希蝶 のコメント

 場違いかも知れませんが、昨晩の「鎌倉殿の13人」最終回について。
 凄い最終回でした。ある意味、大河ドラマ史上に残る凄惨な内容だった…。

 少しだけ内容を語ってしまいますが、実は私は、同じNHKの再放送の「五瓣の椿」という時代劇も見たりしているのですが、そこには「天保十年十二月(1839年)」・「天保十一年一月(1840年)」と表示されており(実を言えば、太陽暦・太陰太陽暦の問題から言って、この表記は良くないのですが、旧暦・新暦の暦のずれを指摘すると視聴者が混乱するのでしょうか…仕方がないのかな?)、できたら、北条義時や政子の没年月日をそのように表示して欲しかったとも思ったのですが(すなわち、「貞応3年6月13日(1224年7月1日)第二代執権北条義時没、この年の11月に「元仁」と改元。翌 嘉禄元年7月11日(1225年8月16日)尼将軍北条政子没」とか)、しかし、それをやると煩雜であり、また餘韻が薄れると三谷幸喜さんは判断したのでしょうか?とにかく、凄い。未見のかたは是非とも、土曜の再放送に、とお勧めします(一部「番宣」っぽくなってもいますが)。

 それはそうと、皇位継承の話と関連があると思うので取り上げますが、物語の中で、承久の乱の結果、廃された九条廃帝、仲恭天皇のことが語られていたのですが、確かにあれは強引だったのかな、即位式はあげていなかったとしても、というようなことを感じました。普通の場合だったら、(実例をあげますが)小ピピンがメロヴィング王朝の王様のかわりにフランク王国の国王になったように、支那の歴代王朝の皇帝が前代の帝国を倒して新たな天子になるように、実力で「王朝交替」が起こったのだろうか、その意味では「北条氏」ですら、「天皇制」を廃止することができなかったのか、と改めて思いました。後鳥羽上皇が出陣しなかった効果は、その点ではあったのか、と(「草燃える」の上皇は、隠岐配流をかなりあっさりと受け入れていったような)。
 日本史上で「廃帝」と呼ばれているのは、「淡路廃帝」と呼ばれる奈良時代の「淳仁天皇」だけですが、その場合も孝謙上皇、称徳天皇はかなり強硬な手段を用いていますが(あちらも「藤原仲麻呂の乱」があった。しかも、あちらは殺されたと思しき形跡濃厚!)、のちの、同じような境遇とも言える「光仁天皇」は廃帝およびその母親の墓を「陵」として認めたという記述があり、つまり、この二例においても、両者とも「天皇であった」という事実を早い段階から周知の事実として認められていたのか、ということですね。それを明治時代に公認された、ということなのかな?
 私がもう少し気になっているのは「百王説」があって、天皇家は百代でなくなるという迷信・流言蜚語が過去に存在し、それに乗じて仲恭天皇と同じ「順徳天皇」の血をひく「足利義満」が上皇になって、息子の「義嗣」を天皇の座に据えようとした、という話もあるので、この話題も皇位継承を考える上で重要かな、と思った次第です。ちなみに、この話は高森先生の以前のブログでは否定されています。何だか、專門的な(そうでもないのかな?)内容ですみません円です。

 ということで、来年は「吾妻鏡」マニアの家康が主人公ですね。実際の主人公としては二つか三つ位だったかな?でも、ほかの時代もないのかな?それこそ、藤原仲麻呂の時代とか、足利義満とか。
 その次は「紫式部」なので、かなり楽しみですが。

 ちなみに、私は東京MXで放送されていた華流ドラマなども見たりすることがあるのですが、「武則天」が良かったかな?則天武后って、あんなに純真で、いい人だったのかな、とか思ったりしました。ドラマだから、でしょうね。ただ、李世民はともかくとして、武后を取り立てた高宗、李治も暗君で凡人だったのかな、と問われると、それはさすがに違うのではないか、という気がします。

 よしりん先生の、昨日のブログを読んで…。確かに複雑な気分ですね。私の場合も、久しぶりに9月に面と向かって会ったある人が、携帯電話をしきりに服で拭っていたのが何だかショックでした。

 あと、漫画家つながりで記しますが、御厨さと美さんと聖悠紀さんのご冥福をお祈りいたします。ではでは。

No.153 16ヶ月前

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