がいない場合に、男系女子の皇族に皇位継承資格があるのは当然だろうと思います。しかし、後継者である悠仁さまがいる中で、女性天皇・女系天皇について好き勝手議論するのは失礼ではないかと思っています。』
先にも述べた通り、このままでは皇位継承資格があるのは悠仁さまおひとりになってしまいます。これは、悠仁さまが将来ご結婚されて男のお子さまをたくさんもうければ良いという話ではないのです。大変不敬なことと思われるが皇位継承者の配偶者は男子を産まなければならないというプレッシャーのもと悠仁さまに嫁いでくる女性が果たしていらっしゃるのかという点、仮にいらっしゃったとして、めでたく結婚されても、男子が産まれるか、ひいてはお子さま自体産まれるかどうかわからない点、この2点を鑑みてもかなり難易度が高いように思います。特に後者の、お子さまがお生まれにならない場合、「皇統は完全に詰んで」しまうのですよ。
不敬を覚悟で皇統問題を議論するのと、「男系男子優先の原則」とやらを頑なに守り皇統を絶やすのでは、どちらが善でどちらが悪なのですか?お答えください、里中さん。
『今の時代の、それもヨーロッパ的な価値観においては女系まで容認すべきと言う声が強いでしょう。ただ、現代の常識だけで積み重ねられた歴史を変えるのは疑問です。まして、感情論が議論をリードするようなことはあってはなりません。女性天皇・女系天皇を求める声の背景には、秋篠宮家への下品なバッシングも少なからずあるように思えます。』
女系を容認するという価値観はヨーロッパ的ということでは決してありません。(里中さんが得意分野とする!)古代の日本社会においては、男系・女系が合わさった「双系」という文化によって一族を繁栄させてきたという研究もあるくらいです。
しかし、飛鳥・奈良時代以降、中国と交流することによって、中華文明の一族継承方法である男系継承が漸進的に日本社会に浸潤してしまい、江戸時代の朱子学の影響や仏教の「女性のケガレ」の思想で女性蔑視が民衆の潜在意識になり、明治時代に皇室典範を制定するにあたり女性蔑視が「脳髄にまで浸透」した結果、「皇統は男系男子優先」とせざるを得なかったのが実情なのです。
過去の歴史を鑑みて現代に合わないものは変えようと思うのは極めて常識的な判断だと思うのですが、そういうのは里中さんにとっては「下品」なのでしょうか?
歴史も知らず感情的に、秋篠宮家バッシングと一緒くたにする態度は今すぐ改めていただきたい!
『確かに次世代の継承資格者が悠仁さまおひとりしかいないのは不安です。皇室活動の担い手が不足しているのも事実です。皇族数の減少の背景には、戦後の人為的な皇族数削減があります。1947年に皇籍離脱した、旧宮家の方々のなかには、皇族としての品位を保ち、自らを律して暮らしている方もおられると聞き及びます。皇籍離脱から75年がたっているとはいえ、長い歴史から見ればたったの75年です。ご本人の意思次第ですが、そうした方に戻っていただくのは自然なことでしょう。』
「皇族としての品位」とおっしゃいますが、皇籍離脱した方は皇族ではありません。例外なく一般国民として暮らしておられます。言葉が不正確です。75年でも、いったん皇籍を離れたら皇族に「復帰」することはあり得ません。「君臣の別」という言葉をご存知ないのでしょうか?
『力でその地位を確立したヨーロッパの王室とは違い、日本の皇室は権威と権力を切り離して歴史をつないできました。天皇が実質的な権力を握っていたのは天武天皇の御代や明治憲法期など、ごく短い期間だけです。現代においても、天皇は日本という国を外に向かって表すときの文化的な象徴と言えます。一時の民意で選ばれる、時に上品とは言えない政治家とは別に、権威を持った存在として国民統合の象徴となり、国のホストを務めることもできる皇室が続いてきたのはとても幸運なことだと思います。』
「天皇が実質的な権力を握っていたのは、天武天皇の御代や明治憲法期など、ごく短い期間」
天智天皇や桓武天皇、院政期や承久の乱、後醍醐天皇の建武の新政や南北朝の争乱は、彼女の専門外ということでしょうか。少なくとも高校生(あるいは歴史好きな小・中学生)でもわかる天皇の通史をざっとでも調べていないことはわかりました。
結局は、里中氏は歴史に通暁していると言いながら、皇位継承は男系男子優先を変えてはいけないという全く支離滅裂の発言をして憚らない。
はっきり言って8人10代の女性天皇に対する冒涜です。
よくもまあ6人8代の女性天皇が活躍した飛鳥・奈良時代を平然と描いていたものだと思うと寒気を感じます。
恥を知りなさい。
…と言いたいですが、里中氏のデビュー当時は世間は完全な男社会で、女性が社会進出することを苦々しく思う人がいっぱいいた事、ましてや女性の漫画家ならさらに冷たい目で世間から見られていた事だろうと思うと、きつい事も言えないのです。
里中満智子氏にはせめて女性天皇を「消去法」「つなぎ」と評したことについてだけでも、恥を知るべきだ、と言うにとどめておきます。