三味線弾き のコメント

知らんけどアメリカの情報でもカワイイもくれん先生の『トンデモ見聞録』、圧巻すぎますΣ@@';!!つくずく、生まれ落ちた国と時代を間違えてしもーたナァと思う昨今です。(´・ω・`;
「世間から隔絶されるべき9ヶ条」全部ビンゴでしたσ^^';。ということは、世間とは全く調和してないということなのでしょう(笑)
たしかに「世間」と「社会」は違いますね!!メモっときますφ(.. )
ニホンヒツジの場合、プロテスタントのように自分以外に頼れるものが何もない、そんな孤独を経験したことがない童貞みたいなもんでしょう(笑)。宗教改革以前のカトリックと同様、ほとんど何も考えずに、教会という居場所を「所与」されて神父さん(檀家という「世間」を「所与」されて寺の坊さん)の言うことを聞いてさえすれば万事おっけー。感動の懺悔さえすれば「世間」が許してくれる。そんなアホな文化なら、「社会」どころか「個人」すらも存在しない疑いが極めて濃厚です。(p_´)
ちなみに、文書改竄殺人犯=佐川宣寿や、厚労省のワクチン殺人犯のように、個人の責任から逃亡可能なゴミは、すべて子供扱い・禁治産者扱いで十分です。

個人的(笑)には、人間関係を、自分自身,身近な周辺,普通に暮らす見ず知らずの(自分とは無関係な)健全な庶民(=「公」=「社会」)、という3つで捉えています。普通に暮らす見ず知らずの庶民ほど、最も尊重しなければならない対象という認識です(『戦争論』の影響でしょう。笑)。そして自らも他者に甘えない一庶民(個人)。そうすると自然と(よりしん先生やもくれん先生の影響直下の公サポ仲間であればとくに)、
「世間<<・・・<<<個人<=公」
といった感覚になっくると思うのです。自分に近い身内や身近な周辺(つまり「世間」)であればあるほどどーでもいい(笑)というか、個人同士の信頼から各個の責任で十分考えてやればいい、といった感じになります。優先度の低い「世間」なんか、どう思われようが、どう評価されようが(そもそも、神でもなければ評価能も無い「世間」の評価なんか全くどーでもいいし)、なーんも関係ありません。そして「世間」(や他人)が気になって不安で仕方がないという感覚は、ほとんど理解不能、クソどーでもいいイカレた群れだと思うに至り(笑)、「個人」が生まれると思うのです。
「お騒がせした」だの「迷惑」だの「謝罪」だの、他人を許す資格すらもない「世間」も、最下位の分際でどれだけ自己評価が高いのか分かりませんが、「個人」で構成されない「世間」の存在自体、大いにはた迷惑なものです。謝罪などのナゾ因習(承認欲求)も、そんなものを尊ぶ悪習も、ついでに幼稚すぎる感動欲求も、止めた方が良いですね。(´・ω・`;
日本の歴史や信仰に抗うことになりますが、少しでも爪痕を残さなければもう未来はないと思っています。

No.162 16ヶ月前

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