ゲスト のコメント

場違いかと思いましたが、とりあえず投稿してみます。最近考えていることです。

「馬鹿」の話ですが、具体的に「誰」というよりも、社会全体の変化のほうが気になっています。
「戦争論」の頃は、自己主張出来る人間はプロの表現者かメディアに限られていて、自己主張している当事者たちも「言論をしている」という自覚と意識があったはずです。
プロの言論人ですから、「間違ったことを言ってはまずい」「追求されても決して逃げないで戦う」という気概と意識でいたはずです。

時代は変わり、ネットやSNSで誰もが気軽に自己主張出来るようになり、表現者の立ち位置そのものが曖昧になったように感じます。
1、匿名の一般人
2、実名の一般人
3、有名人だが普段は言論をしていない人
4、メディアの中で言論を求められている素人有名人
5、メディアの社員だが言論人でもある人
6、政治家、学者、医者、メディアなどプロの言論人

※以下、上記グループのイメージです。
3、きゃりーぱみゅぱみゅさんのイメージ
4、松本人志、太田光、ひろゆきのイメージ
5、玉川徹のイメージ
6、安倍晋三、三浦瑠麗、橋下徹、尾身茂、Hanadaなど多岐にわたります。

茂木健一郎氏が「暴力」だとか「全体主義」という言葉を使って三浦瑠麗氏やひろゆき氏をかばっていますが、要するに「何が正しいか」の話ではなく「批判したら可哀想じゃないか」という話なんだと思います。
小林先生が嫌いな価値相対主義をさらに極めると、「批判したら可哀想」というところまでいってしまう、と。

漫画家の倉田真由美さんが、自分の意見を引っ込めず謝罪もせず反論もせず、「誰とも議論はしない。説明もしない。ただ、自分の意見だけは言う」という感覚に近いですよね。

倉田真由美さんは私の分類では、グループ3か4に当たるんでしょうけど、「自分が言論人」だという認識や自覚はないんだと思います。「私はただの漫画家だし、何を言ったとしても責任を取る立場ではない」と思っているのだと思います。

私が具体的に責任を取ってほしい人は、やはり社会的影響力が強い人です。
テレビに出て自由に発言出来るような人は、自分の発言には責任を持つべきだし、本でも雑誌でもブログでもユーチューブでも構いませんが、5万人〜10万人に影響を与えることが出来る人は、もはやプロの言論人と言ってもいいのではないでしょうか。

1〜6の分類の話に戻りますが、「批判されて可哀想」はあくまで一般人の話です。
いわれなき誹謗中傷は可哀想だと思いますが、自分の判断でメディアの影響を利用して自己主張したなら、「その主張に対しては」批判を受ける義務も当然あるはずだし、自分が正しいと思うのならばおおいに反論すればいいし、間違っていたら訂正して謝罪すればよいではないか、と思います。
 
もちろんお医者さんが間違ったことを言って誤診して、大事故になってしまったら、謝罪しても済まないかもしれませんが。
最近の世の中を見ていると、表現者が多様化しすぎて、その辺りの分析が非常に曖昧になっていることに問題の本質がある気がしています。
結局、「一般人」と「表現のプロ」の境目が無くなってしまったがために、「批判したら可哀想」なんて珍説が生まれてくるのだと思います。

少なくとも三浦瑠麗氏やひろゆき氏は、自らを表現のプロだと思っているからこそ、テレビやネットメディアを利用して、数多くの情報発信を行っているのだから「批判したら可哀想」という批判は当たらないと思います。
むしろ、社会的影響力がある人間が間違った発言を繰り返していたなら、もっと批判されるべきです。

昔、草なぎ剛氏を指して小林先生が「芸能人を批判するほど野暮ではない」と言っていた時代を思い出しますが、昔とはやはり違うのだと思います。

No.132 25ヶ月前

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