こんばんは、ウサギです。 皇位継承の問題について自分自身の考え方を整理したくて、「皇位継承問題における《女性天皇・双系継承の公認》とは?」という題名で、文章を書いてみました。 先日も、「男系」「女系」「双系」についての長い文章(御勘弁!)、このコメント欄にアップさせてもらいましたが、その後、いろいろと考えることがあっり、それまでとは少し異なるロジックでこの問題を論じてみたいと思うようになり、以下の文章を書いてみました。 願わくば、お忙しい方、興味のない方はサクッとスルーを。ちょっと読んでやるかという老婆心のある方は、修正すべき点、アドバイス等がありましたら、ご教示いただけませんでしょうか。 なお、内容に関して、私は「女系天皇の公認」という言い方は、かなりまずいと考えております。というのは、従来の皇統論においては、「男系」と「女系」の定義がかっちりとなされており、以下本文でも説明してますが、男系とは定義上「父の父の父の…というラインで皇祖にさかのぼること」であり、女系とは「母の母の母の…というラインで皇祖にさかのぼること」であるため、「女系天皇を公認せよ!」という主張をしてしまうと、どうしてもそれは「どの天皇をとりあげても、母の母の母の…というラインで皇祖にさかのぼれるようなシステムを構築せよ!」という主張になってしまうのです。でも、そうじゃないですよね。私たちが求めているのは。 私たちが求めているのは、以下の文章の中でも説明していますが、「父方だろうと母方だろうと、とにかく皇室の御先祖様と血が繋がってさえいれば、男でも女でも天皇になれるシステム」ですよね。ならば、求めるべきはやはり「女系天皇の公認」ではなくて、正しい言葉使いでは「双系による皇位継承のシステム」でなければなりません。 うーん、しちめんどうくさいこと、私、言ってますか? でも、これはきっちりしておかないと、ダメだと思うんですよ、そうじゃないと議論の時にかならずここで泥沼にはまると思う。 まぁ、前置きはこれくらいにして、それでは… ***************************** 皇位継承問題における《女性天皇・双系継承の公認》とは? これまで皇室典範では、皇位継承者は、男系で皇祖(神武天皇)と血が繋がった男性でなければならない、とされてきました。 皇位継承問題における《女性天皇・双系継承の公認》とは、今後は皇位継承者は、双系で皇祖と血が繋がっていれば、男性でも女性でもよい、というふうにルールを変えることを意味します。 端的に言えば、現行のルールでは、愛子さまは天皇になれないし、愛子さまの(将来の)お子様も天皇になれません。そのいずれもが可能になるには、皇室典範を改正する必要があるのです。 《男系と女系と双系の定義》 男系とは、皇位継承の候補者から見て、家系図を自分の《父の父の父の父の…》といった形で、男性だけを遡っていく血筋のことを指します。 女系とは、皇位継承の候補者から見て、家系図を自分の《母の母の母の母の…》といった形で、女性だけを遡っていく血筋のことを指します。 双系とは、皇位継承の候補者から見て、家系図を自分の《母の父の父の母の…》とか、自分の《父の母の父の父の…》とかのように、男性と女性が組み合わされて双方で遡っていく血筋のことを指します。 具体的に言えば、例えば、悠仁さまにいつかお子様(Aちゃん/性別は問わない)が生まれたとします。このAちゃんは、現行のルールでは、男系で皇祖と血が繋がっているので、皇位継承者になれます。図にするとこのようになります。 Aちゃん → 父(悠仁さま) → 祖父(秋篠宮様)→ 曾祖父(上皇様)→ 昭和天皇 ⇒⇒⇒ 皇祖 一方、愛子さまにいつかお子様(Bちゃん/性別は問わない)が生まれたとします。そして、愛子さまの夫が一般人(非皇族)であったとします。このときBちゃんは、男系の血筋では皇祖とは血が繋がっていません。なぜなら、Bちゃんの父は皇族ではないからです。 Bちゃんは、母(愛子さま)を経由して、はじめて皇祖と繋がることができます。図にするとこのようになります。 Bちゃん → 母(愛子さま)→ 祖父(天皇陛下)→ 曾祖父(上皇様)→ 昭和天皇 ⇒⇒⇒ 皇祖 これは先ほどの男系、女系、双系という考え方でいけば、Bちゃんは双系の血筋で皇祖と血が繋がっているということになります。 双系継承の公認を支持する人々は、皇位継承者は双系でも可となるようにルールを変更することで、愛子さまのお子様、さらには佳子さまのお子様(Cちゃん)も、次の天皇になれるようにすることを提案しています。 現行のルールでは、悠仁さまのお子様しか天皇になれません。しかし、愛子さまや佳子さまのお子様も天皇になれるようにすれば、将来の皇室の存続はより安泰なものになるのです。 《双系継承の公認に対する批判》 これまでの男系による皇位継承のルールを変えることを、強く拒絶する人々(ここでは彼らを男系固執派と呼ぶ)が、少数ながら存在します。彼らは、双系公認の案に対して様々な批判をしています。中でも次のような批判は、最も典型的なものの一つと言えます。 「父方をさかのぼれば皇祖(神武天皇)につながる血筋を『皇統』と言うが、双系で天皇が即位したら『皇統』が途絶えてしまう」 これが言おうとしているのは、もし愛子さまのお子様が成人して天皇になるようなことがあれば、その方は男系の血筋による皇祖との繋がりが切れるので、これまで126代も続いた『皇統』が途絶えてしまう(だからそれは良くないことだ)、ということです。 この批判にはトリックがあります。上の文章の前半を見てください。そこでは「父方をさかのぼれば皇祖(神武天皇)につながる血筋を『皇統』と言う」という一文によって、そもそも『皇統』とは男系の血筋のことを意味するのだという《定義》が、あらかじめなされているのです。 しかしながら、双系継承公認派の主張は、この従来の「皇統=男系」という定義自体を変えるべきである、ということなのです。その新しい定義では、「皇統=双系」ということになります。この定義に従えば、先の批判は、次のように言い換えることができるようになります。以下、両方の文章を見比べてみてください。 古い定義のもの: 「父方をさかのぼれば皇祖(神武天皇)につながる血筋を『皇統』と言うが、双系で天皇が即位したら『皇統』が途絶えてしまう」 新しい定義のもの: 「父方であれ母方であれそれをさかのぼれば皇祖(神武天皇)につながる血筋を『皇統』と言い、双系で天皇が即位しても『皇統』が途絶えることはない」 このように『皇統』を新しく定義しなおすことで、愛子さまのお子様(Bちゃん)や、佳子さまのお子様(Cちゃん)が天皇に即位したとしても、『皇統』は後世に脈々と引き継がれるということになります。 しかしながら、これで男系固執派が黙って引き下がるわけではありません。彼らは、皇位の男系継承は二千年以上続いてきたことであるがゆえに、簡単には変えるべきではないと批判します。これに関して、男系固執派の竹田恒泰氏は、次のような比喩を用いています。 「現存する世界最古の木造建築である法隆寺は、その学問的価値の内容にかかわらず、最古故にこれを簡単に立て替えてはいけない。同様に、天皇は男系により継承されてきた世界最古の血統であり、これを断絶させることはできない」 これはつまり、長く続いてきたものは、合理的な理由があろうがなかろうが、変更を加えるべきではないということです。確かに法隆寺を解体して鉄筋コンクリートに建て替えるようなことは、安易にやるべきではないでしょう。しかし、同じことは、天皇の皇位の継承の形式についても言えるのでしょうか。 天皇と皇室というものは、特定の形を持った社会的存在です。そしてそれは長い歴史の中で、状況の変化に対応して何度も大きな変化を遂げてきました。例えば、現在でこそ天皇は「男系の男子」しかなれないことになっていますが、古墳時代や飛鳥時代には、女性が王として君臨する例は少なくありませんでしたし、大和朝廷が成立してからも奈良時代くらいまでは女帝が即位することは珍しくありませんでした。やがて、平安時代以降は女帝の即位は非常に少なくなっていき、古代中国の文化の影響により、男性の政治的権限が強くなっていきます。 他にも、天皇は様々な変化を被ってきました。大きなところでは、何といっても仏教の受容があります。聖武天皇は奈良の大仏を作りましたが、考えてもみてください。天照大神をはじめとする日本古来の神々の末裔であり、その神々の祭祀を自らの任務とする天皇が、インドに起源を持つ外来宗教の信者になってしまったのですよ。 さらに12世紀の鎌倉幕府の成立があります。これにより天皇はそれまで保持していた政治的・経済的な力を大きく失い、専ら宗教的な権威として存続していくことになります。 そして大きな変化と言えば、何といっても明治維新と近代化です。明治維新に伴い、天皇は「千年の都」と言われた京都を離れて、東国の江戸に本拠地を移したのです。日本の伝統において、京都とその周辺は神代にも遡る聖なる土地であり、天皇と京都は不離一体のものであったはずです。しかし、京都の保守派の人々の反対を押し切って、東京への遷都は強行されたのでした。 ちょっと考えてみてほしいのですが、今後、カトリックが総本山をバチカンから別のところに移したり、イスラム教の巡礼地がメッカから別の都市に変更されるなどということがあり得るでしょうか。そう考えると、天皇が京都からお移りになったことの重大性が、よく理解されるのではないかと思います。 そして近代化の進行とともに、天皇は新たに近代的国家における立憲的君主のごとき存在として、新たなる政治的・社会的な役割を有するようになりました。また、衣・食・住にわたって西洋風のものが皇室に導入されていきました。それから20世紀になり、太平洋戦争が終結すると、天皇はふたたび政治的な領域から距離をとり、日本国の象徴として存在することになりました。 以上に見て来たように、天皇と皇室はこれまでの歴史の中で、かなり大きな変革を経験してきたのです。それは考えようによっては、法隆寺がコンクリート建築として再建されるようなこと以上の、劇的な変化であったとは言えないでしょうか。そして重要なことは、そのように時代の変化に応じて大きな変化を被ったにもかかわらず、天皇と皇室は依然として、日本国民の心のよりどころとして現在も存在し続けているということです。 さて、それでは男系固執派が主張するような、天皇の男系継承はそれが古くから続くものであるがゆえに変えてはいけないという考えは、果たして正当なものと言えるでしょうか。もちろん正当とは言えません。 今や皇室は皇位継承者の数の少なさのために存続の危機に立たされています。そうであれば、愛子さまや佳子さま、そしてその将来のお子様たちが皇位継承者になれるようにルールを改正することは、時代の要請であるといってよいでしょう。さらに、この数十年で、世界でも日本でも女性が社会の重要なシーンでこれまで以上に活躍することが、切に求められる時代になりました。その意味でも、現在の《男性天皇/男系継承》をやめて、《男性・女性天皇/双系継承》が可能になるように、今すぐに皇室典範の改正に着手しなければならないのです。 おしまい
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こんばんは、ウサギです。
皇位継承の問題について自分自身の考え方を整理したくて、「皇位継承問題における《女性天皇・双系継承の公認》とは?」という題名で、文章を書いてみました。
先日も、「男系」「女系」「双系」についての長い文章(御勘弁!)、このコメント欄にアップさせてもらいましたが、その後、いろいろと考えることがあっり、それまでとは少し異なるロジックでこの問題を論じてみたいと思うようになり、以下の文章を書いてみました。
願わくば、お忙しい方、興味のない方はサクッとスルーを。ちょっと読んでやるかという老婆心のある方は、修正すべき点、アドバイス等がありましたら、ご教示いただけませんでしょうか。
なお、内容に関して、私は「女系天皇の公認」という言い方は、かなりまずいと考えております。というのは、従来の皇統論においては、「男系」と「女系」の定義がかっちりとなされており、以下本文でも説明してますが、男系とは定義上「父の父の父の…というラインで皇祖にさかのぼること」であり、女系とは「母の母の母の…というラインで皇祖にさかのぼること」であるため、「女系天皇を公認せよ!」という主張をしてしまうと、どうしてもそれは「どの天皇をとりあげても、母の母の母の…というラインで皇祖にさかのぼれるようなシステムを構築せよ!」という主張になってしまうのです。でも、そうじゃないですよね。私たちが求めているのは。
私たちが求めているのは、以下の文章の中でも説明していますが、「父方だろうと母方だろうと、とにかく皇室の御先祖様と血が繋がってさえいれば、男でも女でも天皇になれるシステム」ですよね。ならば、求めるべきはやはり「女系天皇の公認」ではなくて、正しい言葉使いでは「双系による皇位継承のシステム」でなければなりません。
うーん、しちめんどうくさいこと、私、言ってますか? でも、これはきっちりしておかないと、ダメだと思うんですよ、そうじゃないと議論の時にかならずここで泥沼にはまると思う。
まぁ、前置きはこれくらいにして、それでは…
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皇位継承問題における《女性天皇・双系継承の公認》とは?
これまで皇室典範では、皇位継承者は、男系で皇祖(神武天皇)と血が繋がった男性でなければならない、とされてきました。
皇位継承問題における《女性天皇・双系継承の公認》とは、今後は皇位継承者は、双系で皇祖と血が繋がっていれば、男性でも女性でもよい、というふうにルールを変えることを意味します。
端的に言えば、現行のルールでは、愛子さまは天皇になれないし、愛子さまの(将来の)お子様も天皇になれません。そのいずれもが可能になるには、皇室典範を改正する必要があるのです。
《男系と女系と双系の定義》
男系とは、皇位継承の候補者から見て、家系図を自分の《父の父の父の父の…》といった形で、男性だけを遡っていく血筋のことを指します。
女系とは、皇位継承の候補者から見て、家系図を自分の《母の母の母の母の…》といった形で、女性だけを遡っていく血筋のことを指します。
双系とは、皇位継承の候補者から見て、家系図を自分の《母の父の父の母の…》とか、自分の《父の母の父の父の…》とかのように、男性と女性が組み合わされて双方で遡っていく血筋のことを指します。
具体的に言えば、例えば、悠仁さまにいつかお子様(Aちゃん/性別は問わない)が生まれたとします。このAちゃんは、現行のルールでは、男系で皇祖と血が繋がっているので、皇位継承者になれます。図にするとこのようになります。
Aちゃん → 父(悠仁さま) → 祖父(秋篠宮様)→ 曾祖父(上皇様)→ 昭和天皇 ⇒⇒⇒ 皇祖
一方、愛子さまにいつかお子様(Bちゃん/性別は問わない)が生まれたとします。そして、愛子さまの夫が一般人(非皇族)であったとします。このときBちゃんは、男系の血筋では皇祖とは血が繋がっていません。なぜなら、Bちゃんの父は皇族ではないからです。
Bちゃんは、母(愛子さま)を経由して、はじめて皇祖と繋がることができます。図にするとこのようになります。
Bちゃん → 母(愛子さま)→ 祖父(天皇陛下)→ 曾祖父(上皇様)→ 昭和天皇 ⇒⇒⇒ 皇祖
これは先ほどの男系、女系、双系という考え方でいけば、Bちゃんは双系の血筋で皇祖と血が繋がっているということになります。
双系継承の公認を支持する人々は、皇位継承者は双系でも可となるようにルールを変更することで、愛子さまのお子様、さらには佳子さまのお子様(Cちゃん)も、次の天皇になれるようにすることを提案しています。
現行のルールでは、悠仁さまのお子様しか天皇になれません。しかし、愛子さまや佳子さまのお子様も天皇になれるようにすれば、将来の皇室の存続はより安泰なものになるのです。
《双系継承の公認に対する批判》
これまでの男系による皇位継承のルールを変えることを、強く拒絶する人々(ここでは彼らを男系固執派と呼ぶ)が、少数ながら存在します。彼らは、双系公認の案に対して様々な批判をしています。中でも次のような批判は、最も典型的なものの一つと言えます。
「父方をさかのぼれば皇祖(神武天皇)につながる血筋を『皇統』と言うが、双系で天皇が即位したら『皇統』が途絶えてしまう」
これが言おうとしているのは、もし愛子さまのお子様が成人して天皇になるようなことがあれば、その方は男系の血筋による皇祖との繋がりが切れるので、これまで126代も続いた『皇統』が途絶えてしまう(だからそれは良くないことだ)、ということです。
この批判にはトリックがあります。上の文章の前半を見てください。そこでは「父方をさかのぼれば皇祖(神武天皇)につながる血筋を『皇統』と言う」という一文によって、そもそも『皇統』とは男系の血筋のことを意味するのだという《定義》が、あらかじめなされているのです。
しかしながら、双系継承公認派の主張は、この従来の「皇統=男系」という定義自体を変えるべきである、ということなのです。その新しい定義では、「皇統=双系」ということになります。この定義に従えば、先の批判は、次のように言い換えることができるようになります。以下、両方の文章を見比べてみてください。
古い定義のもの:
「父方をさかのぼれば皇祖(神武天皇)につながる血筋を『皇統』と言うが、双系で天皇が即位したら『皇統』が途絶えてしまう」
新しい定義のもの:
「父方であれ母方であれそれをさかのぼれば皇祖(神武天皇)につながる血筋を『皇統』と言い、双系で天皇が即位しても『皇統』が途絶えることはない」
このように『皇統』を新しく定義しなおすことで、愛子さまのお子様(Bちゃん)や、佳子さまのお子様(Cちゃん)が天皇に即位したとしても、『皇統』は後世に脈々と引き継がれるということになります。
しかしながら、これで男系固執派が黙って引き下がるわけではありません。彼らは、皇位の男系継承は二千年以上続いてきたことであるがゆえに、簡単には変えるべきではないと批判します。これに関して、男系固執派の竹田恒泰氏は、次のような比喩を用いています。
「現存する世界最古の木造建築である法隆寺は、その学問的価値の内容にかかわらず、最古故にこれを簡単に立て替えてはいけない。同様に、天皇は男系により継承されてきた世界最古の血統であり、これを断絶させることはできない」
これはつまり、長く続いてきたものは、合理的な理由があろうがなかろうが、変更を加えるべきではないということです。確かに法隆寺を解体して鉄筋コンクリートに建て替えるようなことは、安易にやるべきではないでしょう。しかし、同じことは、天皇の皇位の継承の形式についても言えるのでしょうか。
天皇と皇室というものは、特定の形を持った社会的存在です。そしてそれは長い歴史の中で、状況の変化に対応して何度も大きな変化を遂げてきました。例えば、現在でこそ天皇は「男系の男子」しかなれないことになっていますが、古墳時代や飛鳥時代には、女性が王として君臨する例は少なくありませんでしたし、大和朝廷が成立してからも奈良時代くらいまでは女帝が即位することは珍しくありませんでした。やがて、平安時代以降は女帝の即位は非常に少なくなっていき、古代中国の文化の影響により、男性の政治的権限が強くなっていきます。
他にも、天皇は様々な変化を被ってきました。大きなところでは、何といっても仏教の受容があります。聖武天皇は奈良の大仏を作りましたが、考えてもみてください。天照大神をはじめとする日本古来の神々の末裔であり、その神々の祭祀を自らの任務とする天皇が、インドに起源を持つ外来宗教の信者になってしまったのですよ。
さらに12世紀の鎌倉幕府の成立があります。これにより天皇はそれまで保持していた政治的・経済的な力を大きく失い、専ら宗教的な権威として存続していくことになります。
そして大きな変化と言えば、何といっても明治維新と近代化です。明治維新に伴い、天皇は「千年の都」と言われた京都を離れて、東国の江戸に本拠地を移したのです。日本の伝統において、京都とその周辺は神代にも遡る聖なる土地であり、天皇と京都は不離一体のものであったはずです。しかし、京都の保守派の人々の反対を押し切って、東京への遷都は強行されたのでした。
ちょっと考えてみてほしいのですが、今後、カトリックが総本山をバチカンから別のところに移したり、イスラム教の巡礼地がメッカから別の都市に変更されるなどということがあり得るでしょうか。そう考えると、天皇が京都からお移りになったことの重大性が、よく理解されるのではないかと思います。
そして近代化の進行とともに、天皇は新たに近代的国家における立憲的君主のごとき存在として、新たなる政治的・社会的な役割を有するようになりました。また、衣・食・住にわたって西洋風のものが皇室に導入されていきました。それから20世紀になり、太平洋戦争が終結すると、天皇はふたたび政治的な領域から距離をとり、日本国の象徴として存在することになりました。
以上に見て来たように、天皇と皇室はこれまでの歴史の中で、かなり大きな変革を経験してきたのです。それは考えようによっては、法隆寺がコンクリート建築として再建されるようなこと以上の、劇的な変化であったとは言えないでしょうか。そして重要なことは、そのように時代の変化に応じて大きな変化を被ったにもかかわらず、天皇と皇室は依然として、日本国民の心のよりどころとして現在も存在し続けているということです。
さて、それでは男系固執派が主張するような、天皇の男系継承はそれが古くから続くものであるがゆえに変えてはいけないという考えは、果たして正当なものと言えるでしょうか。もちろん正当とは言えません。
今や皇室は皇位継承者の数の少なさのために存続の危機に立たされています。そうであれば、愛子さまや佳子さま、そしてその将来のお子様たちが皇位継承者になれるようにルールを改正することは、時代の要請であるといってよいでしょう。さらに、この数十年で、世界でも日本でも女性が社会の重要なシーンでこれまで以上に活躍することが、切に求められる時代になりました。その意味でも、現在の《男性天皇/男系継承》をやめて、《男性・女性天皇/双系継承》が可能になるように、今すぐに皇室典範の改正に着手しなければならないのです。
おしまい