感想です。 〇 ゴーマニズム宣言・第487回「三浦瑠麗って何者だったのか?」 なぜ小林よしのりさんは人に騙されるのか?私の考えでは多分、人間がよりよくなれると信じ、その通りに行動しようとしているからではないか、と思います。 おこがましいようですが、自分もそんなふうに思ってきたものです。だから、これはよしりん先生のことにあてはめて語る、自分のことなのだろう、とも思います。 私が昔、とあるカウンセリングに通い始めた頃、カウンセラーの先生から言われたことは「この世の中が生きにくくはないですか?」ということで、それに対して自分は「あまりそういうことは感じてはいない」と答えました。 「生きにくい」というよりも、世の中はこういうものであり、そして「なぜこの人たちはこんなにも、,向きになっているのだろうか?」という疑問です。そのくせ、自分たちのことになると、不利なこととなると隠そうとしたり、ごまかしたりする。人間とは、何と自分勝手で、利己主義的な生き物だろうか。そういうのを何とかできたら…とか思っていたのですが、今にして思えば、自分が周囲の情況を理解できないことに、自分でもいらだっていただけなのでしょう。 でも、そういう感情の中にも、世の中を生きやすくしよう、とか、もっとみんなが暮らしやすいふうにしよう、とか思えるのではないか、それは幼稚なものではあっても、決して愚かなことではなく、方向性とやりかたを間違えなければ、素晴らしいものになるのではないか、というふうに思います。 哲学とか、動機とはそういうものからでも生まれるものであり、たとえ「選挙特番の司会」を目的とするのだとしても、なぜそれをしたいのか、そして、どんなふうな世の中のヴィジョンを持つのかではないか、というふうに私は考えます。 長くしてはいけないので、こんなところですけれども、どうでしょうか?目的が不純なものだとしても、呉越同舟でも良いのでは、自分がやろうとしている目的がはっきりと見えているなら、相手を教えただすことができるのでは、と思います。『自省録』にそんなことが記されてあったように思います。 太陽光パネル発電、短所を調べてみました。なるほど、です。だから、鉄道の未成線とか廃線跡のような、広大な細長いところにつくられたりするんですね。「太陽」、「お日様」だから星の寿命までは輝き続けている、という考えは浅はかだったことを知りました。筈もがなのこと、だったのかな? そういうところには、予定通り鉄道を走らせることがよりよいのでは、と思いました。お金の問題があるなら、国の土地にでもして。 つまり、三浦瑠麗も虚像のアイドルだったのですね。もしも彼女が復活したければ、実像に生まれ変わって欲しいです。 〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第281回「5類化に反対するトンデモ医師たちの記録」 私はこの騒動、空騷ぎが起こるまで、医学者や医師とは、かりに「白い巨塔」のようなことがあったとしても、仁術で、人間のいのちを救うことを使命として日夜、人の見えぬところで戦っている、正義の使徒ではないか、という幻想を抱いてきました。 はっきり言って、そんなことはないわけだな、と思いました。だって、人間なのだから、良い面も悪い面も持ち合わせているわけです。 それでも、もうちょっと、たとえ失敗したり、間違えていたりしていても、人の過ちはおのおのその党においてす、過ちを見て仁を知る、みたいな話かと、思っていたら…、自分の失敗やミスを隠し、かわりにこちらの(誤字などの)ミスをあげつらう、今までよりもミスが多い、と指摘し、こちらを悪者にしようとすること位、朝飯前なのかな、といった気分です。 すべての医師が必ずしもそうではないのでしょうが、仕事である限り、利潤の追求が起こるわけで、そのための合理化があったり、鉄道だったら廃線や未成線があるわけで、メディアミックスしてもうけたいものにハイエナのようにわっと押し寄せ、むしろその中の良い面を損なわせるのか…長くなったので、こんな感じです。目に見えている現実をしっかりと見つめよう、それだけです。専門家が妄想におちいって、どうするんだ、と。中には、専門家こそ、世の中の救世主だと信じている人も多々いるのかも知れないのに…。 といったところです。今号はいろいろとお騒がせして、すみませんでした。 まだ次号の配信には間があるので、もう少し、落ち着いて考えてみます。これで5回目。今宵はこれで休みます…。 岡山ライブも、奈良道場も、今年のものは人生に一度きりです、悔いを残したくないかたは是非とも、参加しましょう!岡山には市電があります。それに乗れるだけでもラッキー、のはずです。スイーツは藝術です!
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感想です。
〇 ゴーマニズム宣言・第487回「三浦瑠麗って何者だったのか?」
なぜ小林よしのりさんは人に騙されるのか?私の考えでは多分、人間がよりよくなれると信じ、その通りに行動しようとしているからではないか、と思います。
おこがましいようですが、自分もそんなふうに思ってきたものです。だから、これはよしりん先生のことにあてはめて語る、自分のことなのだろう、とも思います。
私が昔、とあるカウンセリングに通い始めた頃、カウンセラーの先生から言われたことは「この世の中が生きにくくはないですか?」ということで、それに対して自分は「あまりそういうことは感じてはいない」と答えました。
「生きにくい」というよりも、世の中はこういうものであり、そして「なぜこの人たちはこんなにも、,向きになっているのだろうか?」という疑問です。そのくせ、自分たちのことになると、不利なこととなると隠そうとしたり、ごまかしたりする。人間とは、何と自分勝手で、利己主義的な生き物だろうか。そういうのを何とかできたら…とか思っていたのですが、今にして思えば、自分が周囲の情況を理解できないことに、自分でもいらだっていただけなのでしょう。
でも、そういう感情の中にも、世の中を生きやすくしよう、とか、もっとみんなが暮らしやすいふうにしよう、とか思えるのではないか、それは幼稚なものではあっても、決して愚かなことではなく、方向性とやりかたを間違えなければ、素晴らしいものになるのではないか、というふうに思います。
哲学とか、動機とはそういうものからでも生まれるものであり、たとえ「選挙特番の司会」を目的とするのだとしても、なぜそれをしたいのか、そして、どんなふうな世の中のヴィジョンを持つのかではないか、というふうに私は考えます。
長くしてはいけないので、こんなところですけれども、どうでしょうか?目的が不純なものだとしても、呉越同舟でも良いのでは、自分がやろうとしている目的がはっきりと見えているなら、相手を教えただすことができるのでは、と思います。『自省録』にそんなことが記されてあったように思います。
太陽光パネル発電、短所を調べてみました。なるほど、です。だから、鉄道の未成線とか廃線跡のような、広大な細長いところにつくられたりするんですね。「太陽」、「お日様」だから星の寿命までは輝き続けている、という考えは浅はかだったことを知りました。筈もがなのこと、だったのかな?
そういうところには、予定通り鉄道を走らせることがよりよいのでは、と思いました。お金の問題があるなら、国の土地にでもして。
つまり、三浦瑠麗も虚像のアイドルだったのですね。もしも彼女が復活したければ、実像に生まれ変わって欲しいです。
〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第281回「5類化に反対するトンデモ医師たちの記録」
私はこの騒動、空騷ぎが起こるまで、医学者や医師とは、かりに「白い巨塔」のようなことがあったとしても、仁術で、人間のいのちを救うことを使命として日夜、人の見えぬところで戦っている、正義の使徒ではないか、という幻想を抱いてきました。
はっきり言って、そんなことはないわけだな、と思いました。だって、人間なのだから、良い面も悪い面も持ち合わせているわけです。
それでも、もうちょっと、たとえ失敗したり、間違えていたりしていても、人の過ちはおのおのその党においてす、過ちを見て仁を知る、みたいな話かと、思っていたら…、自分の失敗やミスを隠し、かわりにこちらの(誤字などの)ミスをあげつらう、今までよりもミスが多い、と指摘し、こちらを悪者にしようとすること位、朝飯前なのかな、といった気分です。
すべての医師が必ずしもそうではないのでしょうが、仕事である限り、利潤の追求が起こるわけで、そのための合理化があったり、鉄道だったら廃線や未成線があるわけで、メディアミックスしてもうけたいものにハイエナのようにわっと押し寄せ、むしろその中の良い面を損なわせるのか…長くなったので、こんな感じです。目に見えている現実をしっかりと見つめよう、それだけです。専門家が妄想におちいって、どうするんだ、と。中には、専門家こそ、世の中の救世主だと信じている人も多々いるのかも知れないのに…。
といったところです。今号はいろいろとお騒がせして、すみませんでした。
まだ次号の配信には間があるので、もう少し、落ち着いて考えてみます。これで5回目。今宵はこれで休みます…。
岡山ライブも、奈良道場も、今年のものは人生に一度きりです、悔いを残したくないかたは是非とも、参加しましょう!岡山には市電があります。それに乗れるだけでもラッキー、のはずです。スイーツは藝術です!