もう少し記すことがありました。倉持さんの番組のコメントのことで…。君主制や民主制の歴史や、広告や宣伝のことを考えさせられる、非常に中身のある放送でした。 十二イマーム派…イスラム教には、多数派のスンナ派とシーア派がある、というのは、もくれんさんのコラムでPCR検査のギャグを知っているかたならご存じかと思います。具体的に説明すると、イスラムの開祖、ムハンマドの後継者として、イスラム教団を率いた指導者、教祖のことを「カリフ」といいます。ローマ教会なら、教皇、法王にあたるのかな?厳密には少し違うのですが。 ムハンマドの後をついだカリフは、ムハンマドの縁戚者から選ばれており、そのうちの4人は「正統カリフ」として、どの宗派も共通です。ただ、四番目のカリフ、アリー(ちなみに、プロボクサーの「ムハンマド・アリ」はここから命名されたものです)は、ムハンマドの娘、ファーティマ(ファイブスター物語ではないです、念のため)と結婚しており、2人男子がいたのだと覚えています。アリーは反対派に暗殺され、そのあとをムアーウィヤというムハンマドの縁者がつぎ、彼を始祖とするのがウマイヤ朝、それを倒して新たなカリフ位についたのが、アッバース朝です。これらを「カリフ」と認めるのがスンナ派です。 それに対し、アリーとファーティマの息子にこそ、カリフ継承権があるとするのが「シーア派」で、いわゆる「ムハンマド(女系)直系主義」の一派です。このアリーの直系の宗教指導者のことを「イマーム」とも言います。「イマーム」を信奉するのが、少数派の「シーア派」です。なお、アリーはムハンマドのいとこでもあります。 さて、アリーを含むイマームは十一人いて、そこで迫害などを受けて断絶したらしいのですが、十二人目のイマームはどこかに隠れていて、いつか現れるという一派を「十二イマーム派」というそうです。放送の中で、「どこかに隠れている」という話があったように聞いたので、思わず記してみました。 シーア派にはほかにも「イスマーイール派」という過激派も存在するらしいです。私のい理解しているところはここまでです。また調べてみるつもりですが…。 マムルーク朝…実を言うと、私はマムルークが「奴隷」であるという意味しか知らず、この「王朝」が具体的にどういう継承をしたのか、よくは知らないのですが(実力者が継承したのだろうとしか)、元になるファーティマ朝から、自分の理解していることを説明しておきます。 先にムハンマドの娘、ファーティマのことを述べましたが、アッバース朝のころ、ファーティマの子孫と自称する「シーア派」の「ファーティマ朝」が成立し、その後エジプトを征服して、「カリフ」を名乗りました。ついでにいうと、ウマイヤ朝の生き残りがスペインなどに再建したのが、「後ウマイヤ朝」で、それぞれが「カリフ」を自称したため、3人カリフがいる状態になりました。 ところが、ヨーロッパからの聖地奪回の「十字軍」派遣で、聖地イェルサレムがイスラム教徒の手を離れ、イスラム側の危機が訪れました。当時、アッバース朝のカリフは、セルジューク朝というトルコ系の政権の支配下にあり、セルジュークも分裂し、この状態に対処することができませんでした。 その時、ファーティマ朝の将軍であったサラーフ・アッディーン(通称サラディン)がファーティマ朝を倒し、アッバースを信奉する政権としてこの難題を乗り切りました。サラディンの子孫が築いた政権を、「アイユーブ朝」と言います。つまり、この時、エジプトを支配していたシーア派政権が瓦解した、ということです。 参考までに、セルジュークも、アイユーブも「スルタン」という世俗的な君主を表す称号を名乗っています。これはカリフのような教主ではないという意味で、いわば日本の天皇陛下に対する「征夷大将軍」みたいなものかな?(私はそう理解しています)。 さて、十字軍を撃退したアイユーブ朝は100年位つづくのですが、セルジューク同様、やはり分裂し、国力が弱くなり、最後のスルタンが戦死したのだと覚えているのですが、その未亡人、シャジャル・アッドゥールという女奴隷が、ほかの奴隷、マムルークから推戴され、女スルタンになり、その結果、「マムルーク朝」が成立しました。 女性スルタンとなったシャジャルでしたが、一人では政権を維持できなかったため、アイバクという同じマムルークと再婚し、共同のスルタンとなりました。ところが、アイバクは既婚者で、アイバクと元の妻と、シャジャルの間に争いが起こり、シャジャルはアイバクを倒したのですが、妻の方につかまり、死刑にされた…はずです。その後、後継者を巡り、ごたごたがあり、バイバルスというスルタンの代になって、初めて安定した、みたいです。 なお、「マムルーク」というのは先にもあげたように「奴隷」であって、どうも世襲はできなかったようです。マムルーク政権にも、バブリー・マムルークと、ブルジー・マムルークの2つがあり、どうも主要民族が異なるらしい、というふうにしか理解できていないです。あまり煩雜になりすぎてもいけないので、ここまでにしますが、女性君主という例で外せない話なので、あげてみました。 アッバース朝は最終的にモンゴル帝国(のイル・ハン国)に潰されて消滅し、その生き残りがマムルーク朝に亡命しています。のちに、セルジュークの生き残り政権を倒して小アジア(今のトルコ)に建国された、オスマン帝国がマムルーク政権を倒した際に、亡命したカリフの子孫から、カリフ位を譲り受けた、という「伝説」があり、そこから、オスマンの「スルタン」が「カリフ」を兼ねた、という経緯になっています。 あまり、ライジング内容とは直接の関連はなさそうですが…いちおうあげてみました。ご存じのかたはとばしていいですし、そうでないかたも…分かりやすく説明したつもりですが、少しづつ理解していただけたら、幸いです >>63 横から口を出しますが、「仮面ライダーキバ」というのがあったのですが、ご存じでしょうか?神の愛が「アガペー」、性愛が「エロス」でしたでしょうか?「アジャパー」はかいけつゾロリになってしまうかな?
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もう少し記すことがありました。倉持さんの番組のコメントのことで…。君主制や民主制の歴史や、広告や宣伝のことを考えさせられる、非常に中身のある放送でした。
十二イマーム派…イスラム教には、多数派のスンナ派とシーア派がある、というのは、もくれんさんのコラムでPCR検査のギャグを知っているかたならご存じかと思います。具体的に説明すると、イスラムの開祖、ムハンマドの後継者として、イスラム教団を率いた指導者、教祖のことを「カリフ」といいます。ローマ教会なら、教皇、法王にあたるのかな?厳密には少し違うのですが。
ムハンマドの後をついだカリフは、ムハンマドの縁戚者から選ばれており、そのうちの4人は「正統カリフ」として、どの宗派も共通です。ただ、四番目のカリフ、アリー(ちなみに、プロボクサーの「ムハンマド・アリ」はここから命名されたものです)は、ムハンマドの娘、ファーティマ(ファイブスター物語ではないです、念のため)と結婚しており、2人男子がいたのだと覚えています。アリーは反対派に暗殺され、そのあとをムアーウィヤというムハンマドの縁者がつぎ、彼を始祖とするのがウマイヤ朝、それを倒して新たなカリフ位についたのが、アッバース朝です。これらを「カリフ」と認めるのがスンナ派です。
それに対し、アリーとファーティマの息子にこそ、カリフ継承権があるとするのが「シーア派」で、いわゆる「ムハンマド(女系)直系主義」の一派です。このアリーの直系の宗教指導者のことを「イマーム」とも言います。「イマーム」を信奉するのが、少数派の「シーア派」です。なお、アリーはムハンマドのいとこでもあります。
さて、アリーを含むイマームは十一人いて、そこで迫害などを受けて断絶したらしいのですが、十二人目のイマームはどこかに隠れていて、いつか現れるという一派を「十二イマーム派」というそうです。放送の中で、「どこかに隠れている」という話があったように聞いたので、思わず記してみました。
シーア派にはほかにも「イスマーイール派」という過激派も存在するらしいです。私のい理解しているところはここまでです。また調べてみるつもりですが…。
マムルーク朝…実を言うと、私はマムルークが「奴隷」であるという意味しか知らず、この「王朝」が具体的にどういう継承をしたのか、よくは知らないのですが(実力者が継承したのだろうとしか)、元になるファーティマ朝から、自分の理解していることを説明しておきます。
先にムハンマドの娘、ファーティマのことを述べましたが、アッバース朝のころ、ファーティマの子孫と自称する「シーア派」の「ファーティマ朝」が成立し、その後エジプトを征服して、「カリフ」を名乗りました。ついでにいうと、ウマイヤ朝の生き残りがスペインなどに再建したのが、「後ウマイヤ朝」で、それぞれが「カリフ」を自称したため、3人カリフがいる状態になりました。
ところが、ヨーロッパからの聖地奪回の「十字軍」派遣で、聖地イェルサレムがイスラム教徒の手を離れ、イスラム側の危機が訪れました。当時、アッバース朝のカリフは、セルジューク朝というトルコ系の政権の支配下にあり、セルジュークも分裂し、この状態に対処することができませんでした。
その時、ファーティマ朝の将軍であったサラーフ・アッディーン(通称サラディン)がファーティマ朝を倒し、アッバースを信奉する政権としてこの難題を乗り切りました。サラディンの子孫が築いた政権を、「アイユーブ朝」と言います。つまり、この時、エジプトを支配していたシーア派政権が瓦解した、ということです。
参考までに、セルジュークも、アイユーブも「スルタン」という世俗的な君主を表す称号を名乗っています。これはカリフのような教主ではないという意味で、いわば日本の天皇陛下に対する「征夷大将軍」みたいなものかな?(私はそう理解しています)。
さて、十字軍を撃退したアイユーブ朝は100年位つづくのですが、セルジューク同様、やはり分裂し、国力が弱くなり、最後のスルタンが戦死したのだと覚えているのですが、その未亡人、シャジャル・アッドゥールという女奴隷が、ほかの奴隷、マムルークから推戴され、女スルタンになり、その結果、「マムルーク朝」が成立しました。
女性スルタンとなったシャジャルでしたが、一人では政権を維持できなかったため、アイバクという同じマムルークと再婚し、共同のスルタンとなりました。ところが、アイバクは既婚者で、アイバクと元の妻と、シャジャルの間に争いが起こり、シャジャルはアイバクを倒したのですが、妻の方につかまり、死刑にされた…はずです。その後、後継者を巡り、ごたごたがあり、バイバルスというスルタンの代になって、初めて安定した、みたいです。
なお、「マムルーク」というのは先にもあげたように「奴隷」であって、どうも世襲はできなかったようです。マムルーク政権にも、バブリー・マムルークと、ブルジー・マムルークの2つがあり、どうも主要民族が異なるらしい、というふうにしか理解できていないです。あまり煩雜になりすぎてもいけないので、ここまでにしますが、女性君主という例で外せない話なので、あげてみました。
アッバース朝は最終的にモンゴル帝国(のイル・ハン国)に潰されて消滅し、その生き残りがマムルーク朝に亡命しています。のちに、セルジュークの生き残り政権を倒して小アジア(今のトルコ)に建国された、オスマン帝国がマムルーク政権を倒した際に、亡命したカリフの子孫から、カリフ位を譲り受けた、という「伝説」があり、そこから、オスマンの「スルタン」が「カリフ」を兼ねた、という経緯になっています。
あまり、ライジング内容とは直接の関連はなさそうですが…いちおうあげてみました。ご存じのかたはとばしていいですし、そうでないかたも…分かりやすく説明したつもりですが、少しづつ理解していただけたら、幸いです
>>63
横から口を出しますが、「仮面ライダーキバ」というのがあったのですが、ご存じでしょうか?神の愛が「アガペー」、性愛が「エロス」でしたでしょうか?「アジャパー」はかいけつゾロリになってしまうかな?