今回のライジングで産経新聞が三島由紀夫の最期についてもオウムのテロリズムと同じ扱いという意味で「全て等しく指弾すべきである」と指弾したことにすっごく不愉快に思いました。三島由紀夫は関心がなかった時期には芸術家の奇行くらいにしか思っていませんでしたが歳を重ねるにつれて作家としての見識と感性の鋭さに深い恐れすら抱くようになり、三島由紀夫の最期は若気の至りで割腹自決を気安く言いふらしていた自分を深く恥じる事となりました。 三島由紀夫の自決は世界にとどろかせたという意味では私の知る限り、日本最後の自決とも言え、靖国神社に祀られてる自決した日本の軍人や乃木将軍の殉死と重なるように思うようになりました。その意味では産経新聞は乃木希典将軍や終戦後に自決した軍人たちもオウムのテロと同じく「全て等しく指弾すべきである」と切り捨てるとでもいうのでしょうか? 先の大戦で命を捧げた英霊に対して、自分自身如何に向き合うか今でも深く考えさせられる時があります。それは終戦後に自決した軍人であっても例外ではありません。三島由紀夫の自決は評価はそれぞれありますが、自分自身の安易に「割腹自決」を言いふらす等、ありとあらゆる乱痴気で恥知らずな行いを戒めるという自分の心の腐り止めになっています。広義及び狭義を含むテロは戦争と同じく人類だけが行う暴力行為であり、戦争と同じく嫌なものではありますが、面白く、侮れないものであるとこれまでゴー宣で取り上げられたテロについて読んできた事で考えるようになりました。 人類も生き物である以上、何らかの暴力とともに生きる存在であり、それが祭りや紛争、戦争、テロから傷害などの犯罪に至るまで様々な場面で現れます。しかしながら、日本は戦後の平和教育において戦争はおろか、暴力そのものから人間を遠ざけてしまったのではと思えてなりません。 人間は理性によって己を律する存在ですがそれは内心に暴力があってこそ。 いずれは「戦争論」につづいて「暴力論」について真剣に議論しなければならない日がもうすぐそこまで来ているのではないのかと今回のライジングを読んで思いました。人類も生き物である以上は暴力とともに生きている事に変わりはありません。逃げず、蓋をせず、向き合いましょう!人間の、自分自身の暴力と。
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今回のライジングで産経新聞が三島由紀夫の最期についてもオウムのテロリズムと同じ扱いという意味で「全て等しく指弾すべきである」と指弾したことにすっごく不愉快に思いました。三島由紀夫は関心がなかった時期には芸術家の奇行くらいにしか思っていませんでしたが歳を重ねるにつれて作家としての見識と感性の鋭さに深い恐れすら抱くようになり、三島由紀夫の最期は若気の至りで割腹自決を気安く言いふらしていた自分を深く恥じる事となりました。
三島由紀夫の自決は世界にとどろかせたという意味では私の知る限り、日本最後の自決とも言え、靖国神社に祀られてる自決した日本の軍人や乃木将軍の殉死と重なるように思うようになりました。その意味では産経新聞は乃木希典将軍や終戦後に自決した軍人たちもオウムのテロと同じく「全て等しく指弾すべきである」と切り捨てるとでもいうのでしょうか?
先の大戦で命を捧げた英霊に対して、自分自身如何に向き合うか今でも深く考えさせられる時があります。それは終戦後に自決した軍人であっても例外ではありません。三島由紀夫の自決は評価はそれぞれありますが、自分自身の安易に「割腹自決」を言いふらす等、ありとあらゆる乱痴気で恥知らずな行いを戒めるという自分の心の腐り止めになっています。広義及び狭義を含むテロは戦争と同じく人類だけが行う暴力行為であり、戦争と同じく嫌なものではありますが、面白く、侮れないものであるとこれまでゴー宣で取り上げられたテロについて読んできた事で考えるようになりました。
人類も生き物である以上、何らかの暴力とともに生きる存在であり、それが祭りや紛争、戦争、テロから傷害などの犯罪に至るまで様々な場面で現れます。しかしながら、日本は戦後の平和教育において戦争はおろか、暴力そのものから人間を遠ざけてしまったのではと思えてなりません。
人間は理性によって己を律する存在ですがそれは内心に暴力があってこそ。
いずれは「戦争論」につづいて「暴力論」について真剣に議論しなければならない日がもうすぐそこまで来ているのではないのかと今回のライジングを読んで思いました。人類も生き物である以上は暴力とともに生きている事に変わりはありません。逃げず、蓋をせず、向き合いましょう!人間の、自分自身の暴力と。