小林先生の国葬儀ならぬニセ国葬の分析を読み、鳥肌が立つような気色悪さを覚えました。いち政治家に対して、時の政権与党がここまで行跡を全肯定して、政治信条のみならず人柄まで賛美して、もはや崇拝の域にまで達した様を世界中に見せるなんて恥晒しとしか思えません。何やってくれてるんだと、国葬儀よりそっちに腹が立ちました。 安倍の功績って一体何なんですか?単に在任期間が長かったというだけで、それすら外国発祥の反日カルト団体にお墨付きを与えて野放しにし、政権中枢まで招き入れ、守るべき国民を売り飛ばしていた結果としての最長在任であって、誇れるどころか汚点そのものじゃないですか。 そんな国家反逆罪ともいうべき大罪を犯していただけでも許し難いのに、安倍はモリカケサクラの疑惑に対しても、自殺者まで出ていながら、具にもつかない言い訳と強弁を繰り返し、最後はまたしても逃げるようにさっさと首相の座を放り出し、誠意のかけらもありませんでした。 何より、天皇陛下(現上皇陛下)の皇位継承問題に関するご心痛も一顧だにせず放置し続け、ご退位のお望みすら妨害した。安倍を賛美する人たちにはこんな政治家の一体どこに、何の評価ポイントがあるのか説明していただきたいです。 木蘭さんの記事の藤原とかいうブロガーの文章も、見ているだけで気持ち悪くなりました。日本はいつから北朝鮮みたいな権力者の個人崇拝がまかり通る気持ちの悪い国に成り果てたんでしょうか。1994年に金日成が死んだ時、当時北朝鮮の映像を日本のマスコミは散々批判的に取り上げ、私の周りの大人たちもある意味、嘲笑的に見ていた記憶がありますが、今の日本は北朝鮮と何も変わりません。天皇という権威のもとに権力者が平伏すという日本古来の統治システムが、もう完全に機能不全を起こしてしまってます。 シースルー喪服で話題を呼んだ三浦瑠麗といい、安倍シンパの民衆といい、結局のところ「強いもの、権力者が好きな自分が好き」なだけなんでしょうね。 エンタメ世界でも、その時どきで人気のあるアニメ作品を「覇権」と呼ぶことを知ったとき、「何それ?」と思ったことを思い出しました。普通、自分が好きな作品なら人や世間の評価なんて関係ないんじゃないの?と思うのですが。今はオタクでも、世間の話題や視聴率が高い「覇権」作品のファンをやってる自分に酔いしれている人が多いんでしょうか。 日本人は個が弱いと、小林先生はゴー宣で常々批判しておられますが、現在の日本人はあまりに個が弱くなりすぎて、権力者や強者と一体になり、自分が強くなったつもりでいる「虎の威を借る狐」と化したみっともない人間だらけになってしまったのだなとつくづく思います。 こんな状態だから、自分の頭で判断することを一切放棄し、専門家さまのおっしゃることが正しいのだから真夏にもマスクを付けろ、ワクチンは安全に決まってるんだから政府の指示通り何度も打てと居丈高に主張する連中が一般人の中にもワラワラ出てくるのでしょう。 弱きを助け強きを挫くとか、武士は食わねど高楊枝なんて言葉は、もはや完全に死語になってしまったのでしょうか…。
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(ID:13226024)
小林先生の国葬儀ならぬニセ国葬の分析を読み、鳥肌が立つような気色悪さを覚えました。いち政治家に対して、時の政権与党がここまで行跡を全肯定して、政治信条のみならず人柄まで賛美して、もはや崇拝の域にまで達した様を世界中に見せるなんて恥晒しとしか思えません。何やってくれてるんだと、国葬儀よりそっちに腹が立ちました。
安倍の功績って一体何なんですか?単に在任期間が長かったというだけで、それすら外国発祥の反日カルト団体にお墨付きを与えて野放しにし、政権中枢まで招き入れ、守るべき国民を売り飛ばしていた結果としての最長在任であって、誇れるどころか汚点そのものじゃないですか。
そんな国家反逆罪ともいうべき大罪を犯していただけでも許し難いのに、安倍はモリカケサクラの疑惑に対しても、自殺者まで出ていながら、具にもつかない言い訳と強弁を繰り返し、最後はまたしても逃げるようにさっさと首相の座を放り出し、誠意のかけらもありませんでした。
何より、天皇陛下(現上皇陛下)の皇位継承問題に関するご心痛も一顧だにせず放置し続け、ご退位のお望みすら妨害した。安倍を賛美する人たちにはこんな政治家の一体どこに、何の評価ポイントがあるのか説明していただきたいです。
木蘭さんの記事の藤原とかいうブロガーの文章も、見ているだけで気持ち悪くなりました。日本はいつから北朝鮮みたいな権力者の個人崇拝がまかり通る気持ちの悪い国に成り果てたんでしょうか。1994年に金日成が死んだ時、当時北朝鮮の映像を日本のマスコミは散々批判的に取り上げ、私の周りの大人たちもある意味、嘲笑的に見ていた記憶がありますが、今の日本は北朝鮮と何も変わりません。天皇という権威のもとに権力者が平伏すという日本古来の統治システムが、もう完全に機能不全を起こしてしまってます。
シースルー喪服で話題を呼んだ三浦瑠麗といい、安倍シンパの民衆といい、結局のところ「強いもの、権力者が好きな自分が好き」なだけなんでしょうね。
エンタメ世界でも、その時どきで人気のあるアニメ作品を「覇権」と呼ぶことを知ったとき、「何それ?」と思ったことを思い出しました。普通、自分が好きな作品なら人や世間の評価なんて関係ないんじゃないの?と思うのですが。今はオタクでも、世間の話題や視聴率が高い「覇権」作品のファンをやってる自分に酔いしれている人が多いんでしょうか。
日本人は個が弱いと、小林先生はゴー宣で常々批判しておられますが、現在の日本人はあまりに個が弱くなりすぎて、権力者や強者と一体になり、自分が強くなったつもりでいる「虎の威を借る狐」と化したみっともない人間だらけになってしまったのだなとつくづく思います。
こんな状態だから、自分の頭で判断することを一切放棄し、専門家さまのおっしゃることが正しいのだから真夏にもマスクを付けろ、ワクチンは安全に決まってるんだから政府の指示通り何度も打てと居丈高に主張する連中が一般人の中にもワラワラ出てくるのでしょう。
弱きを助け強きを挫くとか、武士は食わねど高楊枝なんて言葉は、もはや完全に死語になってしまったのでしょうか…。