🐇 ウサギです。 日本古代史の田中卓先生による、「女系天皇」に関する以下のような文があります。そこで先生が言わんとされていることは、大半の現代日本人の心の中に、すんなりと入ってくるものであるように思います。 「歴史的には、皇祖神の天照大神が『吾が子孫の王たるべき地』と神勅されている通り、〝天照大神を母系とする子孫” であれば、男でも女でも、皇位につかれて何の不都合もないのである。つまり母系にせよ、明瞭に皇統につながるお方が『即位』して、三種神器を受け継がれ、さらに大嘗祭を経て『皇位』につかれれば、『天皇』なのである。子供は父母から生まれるのであって、男系とか女系の差別より、父母で一家をなすというのが日本古来の考えだからそれを母系(又は女系)といっても男系といっても、差し支えなく、問題とはならないのだ。」 (「女系天皇で問題ありません」『諸君!』平成十八年) こうした主張に対して男系固執派は、皇祖は天照ではなく神武である、とか、天照の後を継いだアメノオシホミミは実際はスサノオの息子であり、その血筋はスサノオに発する「男系」なのだ、みたいな反論をしたりしますが、まぁ、ひとことで言えば「しゃらくせえ」です。皇室の存続の危機に面して、リアリティのある解決策を提示することなく(いるいる詐欺やめてけれ)、ただ天皇の歴史に関するオタク的知識をこねくりまわしているだけの輩には、水をぶっかけてやりたくなります。 そうではあるのですが、ただ、ひとつ田中卓先生の上の主張で気になるのは、「男系」と「女系」の言葉の用法です。おそらく田中先生は、「男系」を「父子関係」、「女系」を「母子関係」と同じ意味で使用されているものと思われますが、旧皇室典範が定められた明治の頃の通俗的用法であるならいざ知らず、現代において、単なる「父子関係」を「男系」と呼び「母子関係」を「女系」と呼ぶのは、これらの概念の厳密な(社会学・人類学的な)用法とは大きくかけ離れているように思われます。 たとえば『文化人類学事典』には、これらの概念について、以下のように記されています。 「祖先を起点として子孫を区画する原則を出自と呼び、祖先と子孫を媒介する関係を父子関係に限るものを父系ないし男系出自、母子関係に限るものを母系ないし女系出自、両者を総称して単系出自と呼ぶ」 (「親族・親類」『文化人類学事典』日本文化人類学会編) この記述に見られるように、これら「男系」「女系」の用語は基本的に、「祖先と子孫」という言葉に示されるような、ある血縁集団内の特定メンバーと、その人から数世代以上の長いスパンで隔たっている特定の人物のあいだの、血の繋がり方の形式のことを論じる時に用いられる概念です。たんなる父と子の関係、母と子の関係について用いられることは、あまりないように思われます。 そして最大の難点は、ほかならぬ男系固執派が、「男系」という概念を、より厳密な意味で用いている点です。彼らは皇位の継承の資格を有しているのは、天皇(皇祖)と「父子関係のみ」で血が繋がっている者(の中の男子)だけである、と主張します。 このような主張に対して、もしも私たちが、田中先生の文章のタイトルにもあるように「女系天皇で問題ありません」と言ってしまうと、それは、これからは継承資格者は天皇と「母子関係のみ」で繋がっている者だけでよい、と主張していることになってしまうのです。 これはもとより田中先生がおっしゃりたいことではありません。田中先生は、決して「愛子さまや佳子さまの(将来の)ご息女、さらにはそのご息女、さらにはそのご息女… だけが皇位継承者たるべし」と主張されているわけではありません。 田中先生がおっしゃりたいことは、実質的に、皇位継承の資格を持つのは天皇(具体的には上皇陛下)と血が繋がった子孫なら誰でもよい、ということのはずです。換言すれば、新しいルールにおける皇位継承者は、明治以来の古いルールのように「天皇(皇祖)と父子関係のみで血が繋がった子孫(男のみ)」ではなく、「父子関係か母子関係、さらにはこの二つの組み合わせで天皇(上皇陛下)と血が繋がる子孫(男女)」ならば誰でも可である、ということのはずです。 そうであるならば、やはり、これは「女系」ではない。「父子関係、母子関係、さらにこの二つの組み合わせ」による先祖と子孫の血の繋がりに対しては、明確に定義された客観的概念としては「双系」という言葉を用いるしかないのです。 ある信頼のおける事典には、「双系」に関して次のような説明がなされています。 「親族原理に基づく継承または相続の中から、文献に多出するものを以下に列挙する。①単系出自(unilinealdescent)。集団成員権などが、父系(男系)または母系(女系)により継承されるシステム。」 「⓶双系制(non-unilineal or cognatic system)。財産、集団成員権などが、父方母方双方を通して継承される双系出自制(bilineal descent)、父母どちらか一方を通して継承される選系制(utrolateral system)、始祖から子孫へつながる出自でなく、単に世代間の継承が父母双方と通して行われる双方制または双側制(bilateral system)など雑多なシステムを一般に〝双系制”と呼んでいる。」 もし今後、愛子さまや佳子さま、およびそのお子様(男女)が皇位継承権を持つようなシステムが実現された場合、ここで「双系制」」の中の一つとして挙げられている「選系制」が、最もそれに近いものであるように思われます。これは簡単に言うと、状況に応じて、地位の継承が父子関係で行われたり、母子関係で行われたりするシステムのことです。 以上のように考えると、田中先生の先の文章のタイトルは、「双系天皇で問題ありません」とするか、あるいは「母子間の皇位継承で問題ありません」とするのが、適切だったのかもしれません。 また長々とした話をしてしまいました。失礼しました。なお、最後に断っておかなければならないのですが、私はただいくつかの事典と、親族論に関するいくつかの論文における「男系・女系・双系」概念の使われ方を、さっとチェックしただけですので、以上のような私の理解が社会学・人類学の専門家から見て正鵠を得たものであるかどうかは、確かな保証ができません。 うさぎでした
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ウサギです。
日本古代史の田中卓先生による、「女系天皇」に関する以下のような文があります。そこで先生が言わんとされていることは、大半の現代日本人の心の中に、すんなりと入ってくるものであるように思います。
「歴史的には、皇祖神の天照大神が『吾が子孫の王たるべき地』と神勅されている通り、〝天照大神を母系とする子孫” であれば、男でも女でも、皇位につかれて何の不都合もないのである。つまり母系にせよ、明瞭に皇統につながるお方が『即位』して、三種神器を受け継がれ、さらに大嘗祭を経て『皇位』につかれれば、『天皇』なのである。子供は父母から生まれるのであって、男系とか女系の差別より、父母で一家をなすというのが日本古来の考えだからそれを母系(又は女系)といっても男系といっても、差し支えなく、問題とはならないのだ。」
(「女系天皇で問題ありません」『諸君!』平成十八年)
こうした主張に対して男系固執派は、皇祖は天照ではなく神武である、とか、天照の後を継いだアメノオシホミミは実際はスサノオの息子であり、その血筋はスサノオに発する「男系」なのだ、みたいな反論をしたりしますが、まぁ、ひとことで言えば「しゃらくせえ」です。皇室の存続の危機に面して、リアリティのある解決策を提示することなく(いるいる詐欺やめてけれ)、ただ天皇の歴史に関するオタク的知識をこねくりまわしているだけの輩には、水をぶっかけてやりたくなります。
そうではあるのですが、ただ、ひとつ田中卓先生の上の主張で気になるのは、「男系」と「女系」の言葉の用法です。おそらく田中先生は、「男系」を「父子関係」、「女系」を「母子関係」と同じ意味で使用されているものと思われますが、旧皇室典範が定められた明治の頃の通俗的用法であるならいざ知らず、現代において、単なる「父子関係」を「男系」と呼び「母子関係」を「女系」と呼ぶのは、これらの概念の厳密な(社会学・人類学的な)用法とは大きくかけ離れているように思われます。
たとえば『文化人類学事典』には、これらの概念について、以下のように記されています。
「祖先を起点として子孫を区画する原則を出自と呼び、祖先と子孫を媒介する関係を父子関係に限るものを父系ないし男系出自、母子関係に限るものを母系ないし女系出自、両者を総称して単系出自と呼ぶ」
(「親族・親類」『文化人類学事典』日本文化人類学会編)
この記述に見られるように、これら「男系」「女系」の用語は基本的に、「祖先と子孫」という言葉に示されるような、ある血縁集団内の特定メンバーと、その人から数世代以上の長いスパンで隔たっている特定の人物のあいだの、血の繋がり方の形式のことを論じる時に用いられる概念です。たんなる父と子の関係、母と子の関係について用いられることは、あまりないように思われます。
そして最大の難点は、ほかならぬ男系固執派が、「男系」という概念を、より厳密な意味で用いている点です。彼らは皇位の継承の資格を有しているのは、天皇(皇祖)と「父子関係のみ」で血が繋がっている者(の中の男子)だけである、と主張します。
このような主張に対して、もしも私たちが、田中先生の文章のタイトルにもあるように「女系天皇で問題ありません」と言ってしまうと、それは、これからは継承資格者は天皇と「母子関係のみ」で繋がっている者だけでよい、と主張していることになってしまうのです。
これはもとより田中先生がおっしゃりたいことではありません。田中先生は、決して「愛子さまや佳子さまの(将来の)ご息女、さらにはそのご息女、さらにはそのご息女… だけが皇位継承者たるべし」と主張されているわけではありません。
田中先生がおっしゃりたいことは、実質的に、皇位継承の資格を持つのは天皇(具体的には上皇陛下)と血が繋がった子孫なら誰でもよい、ということのはずです。換言すれば、新しいルールにおける皇位継承者は、明治以来の古いルールのように「天皇(皇祖)と父子関係のみで血が繋がった子孫(男のみ)」ではなく、「父子関係か母子関係、さらにはこの二つの組み合わせで天皇(上皇陛下)と血が繋がる子孫(男女)」ならば誰でも可である、ということのはずです。
そうであるならば、やはり、これは「女系」ではない。「父子関係、母子関係、さらにこの二つの組み合わせ」による先祖と子孫の血の繋がりに対しては、明確に定義された客観的概念としては「双系」という言葉を用いるしかないのです。
ある信頼のおける事典には、「双系」に関して次のような説明がなされています。
「親族原理に基づく継承または相続の中から、文献に多出するものを以下に列挙する。①単系出自(unilinealdescent)。集団成員権などが、父系(男系)または母系(女系)により継承されるシステム。」
「⓶双系制(non-unilineal or cognatic system)。財産、集団成員権などが、父方母方双方を通して継承される双系出自制(bilineal descent)、父母どちらか一方を通して継承される選系制(utrolateral system)、始祖から子孫へつながる出自でなく、単に世代間の継承が父母双方と通して行われる双方制または双側制(bilateral system)など雑多なシステムを一般に〝双系制”と呼んでいる。」
もし今後、愛子さまや佳子さま、およびそのお子様(男女)が皇位継承権を持つようなシステムが実現された場合、ここで「双系制」」の中の一つとして挙げられている「選系制」が、最もそれに近いものであるように思われます。これは簡単に言うと、状況に応じて、地位の継承が父子関係で行われたり、母子関係で行われたりするシステムのことです。
以上のように考えると、田中先生の先の文章のタイトルは、「双系天皇で問題ありません」とするか、あるいは「母子間の皇位継承で問題ありません」とするのが、適切だったのかもしれません。
また長々とした話をしてしまいました。失礼しました。なお、最後に断っておかなければならないのですが、私はただいくつかの事典と、親族論に関するいくつかの論文における「男系・女系・双系」概念の使われ方を、さっとチェックしただけですので、以上のような私の理解が社会学・人類学の専門家から見て正鵠を得たものであるかどうかは、確かな保証ができません。
うさぎでした