東大のウェブで公開されている論文要旨、審査報告を読む限り、三浦氏は以下のような人物であると推察されます。 (1)物事をきちんと定義できず、曖昧な形にして融通無碍に使いたがる:博士論文で「シビリアンの戦争」という語句を使用しているが、審査員が言っているように概念設定が曖昧で詳細な議論をかわしている。 (2)論理的な考え方が苦手:論文の目的を冒頭に示さずに、自分の考えや論文の内容をだらだら記載している。先行研究の検討に基づいた課題設定ができているのか要旨からは伝わらない。 (3)そもそも議論がたいして独創的ではない:フォークランド紛争やイラク戦争などが「シビリアンの戦争」と解釈できることは、イラク戦争時点から小林先生が同様の考えを作品で指摘してきたと言える。また、アーレントの悪の凡庸さ、または凡庸な悪という指摘を考えると、「シビリアンの戦争」も「そういうこともあるよね」くらいにしか思えない。もしかしてゴー宣が種本か? 法学・政治学は専門外ですが、学位論文を審査する側の片隅に身を置く者として、こういう人を知識人として名乗らせてしまったことは、慚愧の念に堪えません。
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(ID:21040920)
東大のウェブで公開されている論文要旨、審査報告を読む限り、三浦氏は以下のような人物であると推察されます。
(1)物事をきちんと定義できず、曖昧な形にして融通無碍に使いたがる:博士論文で「シビリアンの戦争」という語句を使用しているが、審査員が言っているように概念設定が曖昧で詳細な議論をかわしている。
(2)論理的な考え方が苦手:論文の目的を冒頭に示さずに、自分の考えや論文の内容をだらだら記載している。先行研究の検討に基づいた課題設定ができているのか要旨からは伝わらない。
(3)そもそも議論がたいして独創的ではない:フォークランド紛争やイラク戦争などが「シビリアンの戦争」と解釈できることは、イラク戦争時点から小林先生が同様の考えを作品で指摘してきたと言える。また、アーレントの悪の凡庸さ、または凡庸な悪という指摘を考えると、「シビリアンの戦争」も「そういうこともあるよね」くらいにしか思えない。もしかしてゴー宣が種本か?
法学・政治学は専門外ですが、学位論文を審査する側の片隅に身を置く者として、こういう人を知識人として名乗らせてしまったことは、慚愧の念に堪えません。