ライジングの感想を記す前に…。 実は名古屋道場、前半、疲れていて記憶が飛んだところもあったので(保守カルトとかスネ夫とかは覚えてたけれども)、日曜日あたりから、見直していまして、何とかタイムシフト終了間際に間に合いました。 最後の、よしりん先生の三浦瑠麗写真集…じゃない、ある部分では意見が合うけれども、その後意見が対立して、公のためには対立しないといけない、ということに関連して…。 山本有三の『路傍の石』にこんなセリフがあります(ご存じでしたら、すみません)。ちなみに、私は山本有三のおこなった国語改革(新かなづかい・当用漢字)は勇み足だったという立場ですが、小説そのものは大好きで、「不惜身命」とか「無事の人」とか、もっと世間に流布して欲しいと思います。劇の「ウミヒコヤマヒコ」も。多分、「米百俵」も時処位によっては、間違いではない部分もあろうと(我慢すべき所を誤らなければ。昨今のマスク・ワクチンのコロナ対策のような場合もあるから)。 How to live? 「いかに生きるか」が第一だと(次野)先生はいった。しかし「いかにして生きるか」が、おれたちのようなものにはもっと問題ではないのだろうか? 先生は先生だ。おれはおれだ。どんづまりのところへ行けば、人間はやっぱり一人一人だ。先生のような人とだって別々だ。 実は『路傍の石』は一度改訂されていまして、「朝日新聞」に連載された際には作者の健康状態が不調で、駆け足の展開になったのだそうです。そこで、「主婦之友」に(当時の「現代」を舞台にした)第二部を連載する際に、朝日新聞掲載分をも書き改めるということで連載をし直した、という経緯があり、ところが、その途中で「共産主義者」が登場する場面があり、それが当時の日本社会の「検閲」にひっかかり、やむなく(朝日新聞分まで到達せずに)中絶した、という歴史があります(さらに戦後には、「義和団(北清)事変」の箇所がけしからんとGHQにさらに短くされたという話も)。 引用箇所は、朝日新聞連載分の最終回からですが、まさしく個人主義とは何かを示しているように思えるのです。吾一が雑誌をつくるために、明け方に一人で活字を拾っているという場面です。 これからも、ある部分で意見が異なろうとも、個を貫いて欲しい、公とは何か、を論理的に歴史的に主張して欲しい、と願います。 私は、『路傍の石』の第二部がどんなものだったのか、非常に興味があります。できれば山本有三氏の生前に(第一部の全改訂も含めて)実現して欲しかったのですが(恐らく、作中に「路傍の石」という言葉が出てきたはずだから)…叶わぬ夢ですね。人間のいのちはどうして短いのだろう、なぜ情況が作品の完成を許してくれないのだろう、という理不尽さを感じます。
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ライジングの感想を記す前に…。
実は名古屋道場、前半、疲れていて記憶が飛んだところもあったので(保守カルトとかスネ夫とかは覚えてたけれども)、日曜日あたりから、見直していまして、何とかタイムシフト終了間際に間に合いました。
最後の、よしりん先生の三浦瑠麗写真集…じゃない、ある部分では意見が合うけれども、その後意見が対立して、公のためには対立しないといけない、ということに関連して…。
山本有三の『路傍の石』にこんなセリフがあります(ご存じでしたら、すみません)。ちなみに、私は山本有三のおこなった国語改革(新かなづかい・当用漢字)は勇み足だったという立場ですが、小説そのものは大好きで、「不惜身命」とか「無事の人」とか、もっと世間に流布して欲しいと思います。劇の「ウミヒコヤマヒコ」も。多分、「米百俵」も時処位によっては、間違いではない部分もあろうと(我慢すべき所を誤らなければ。昨今のマスク・ワクチンのコロナ対策のような場合もあるから)。
How to live?
「いかに生きるか」が第一だと(次野)先生はいった。しかし「いかにして生きるか」が、おれたちのようなものにはもっと問題ではないのだろうか?
先生は先生だ。おれはおれだ。どんづまりのところへ行けば、人間はやっぱり一人一人だ。先生のような人とだって別々だ。
実は『路傍の石』は一度改訂されていまして、「朝日新聞」に連載された際には作者の健康状態が不調で、駆け足の展開になったのだそうです。そこで、「主婦之友」に(当時の「現代」を舞台にした)第二部を連載する際に、朝日新聞掲載分をも書き改めるということで連載をし直した、という経緯があり、ところが、その途中で「共産主義者」が登場する場面があり、それが当時の日本社会の「検閲」にひっかかり、やむなく(朝日新聞分まで到達せずに)中絶した、という歴史があります(さらに戦後には、「義和団(北清)事変」の箇所がけしからんとGHQにさらに短くされたという話も)。
引用箇所は、朝日新聞連載分の最終回からですが、まさしく個人主義とは何かを示しているように思えるのです。吾一が雑誌をつくるために、明け方に一人で活字を拾っているという場面です。
これからも、ある部分で意見が異なろうとも、個を貫いて欲しい、公とは何か、を論理的に歴史的に主張して欲しい、と願います。
私は、『路傍の石』の第二部がどんなものだったのか、非常に興味があります。できれば山本有三氏の生前に(第一部の全改訂も含めて)実現して欲しかったのですが(恐らく、作中に「路傍の石」という言葉が出てきたはずだから)…叶わぬ夢ですね。人間のいのちはどうして短いのだろう、なぜ情況が作品の完成を許してくれないのだろう、という理不尽さを感じます。